古本音楽家宣言・3 ― 2012年01月06日 22時02分43秒
★一瞬の夢ではなく覚めない夢が見たい。
いろいろご心配おかけして申し訳ない。
さて、古本音楽家「宣言」はしたものの、いったい何をどうこれからやっていくか。自分に確固たるビジョンとかあるわけではない。音楽にせよ、古本のことにせよ自分は門外漢ではないが、しょせん末端、その端くれのようなものであり、本業の方、それで飯食うプロの方の足元にも及ばない。そのどちらにも嘲笑われ無視されて当然だと思える。
が、人それぞれモノゴトのアプローチの仕方は違うはずだし、自分は何よりそれを「商売」という視点では何事も捉えていない。これはあくまでも「趣味」いわば「もの好き」のなせることであり、音楽の世界で、プロとしては活動しないハウスプレイヤーという類があるように、語弊はあろうが「道楽」の範囲だと思われてちっともかまわない。しかしやるからにはそれなりに本気である。毎度の思いつきと判断されてもかまわない。そうかもしれないとも思わなくもない。
自分はリアルタイムのビートルズ世代では実はないのだが、子供の頃、当時愛読していた月間漫画「ガロ」に投稿で登場したますむらひろし氏のいわゆるヒデヨシ猫の出てくる細密猫漫画の中で、彼らが「ビートルズを聴いてから、俺は9時から5時までの人生は絶対に送らないと誓ったんだ」というセリフを読んでいたく感動したことがある。
以来ずっとその猫たちが語ったそのセリフが頭を去らず、大学は出たけれど結局のところきちんと就職、会社勤めのカタギにはならず生涯フリーターのようなバイト君として人生を生きてきた。そのことに悔いはないがだから結婚できなかったのかと最近やっと気がついた。
今は一応、ネット古書店とか肩書きは勝手に名乗っているけれど、気持ちとしてはずっとバイト気分である。それは要するにどこにも所属していないし、何の保障もないということでもある。
考えてみれば、猫などはなから9時5時の勤め人ではないわけで、そんな猫の姿に仮託してますむら氏もビートルズを語るとはいいかげんだと思えなくもないが、まあともかくそれで影響受けて以来ずっと今で言うフリーターのはしりのようにして生きてきた。そこには晶文社の叢書「就職しないで生きるには」などを読んだことも大きい。となると、そこに西荻のホビット村とか、吉祥寺ぐゎらん堂の敬愛する村瀬春樹さんのことなども関係してくるのだが、話をひろげるときりがないので。
ともかくそんな筋金入りの自由気ままに生きてきた大バカ者である増坊も気がつけば50歳を過ぎてさて一人でこれからどうしたものかとさすがに考えるようになった。断っておくが誤解されると困るので、自分はヒッピーでも団塊の世代でもないしまた活動家でもない。いちばん近いものは、故ナベゾこと渡辺和博氏のような無思想ノンポリの面白主義であり、ドラッグや精神世界も含めて関心はあってもそこにハマルことも夢中になることもない基本が怠け者、不真面目人間である。
そんな人間が手元の本と好きな音楽で何かできないか、やれることはないかと考えた。そのどちらも自分は大好きで、大差はそこに認められない。しょせん古い、ある意味時代遅れのやがては滅び消え去っていくものでもある。
ただ、このところ思うのは、すべてをシンプルに、モノゴトは複雑にすべきでないという真理が正しいのならば、自分のやっていることしてきたこと、趣味も仕事も生き方、生活スタイルも含めてすべてを一つにできないかと考えた。ある意味全ては好きなことであり、昔から好きなことだけして生きた来た自分なのである。それで贅沢はできなくてもまあ何とかやってこれた。やってこれなくても生きてこれた。ならば、これからはそれを全部ひっくるめて生活文化という言葉のように、「古本音楽家」としていきられないものか。
それで金儲けができるとか世間に認められるとは思いもしない。自らの好きなことをやっていくだけなのだから逆に認められたり評価されたら困る。誤解されるとまた困るがある意味金をそこに介在させたくない。かといってボランティアではないし、慈善活動では絶対ない。何とか少しは食えるようにしたい。
もう今はともかくいろんなことをあれこれ抱えて面倒にも複雑にもしたくない。すべては唯一つに。生き方も仕事も商売も趣味もすべて一つに集約させたい。それが自分が考える「古本音楽」。知識と経験と技術、資料など持っているもの全てを活用させてこの場所を拠点にやっていく。
これは「商売」ではない。人生なのである。そう、この俺の今後生きていく残りの人生のあり方なのだ。自分は映画も好きでずいぶん映画も観てきた。が、映画はしょせん一時の夢である。映画館を出たら覚めてしまう。今の自分は永遠に覚めない夢を観たいと心から願っている。
