歯痛からドラッグについて考えた。後2012年01月31日 01時22分02秒

★酒は百薬の長ではあるが百害の入り口でもあった。

 ドラッグという言葉、広義にはドラッグストアのように薬全般を指すのであろうが、昨今マスコミを賑わす脱法ドラッグのように、覚醒剤の類を意味している。そこに酒やタバコを入れるのには抵抗あるが、タバコをすわない自分にはタバコはともかく、アルコール類はりっぱなドラッグだと今は断言できる。覚醒剤という言葉が正しく意味しているかはともかく、習慣性を帯びていく麻薬の一種であることは間違いない。

 今さら説明の必要もないことかもしれないが、それらにはアッパー系とダウナー系とがあり、それに輪をかけるようにして幻覚系も加味される。アッパーというように、大概の覚醒剤は気分を昂揚させハイにしてくれる。だから何でも出来るように思えるし、戦後流行ったヒロポンのように、何日も寝ないで仕事ができたりもする。つまり興奮剤である。

 それに対して、ダウナー系とは、気分をリラックスさせ弛緩させる。それまで興奮し苛立っていた気持ちも落ち着き楽になっていく。それらの代表が大麻、つまりマリファナで、アルコールもダウナー系に含まれると思える。まあ、中には酔うと暴れたりケンカ早くなる人もいるけれど。こちらは興奮剤ではなく気分抑制剤としての役割がある。
 まあドラッグとはどちらも服用しているときは快感をもたらしその快感は日常では得られないもので習慣性が強くある。

 アッパー系はともかく、今問題としたいのはダウナー系である酒についてであり、確かに酒を呑むと悩みや心配事、心労心痛はいっとき忘れられることは経験として確かにある。酒に逃げるとか、酒に溺れるという表現があるように、人は人生の折々辛いとき苦しいとき酒の力を大いに借りてきた。確かに一時は酒は人の心を癒してくれた。
 が、じっさいのところ問題は何も解決していないわけで、むろん、気分転換にもなるし、バッドな気分も酔っぱらっていったん問題を忘れて寝て起きてから気持ち新たにという取り組みもできようが、あくまでも一時的現実逃避であることは言うまでもない。

 自分もまた苦しいとき悩みに囚われ出口が見えないとき、大いに酒に助けられた。たぶん素面ではとてもその難事をやり過ごすことはできなかったかと思える。しかし、アルコールが怖いのは、精神や心を弛緩させるだけでなく、肉体自体もマヒさせていくことだ。肉体も精神の入れ物であり、その二つは密接に関係しているから心が麻痺すれば体もマヒしていく。
 シンナー中毒では歯がボロボロになるとよく言われた。シンナーにそうした副作用があるのかどうか知らないが、要するに先に書いたM君のマリファナと同じく意識がぼーとなって肉体まで気が回らず感覚が麻痺して鈍くなってしまうからではないか。じっさい知る限りアル中の人もたいがい歯がなくなっている。自分も酔えば歯など磨かず前後不覚で倒れるように寝てしまっていた。また、アル中の人は麻酔が効かないとは巷間言われていることである。

 どんなドラッグでも恐ろしいのは、そうしたことが習慣化してしまいなかなか断ち切ることができないことだ。
 自分も昔ウイスキーにはまっていたときは、夕方になるとあの香りがどこからともなく沸くように思い出され渇望というのか喉がうずくというか、呑みたくてたまらなかった。
 またヨッパライは誰でも心当たりあることだが、酔っているときは周囲はあきらかに酔ってるとわかるのに、当人だけがちっとも酔っていない大したことはないと思って結果失態や失敗を繰り返すのである。それが習慣となっていく。

 アッパー系に比べればダウナー系の酒はあまり害はないように思える。じっさい適度の酒は体にも良いとの報告もある。しかし、よほど意志の強い人ならともかく、自分のように適度に呑める体質の意志薄弱者は呑めば結果として呑み続けてやがては酒に溺れ弛緩の海に沈んでいく。生活もどんどん緩み乱れて収拾がつかなくなっていく。
 どの程度の酒度数なら安全とかビールなら大丈夫だとか考えないほうが良いようだ。弱い酒でも量を呑めば同じ結果が待っているのだから。良い気分の裏には地獄が待っていると知るべし。

 人生とは常に素面で向き合わなくてはならなかったのだ。そう、これまでもそしてこれからも。

1月を振り返る。2012年01月31日 23時00分36秒

★自分の人生は動いているか。

 今日は無性に酒が呑みたかった。だが堪えた。晩時、コップに熱湯を入れて25度の焼酎の瓶を手にとるところまでしたが、コップをみつめたものの酒は注がずにお湯だけを飲んだ。理由は一つ、向こうはこちらを知ってはいないが、会ったこともある知人が火事で死んだからだ。
 NHKのニュースでも映像付きで報じられたそうだからご存知の方もいるかと思う。川勝正幸さんである。
 肩書きはライター、編集者とかプランナーとかいろいろ思い浮かぶが、やはりサブカルに詳しいコラムニストだったような気がする。自分より少し上かもしれないがほぼ同世代であり、神足なんかよりずっとずっと親近感をもって尊敬し敬愛していた書き手であった。
 随分前、彼と会った記憶はある。声も顔もはっきりと思い浮かぶものの、いったいいつどこで何の時に会ったのかもう何も思い出せない。押切シンイチさんもいたかもしれない。

 その彼がマンション火災で亡くなった。一人暮らしだったという。まだ50代半ばである。自室から火を出したのだから失火ということで誰のせいでもないが、それでもどうにもやりきれない思いがしている。それにしてもサブカル関係者の死は今野雄二に見られるようその多くが自殺だったりこうして不慮の事故死、そして突然の病死ばかりである。そして共通しているのは男の一人暮らし。

 自分は老親と暮らしているから一人ではないものの、やがては彼らの仲間入りをしていく。天寿をまっとうしたいとも思わないが、こうした不慮の死は願わくばしたくない。病を抱えているという知らせが先にあればある程度覚悟もつくが、やはり突然の訃報はショックをもたらす。こんなカタチでお別れとは当人も悔やむところであろうが、結局のところ川勝さんはこれが彼の寿命だったのかと思うしかない。それだけの仕事は十分に残している。仕方ないと思うしかない。が、このやりきれなさはどうしたものか。いやあの世あらば当人こそ残念無念という気持ちであろう。


 さて、今日で新年1月も終わる。前半はのんびり悠々ということもなかったが、時間はゆっくり遅々と進んでいたのに、半ば頃から急にバタバタと忙しくなった月であった。というのは、拙宅での古本音楽ハウス無頼庵のオープニングライブ「バンジョー律五郎」の日程がようやく確定しその準備がスタートしたからだ。
 今1月末の段階で参加予約の方は約8名ほど。友人仲間内ばかりかというとそうでもなく、二名の方はこのサイトや五郎さんのところを見て来られる人で初顔である。それが嬉しいし有り難い。出足としては決して悪くないようにも思える。何しろ定数は20席の予定なのだから。ただ興行は水物だから油断禁物、座して待っていては人は来てくれないことだけはキモに命じている。

 ともかく2月もがんばって宣伝活動に専念していく。自分の人生は動いているかと自問している。2月は短い。心してあれこれ動かしていこう。そう、先のことは何が起こるか、何があるのか誰一人わからないのだから。死んでいった者たちの志を少しでも継いで生きていきたいと願う。俺は何一つカタチに残していない。まだ死ぬに死ねないのである。