2012年の「うた」をとりまく状況考察・22012年02月14日 20時24分53秒

★聴き手よりも唄い手の多いことの功罪

 このところ晴れの暖かい日が続いていたが、今日は一転して朝からどんより冬枯れた曇り空で、午後には冷たい雨がしとしとと降り出した。
 気分も天候に左右されるのか、鬱屈気味であるし、それとも連日出かけた疲れが出たのか、昨晩から妙に寒気もして頭も鈍く痛かった。風邪ならばひどくならないよう今日は昼食の仕度の後は夕暮れまでずっと昼寝していた。おかげで、寒けは収まったが、さてこのイライラをどうしたものか。そう、なかなか思い通りにモノゴトは進まず時間だけは過ぎてゆくのでやや焦り気味なのである。

 さて、3.24の拙宅でのベテランフォークシンガーを迎えてのコンサートである。それに関連して「うた」、それも自分が好きな、十代の頃より関心を持ち続けているフォークソングというものについてあれこれ考えたことを書いている。

 実はちょっと信じ難いが、昨今はフォークソングがまたブームなのである。でもそれは60年代の終わり頃、新宿西口で盛り上がったような社会現象と報じられるほどの大ブームではなく、実は主に今のそれはその頃ギターを手にしていたかつての「若者」たち団塊の世代が、定年退職期を迎えてヒマを持て余して再びギターを抱えて歌いだしたからだという。

 先日のNHKの夕方の首都圏向け報道番組の中で、そうした風潮が話題として取上げられていたと母がそれを見て自分に教えてくれた。きちんと番組を自分が観たのでないし全てに疎い母の話なのでどうにもあやふやなのだが、荻窪のライブハウス「落陽」が取材され、そこでギターを手にしてフォークソングを唄っている素人のオヤジシンガーたちが映し出されたようだ。母が聞いたところだと今そうした素人でも出て歌える同様の店が首都圏?では100軒もあるのだという。
 以上のことは自分が番組を観たのではないので正確でないかもしれないが、確かにそうしたかつての若者たちが今またギターを手にして青春時代に聴き馴染んだフォークソングを自らの演奏で歌い始めていることは良く知っていた。フォークに限らず近年親父バンドの活動も話題になっている。ただ、そうした店が現在そんなに増えているのか自分はそうした場には行かないので認識していなかった。

 じっさいのところ、このところの実感では、いわゆる昔ながらのライブハウス、それもある程度名前も知れ相応の歴史のある名所的な店が次々閉店している。何十年も続いた店でも昨今の不況で客が入らないのと注文自体が減り売り上げが上がらないことと、そこのマスターの高齢化による体調不良などが原因で、儲からないことと後継者不足で旧い店は消えていく。

 ところが一方、若い友人の話では、逆にライブハウスではないライブが出来る店はどんどん増えているのだと言う。確かに自分も誘われていくことがあるが、ライブ演奏もある高級レストラン的店は都心のお洒落な地域、六本木や青山などにいくつも出来ているし、さらに居酒屋、スナック、喫茶店のようなPAも備えていない小さな店でも曜日を決めてライブを催している。そうしたライブもできる店がやたら増えた。ある意味、ライブハウスと呼ばれた演奏観賞を目的とした特化した店は消えていき、逆に飲み食いの場がそのままライブ会場となるように音楽をやる場の裾野が広がったと言えよう。それは良いことではある。

 そしてそこにもう一つ顕著なことは音楽をやる側の人の数、音楽人口は昔に比べると飛躍的に増えていて、今は若者、特に女子高生たちの間ではロックバンド結成がブームであるし、一時期廃れた生ギターによるフォークソング的なうたも若者たちの間でもまた盛り返している。前世紀終盤に盛り上がったバンドブームは沈静化はしたものの、今もまた音楽熱として覚めやらぬ人たちが多くいることは、土日休日の夜遅く中央線に乗ればすぐわかる。車内見渡せば、ギターやらジェンベやら管楽器やら何やら楽器を抱えたミュージシャンが一つの車両に必ず数人づつは乗っている。もし大地震などで電車が停まってそこに閉じ込められれば、不謹慎だが時間つぶしに乗客だけでバンドがいくつも出来るのは間違いない。

 そしてそこにかつての戦争を知らない子供たち、=親父フォークの人たちが参入してくる。と、気がつくと、そこにいるのは誰もがミュージシャンであり、演奏し唄う側である。聴いてもらいたいと観客、聴衆を求めるが、皆が歌い手ばかりとなっては聴き手が存在しない。
 それはある意味、カラオケブームにも似ている。自分はカラオケはやらないし、そうした場にはほとんど参加したことはないけれど、知る限りそこでは歌い手は気持ちよく唄っていても聴き手は次に自らが唄う曲選定に夢中でろくすっぽ人のうたは聴いていない。

 あるいは昨今のモノカキの状況にも似ていよう。自戒するところもなくはないが、皆誰もがブログなりホームページやら何やらで、「発信」することに夢中になりそれに追われて人の書いたものは読まなくっている。つまり小説などの本が売れないことの最大の原因は書き手ばかり増えたからだという皮肉な現実と同じく、昨今のライブの客の入りの悪さは、一重にミュージシャン、歌い手が増えすぎたからだと言えなくもない。まあ、もともとこの音楽は演者と観客の垣根が低いことが顕著であったが。

 それはうたにとっては決して悪いことではない。唄いたいこと、うたを通して伝えたいことがある人が多いのはとても良いことだ。しかし、コンサートを企画する側としてはどうにも説明は難しく居心地悪いような複雑な気分があることも告白する。ある意味、今や数少ないファン層を企画や店ごとに奪い合っているのである。
 特に形態として、ライブ会場として店を提供する商売のあり方と、カラオケ的に既製のうたを無自覚的にうたうということに対しては異議を唱えるつもりはないが、どうなんだろうという違和感がある。《この件次回へ》