「師匠」について語る2012年01月07日 23時04分49秒

★自分にも師と仰ぐ大事な人たちがいる。

 今日もこちらは晴れたけれど北風が強く冷え込んだ。さすがにこんなに雨が降らないとどこもかしこもカラカラで困ってくる。気持ちもまだ乾いたままだ。どうしたものか。

 さて、こんな自分にも師匠として仰ぐ人たちが何人もいる。その方たちについて思うところを少し。

 例えば、ある作家が大好きで、その作品、文体、生き方、考え方も含めて師と仰ぎ、手本としている場合、私淑していると言うのだと思う。自分にとってもそうした人たちは何人かいて、漱石先生を筆頭にいずれも故人だが、色川武大、山口瞳、山本夏彦氏らには大きな影響を受けた。自分の思考法、文体は彼らのものだ。そこに植草甚一も入れても良いが。

 漱石はともかく同時代に生きていて、直接会い、話す機会もあったはずだが、何故かそれはできずに、近所に住まわれていた山口先生は街で見かけたこともあったりはしたのに結局挨拶すらできなかった。高田渡もそう。背中合わせで呑んでいても声もかけなかった。
 今から思えばせめてサインぐらい頂いておけばという気もするが、これもまたファン心理の一つで、大好きだからこそ個人的には親しくなりたくないという気持ちもそこにはあったのだと思える。わかる人にはわかるはずだ。

 そうして、勝手に彼らを師と思い手本にしていることを私淑するというとしたら、ある程度付き合いがあり向こうもこちらを認知している場合は何というのか。それは「親炙」というのだそうだ。その言葉を友人から教わった。
 そうした付き合いのある「師匠」が自分にも何人かいる。むろん、向こうは増坊のことを「弟子」などと思ってもいない。こちらも弟子にして下さいと頭下げたことはない。ただ、やはり大きな影響を受けて、その人と出会わなかったら今自分は絶対にありえないという意味で、師匠としか表現できない。そういうとても大事に思う人たちが何人かいる。それはきっと誰にでも。

 むろんたいがいの場合、その出会いは自分が若いときのことである。
 酒の師匠は、当時月間漫画「ガロ」で漫画を描いていた鈴木翁二さんであり、当時高校生で彼のアシスタントだった自分を引き連れ、吉祥寺の街をいせやからぐゎらん堂まで夜通し引き連れてあちこち飲み歩いた。今も彼は元気で北海道で「オートバイ少女」のモデル?の人と暮らしている。
 また別に、うたの師匠、ギターの師匠もそれぞれいる。また最近では詩の師匠として、有馬敲さんが新たに師匠となった。となると京都には師匠が多い。
 そうした幾人かの大事な師匠を思うとき、やはりどうしても忘れてはならないのが、その吉祥寺のライブ喫茶店、ぐゎらん堂のオーナーだった村瀬春樹さんであり、その店を知って通うようになり、高田渡や友部正人、シバら日本のフォークソングを知ったことも大きかったが、村瀬さん自身の存在、その生き方にもずいぶん影響を受けた。

 彼はまだライブハウスなどこの世に存在しない時代に、そうした日本のフォークシンガーたちが集い唄う場として、1970年にその店を設けたし、また途中から店は弟の雅美さんに任せて、ライターとして活躍始めた。その店は85年に閉店したが、彼はハウスハズバンドとして家作りや生活風俗全般に関して健筆をふるい多くの著作がある。
 最初はあのぐゎらん堂の村瀬さんが、という驚きがあったけれど、自分はその文章世界にも魅せられ大きな影響を受けた。まさに生き方自体も憧れの人である。彼を一言でいえばこだわりと寛容の達人である。

 自分が高校生の時であった彼はずいぶん大人の人に思えたが、1944年生まれとの本の肩書きにはあるからさほどのお年ではない。いや、今も髪も黒々としてずっと体形も昔のままでいつまでも若々しい。とてもそんなお年に絶対に見えない。先年、高田渡の生誕会の折、30年ぶりぐらいに再会できたのだが記憶のまま全く変わっていなかった。

 そして先日、その村瀬師匠から岡大介とかんから三線についてインターネットのマガジンに記事を書くのでと連絡があった。自分は大して何もお役に立てなかったのだが、吉祥寺のブロンというスナックで岡君のライブがあった際、彼も来られて短時間ながら会うこともかなった。

 そのときの記事がアップされている。あのカタログハウスのネットマガジンでの連載で、とても面白く読み応えがある。毎度ながら深く感心させられた。毎度の事ながら師匠には頭が上がらない。村瀬さんと出合えたこと自分には生涯の光栄、幸運であった。
 以下、転送↓

「道具の真相」、<絶体絶命のなかに[手製楽器]あり>がアップロードされました。
 
 岡大介くんの登場です。ご一覧を!

http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/doguno-shinsou/

※と、今そのページを確認したところ、今現在はホームページのリニューアルに伴い表示されなくなっていた。村瀬さんに問い合わせしております。この記事自体がもたもたしていたら遅くなってしまった。そんなこんなで申し訳ない。