2011.秋の京旅行の記録・中・32011年11月09日 22時39分47秒

夜久野教会全景
★京都二日目は福知山市夜久野(やくの)教会に行った。

 朝、夜行バスで京都に着いて公演を観た日の夜は、生まれて初めてインターネットカフェなるところに泊まって一夜を明かした。この歳でのネットカフェ初体験はある意味、衝撃と感動、そして地獄であった。そのことは別項で書き記しておきたいが、朝になり店を出たところから6日のことは始まる。

 増坊はこう見えても人徳があるので、皆に慕われ全国に友人知人がいる。※むろんウソであるので信じないように。なっわけねーだろ!中川五郎曰く「問題児」が。
 中でも京都には、ネット古本屋仲間の親友がいて、もう5、6年になるか、京都に行くたび会っては商売のことを肴に痛飲している仲である。もともとは、商売仲間を通して知り合い、いつしか親しくお付き合いするようになった。彼は「壬生のおっちゃん」としておくが、歳は還暦を過ぎているものの何故か不思議に気が合う。増坊がネット古書店の世界に参入し始めた頃、彼もまた本好きが昂じてネットで古本商いをやり始め、定年後の今はそれが「本業」となったのだ。まあ似たもの同士なのである。

 どううまく説明したら良いか迷うところだが、彼は若い頃からのクリスチャンであり同志社大出身、今はキリスト教関係の本を中心にネット古書店をやっている。その関連で、京都府の西のはずれ、今は福知山市に編入されてしまった夜久野(やくの)というところに古いが立派な教会があり、行くことも多いとのこと。山中の田舎なのになかなか素晴らしいその教会の話は会うたびよく聴かされていて、増坊も行けたらと心動かされていた。今回5日の用事も終わり、オフの6日は日曜であったので、彼に頼んで夜久野へ連れて行ってもらうことになったのである。

 壬生のおっちゃんとは八条口のそのネットカフェの前で朝8時に落ち合う約束をした。
 増坊はいなかもんではあるが、東京の田舎者、つまり地域限定の田舎者でしかなく、他所の田舎、まして遠く京都の田舎はまったく詳しくなかった。京都の地方といえば日本海側の若狭や舞鶴の名前は存じ上げる程度で、夜久野と聞いてもいったいそれがどこなのか想像もつかない。しかし、車は一路京都の市街を西へ西へと進み山に入る。有馬さんの出身地亀岡を過ぎてさらに丹波笹山の名前だけは知っている丹波の山中を抜けて福知山へ入る。夜久野はまたその奥の、兵庫県の境であった。道路標識には鳥取100キロと出ていて東京人はエライ遠くへ来たと怖気づいた。途中高速を使っても2時間以上走っている。

 途中、前夜の寝不足と移動の疲れもあってうとうとしてしまったが、何とか10時半前に夜久野教会に着くことができた。町の奥まった小高い山を背にし高台にある立派な教会は遠くからでも目をひく。日曜礼拝に間に合い、壬生のおっちゃんと共に地元信者の方と礼拝に預かった。残念なことに過疎化で今では信者数も少なく常駐の方はなく、ここの牧師さんは日曜ごとに大阪から来てくれるのだという。お年を召されてはいたが、大変お元気で立派な牧師先生であった。

 それにしても外観以上に内部は広く、カトリックとは違いプロテスタントの教会はきわめてシンプルで天井も高く、木の祭壇とオルガン以外何も置いていない。窓際のテーブルにイスを並べての僅か数人での礼拝は薄ら寒く申し訳ない気さえした。時折賛美歌をはさみながら聖書を開き牧師先生の講話と祈りは続いた。

 礼拝は終わり、教会の中や外を写真を撮りながらぶらついたのだが、雨も上がったが町に人は誰もいない。ただ静かであり、穏やかであり、遠く走る山陰線の電車の音がたまに聴こえるだけで、小鳥の声もない。京都市内の喧騒や大阪や東京でのこれまでのことを忘れて心が洗われる気がした。また、教会堂一階の、昔は幼稚園でもされていたかと想像する小さな木の机とイスが並ぶ「教室」はただただ懐かしく忘れていた匂いを嗅ぎ懐かしさのあまり胸が痛くなる思いがした。思わず感激の涙が出てきた。
 というのは自分もまた幼ないときに通った幼稚園は「子羊幼稚園」といってキリスト教のものだったから今はなきその場所を思い出したのだ。夜久野を訪れてよかった。ようやく救われたと思った。全ては神の思し召し、はからいであると思った。
 今は朽ちて信者数も少ないが、素晴らしい教会である。ぜひまた京都に、いや関西を訪れる機会あらばこの地と夜久野教会に来たいと心に誓った。※内部の様子などは後日別ブログでアップしたい。ぜひ関西在住の方々は足を運んでもらいたく望む。