日常生活の冒険ならぬ「旅行」2012年02月07日 21時00分30秒

★暖かい雨上がりの春の宵に

 前夜からの雨は今日も昼過ぎまで降り続いていた。久々のかなりまとまった雨だった。夕方、雨も上がったので、犬たちと散歩に出たのだが、手袋がなくても平気なぐらい暖かく、雨上がりの湿った空気を思うぞんぶん深く吸い込んで息を吐いた。いろんな意味でほっと一息ついた気分である。

 昨日は午後から雨の中、府中のほうの病院に暮から入院している親友の見舞いに出かけたのだが、病院には着いたものの手違いから面会はかなわなかった。受付で看護婦に拒否されて、仕方なく言付けだけ頼んで帰ってきたのた。けっきょく無駄足ふんだことになるのだが、気分的には新たに得るものが大きかった。

 というのは、行きは武蔵小金井駅から府中行きのバスに乗り病店近くのバス亭で降りたのだが、帰りは来た道をとぼとぼと小金井駅まで30分少し歩くことにした。バス代片道190円を浮かす目的もあったが、行きのバスの窓から見たロケーションがなかなか興味深かったからだ。はじめて武蔵小金井駅の南口をゆっくり散策して、まるでどこか遠くの町へ旅しているような気分になれた。気持ちが新たになれた。

 これは自分だけの経験、思い出でしかないのだけれど、東京の、それも中央線から延びる青梅線沿線に住んで半世紀近く経つわけだが、中央線の駅には未だろくに降りたことのない駅もいくつかある。むろん、どの駅も何かの折にはその駅近くにあるライブハウスや店など目的を持って一度ならず下車はしているが、その駅前から始まる町自体を詳しく知っているとはとても言えない。

 自分が駅前からの街並みをほぼきちんと把握している駅は国立、国分寺、吉祥寺、西荻窪、中野ぐらいのもので、他の駅はかなりおぼろげである。中でもウチからは三鷹より手前、近所にあたる何駅かが特に弱い。国立、国分寺以外はほとんどきちんと降りたことがなかった。
 こんな東京ローカルな話題、大阪や地方の人には何のこっちゃと思われるだろう。申し訳ないと思うが。

 結局のところ、昔、若い頃、遊びに出る繁華街というのは、西多摩の田舎に住む若者にとってはまずほぼ地元立川であり、次いでは国分寺、そして何といっても吉祥寺であった。そしてやがて新宿、渋谷、池袋へと足も伸ばしたが、そうした繁華街ではない町には何か特別な目的がない限り通うこともないわけで、中でも単なる住宅街である武蔵何某辺りは降りる理由がない故これまでまったく未知の町であったのだ。今回、その中の一つ武蔵小金井駅南口に降りたのである。

 東京の人はご存知のように、先だって中央線は立川まで全て線路を高架にする工事が終わったところで駅も全部新しく建替えられた。だからどの駅も前もろくに記憶がなかったが全く初めての新しく降りる駅であり、ここの駅前も区画再編工事がほぼ終わったところでかつての面影など全くない。武蔵小金井はかつて丸いユニークな外観の武蔵野公会堂があった駅で、高田渡が急逝したとき追悼コンサートもそこで催されたので南口は降りたことがある。だが様変わりしてかろうじてアーケードの商店街だけ昔歩いた記憶があった。
 ただ、せいぜいその辺りを歩いただけでこの駅前から始まるこの町はまったく初めてであったのだ。

 中央線の三鷹から国立までの何駅かは、段丘の上に建っていて、南口から降りると一気に台地が低くなって坂になっていく。その極端な例が国分寺駅で、知る限りあんなに低地との段差がある駅は東京には他にない。ほとんど山の上に駅があるといっても良いぐらい低地のところからは数十メートルもの高低差があろう。あたかも逆渋谷駅である。
 むろん、山手線でも上野から先、日暮里、鶯谷、田端のあたりも確かかなり段丘の際、崖になっていて線路は低いところを走っている。おそらく向こうは低いところはかつては海でありこちらでは川になっていたのであろう。そして今回降りた武蔵小金井駅からもちょっと目を疑うほどの長い下り坂が続いていた。その坂に驚き深い感慨がわいてきた。

 帰りは来た駅を目指してバスで通った道を逆に歩いたわけだが、行きも気がついたかなりの長い坂は、前原坂といい、駅がある段丘の上、台地のところと下の平地とをクルマも走る陸橋で結んでいた。いったいその坂道である橋がいつからあるのかわからないが、歩道もついていてそこを登っていてすごく不思議な気分になった。
 自分は今東京の、ある意味、自宅からもそう遠くない中央線沿線の町にいるのに、この坂からは初めて見る初めて歩く風景である。街を見下ろしそこはまったく別の地方都市、例えば新潟市とか、青森市とかに来ている気分になった。その気持ちは感動でも感激でもなく、じわじわと湧き上がる感慨としか表現できないもので、友人には会えなかったがここへ来て良かったと心から思えた。
 道は坂を登りきるとアーケードの商店街に続き、そこもまた地方都市のようなそれで興味深く、やがては行きに降り立った南口の駅前に出たのだが、その帰り道の数十分はまさに小旅行であった。

 日常生活の冒険があるならば、日常生活の中でも旅行ができる。もう人生はずいぶん長く生きてきて生まれ育った東京のことはある程度知っているつもりでいたが、何のことはないごく近所である、隣の隣の町でさえも自分は降り立ったことも歩いたこともなかったのだ。初めての街へ行き夢を見たような気分でさえいる。

 可哀相な西岡恭蔵さんのうたに「街の君」という名曲がある。この街は君の町ならば、君の街にならって、見知らぬ街ををこうしてぼくの街にしていくことこそが生きていくことであり、そうしたことが大事なんだと帰りの電車の中で考えた。倦んだ日常生活がこの旅、初めての街でリフレッシュできたという話。