いろいろご心配おかけして申し訳ない。
さて、古本音楽家「宣言」はしたものの、いったい何をどうこれからやっていくか。自分に確固たるビジョンとかあるわけではない。音楽にせよ、古本のことにせよ自分は門外漢ではないが、しょせん末端、その端くれのようなものであり、本業の方、それで飯食うプロの方の足元にも及ばない。そのどちらにも嘲笑われ無視されて当然だと思える。
が、人それぞれモノゴトのアプローチの仕方は違うはずだし、自分は何よりそれを「商売」という視点では何事も捉えていない。これはあくまでも「趣味」いわば「もの好き」のなせることであり、音楽の世界で、プロとしては活動しないハウスプレイヤーという類があるように、語弊はあろうが「道楽」の範囲だと思われてちっともかまわない。しかしやるからにはそれなりに本気である。毎度の思いつきと判断されてもかまわない。そうかもしれないとも思わなくもない。
自分はリアルタイムのビートルズ世代では実はないのだが、子供の頃、当時愛読していた月間漫画「ガロ」に投稿で登場したますむらひろし氏のいわゆるヒデヨシ猫の出てくる細密猫漫画の中で、彼らが「ビートルズを聴いてから、俺は9時から5時までの人生は絶対に送らないと誓ったんだ」というセリフを読んでいたく感動したことがある。
以来ずっとその猫たちが語ったそのセリフが頭を去らず、大学は出たけれど結局のところきちんと就職、会社勤めのカタギにはならず生涯フリーターのようなバイト君として人生を生きてきた。そのことに悔いはないがだから結婚できなかったのかと最近やっと気がついた。
今は一応、ネット古書店とか肩書きは勝手に名乗っているけれど、気持ちとしてはずっとバイト気分である。それは要するにどこにも所属していないし、何の保障もないということでもある。
考えてみれば、猫などはなから9時5時の勤め人ではないわけで、そんな猫の姿に仮託してますむら氏もビートルズを語るとはいいかげんだと思えなくもないが、まあともかくそれで影響受けて以来ずっと今で言うフリーターのはしりのようにして生きてきた。そこには晶文社の叢書「就職しないで生きるには」などを読んだことも大きい。となると、そこに西荻のホビット村とか、吉祥寺ぐゎらん堂の敬愛する村瀬春樹さんのことなども関係してくるのだが、話をひろげるときりがないので。
ともかくそんな筋金入りの自由気ままに生きてきた大バカ者である増坊も気がつけば50歳を過ぎてさて一人でこれからどうしたものかとさすがに考えるようになった。断っておくが誤解されると困るので、自分はヒッピーでも団塊の世代でもないしまた活動家でもない。いちばん近いものは、故ナベゾこと渡辺和博氏のような無思想ノンポリの面白主義であり、ドラッグや精神世界も含めて関心はあってもそこにハマルことも夢中になることもない基本が怠け者、不真面目人間である。
そんな人間が手元の本と好きな音楽で何かできないか、やれることはないかと考えた。そのどちらも自分は大好きで、大差はそこに認められない。しょせん古い、ある意味時代遅れのやがては滅び消え去っていくものでもある。
ただ、このところ思うのは、すべてをシンプルに、モノゴトは複雑にすべきでないという真理が正しいのならば、自分のやっていることしてきたこと、趣味も仕事も生き方、生活スタイルも含めてすべてを一つにできないかと考えた。ある意味全ては好きなことであり、昔から好きなことだけして生きた来た自分なのである。それで贅沢はできなくてもまあ何とかやってこれた。やってこれなくても生きてこれた。ならば、これからはそれを全部ひっくるめて生活文化という言葉のように、「古本音楽家」としていきられないものか。
それで金儲けができるとか世間に認められるとは思いもしない。自らの好きなことをやっていくだけなのだから逆に認められたり評価されたら困る。誤解されるとまた困るがある意味金をそこに介在させたくない。かといってボランティアではないし、慈善活動では絶対ない。何とか少しは食えるようにしたい。
もう今はともかくいろんなことをあれこれ抱えて面倒にも複雑にもしたくない。すべては唯一つに。生き方も仕事も商売も趣味もすべて一つに集約させたい。それが自分が考える「古本音楽」。知識と経験と技術、資料など持っているもの全てを活用させてこの場所を拠点にやっていく。
これは「商売」ではない。人生なのである。そう、この俺の今後生きていく残りの人生のあり方なのだ。自分は映画も好きでずいぶん映画も観てきた。が、映画はしょせん一時の夢である。映画館を出たら覚めてしまう。今の自分は永遠に覚めない夢を観たいと心から願っている。
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