2012年の「うた」をとりまく状況考察・3 ― 2012年02月15日 20時44分36秒
★BGMとしての「うた」、音楽を考える。
雨は上がったが、今日も一日どんよりとした曇り空。昼間は暖かく春霞と呼べないこともなかったが、午後からはまた木枯らしのような北風が強く吹き荒みまた冷え込んだ。
萎え焦りがちの気持ちは元に戻った。
今日は父を新たに預けるデイサービスの見学に老親二人とも連れて行った。今、父母は週に二日、共に市内にあるそうした施設に通っているのだが、父だけもう一日また別のところに行かせることにしたのだ。さすればこちらの負担はだいぶ軽くなる。
父の認知症が着実に進んできて、トンチンカンさは激しさを増して、徘徊系の大男なので、増坊ではなかなか制御できない。また、目を離すと何をしだすかわからないので、うっかりほっておくことも出来なくなってきている。
まあ、寝たきりではないし、自分で飯も食えるのでうんと手がかかるという事態ではないが、正直始終顔を突き合わせていると、つい些細なことでもガミガミ叱ってしまうし、また抗う。それの繰り返し。そうした諍いは当人もこちらも辛いしうんざりしてきてどしたものかと頭を痛めていた。
まだ確定ではないが、週に三日、施設から迎えが来て、預けてしまえばこちらは母の世話だけで済むので大いにラクになる。自分のことも専念できるのでこれしかないかと思う。当人はもちろんのこと嫌がっているが、お互い最悪の事態に陥る前に打つ手はこれしかないと信ずる。
さて、そんな私ごとはともかく、前回の続き、うたについての話。
世には、ディナーショーなる音楽鑑賞スタイルがある。つまりテーブルを囲みつつ、ステージでは歌い手や楽団が演奏を繰り広げ、客は食事をしながら音楽も楽しむというものだ。それってどうでしょうか。
音楽の楽しみ方は人それぞれだし、美味しい料理に舌鼓打ちながら素敵な音楽にも耳を傾ける。それはゴージャスな人生の楽しみ方であるとも言えなくもない。
しかし、増坊のように、明治生まれの老人に育てられた世代の者としては、テレビを見ながら食事はすべきではないという古い観念が根深く染み付いているし、だいいちフランス料理を食べながらでは音楽に集中できないとまず考える。
こんなことを書くとまたトラブルの種となるので迂闊なことは書けないが、このところそうしたディナーショー形式のライブを催すレストラン的な店が増えてきて、チャージとは別に何かともかく洋食を最低一品は頼まなくてはならないのである。そうした店に行くと、飲み物も注文するので一回のライブで最低でも5000円は何だかんだ払わざる得ない。懐が裕福な方は大した出費でないかもしれないが、自分にはこれは辛い。
そんな店の特徴は、ともかく連日ミュージシャンのライブが入っていることで、店としての音楽の趣味や傾向も特に見られず、ともかくある程度集客力ある、活動歴ある人なら誰でもかまわないようである。つまりそこでは音楽というのは出す食事のBGMでもあり、出演者とは客集めのためのダシであるとも言えよう。
前回も書いたが、今は出演者、人前でライブをやりたい人が多い時代であるから、スケジュールさえ空いていればたいていのミュージシャンは呼ばれれば出演に応じてくれる。昔だったら最低保証の額のギャラを求めたかもしれないが、何しろ時代がこんなであるから、ギャラは客の入りに応じて払うというのがかなり罷り通り、出演者のほうが必死に宣伝もしてくれる。ゆえに、出たい人と、客を呼び込みたい店側の思惑は一致してそうしたライブレストランのような店が増えてきたのだと思える。
そうした店に通う人もいるし、それで商売が巧く成り立ち、ミュージシャンにとってもうたう場、演奏する場が増えるのはとても良いことであろう。人様の商売に対してとやかく言う資格はない。が、個人的感情としてはそうした店はいかがなものかと思ってしまう。これは自分だけか。
というのは、音楽とはいったい何かという考え方の違いでもある。むろん喫茶店で静かに流れるBGMのようなものも確かに存在する。しかし、ミュージシャンが真剣に演奏し熱くうたっているときに、カチャカチャとフォークやナイフの音を立ててもぐもぐ食事しているのも失礼なことだし、聴く側だって集中できやしないはずだ。ディナーショー形式の店というのは、根本的に音楽というものを食事の際のBGMと位置づけて、料理優先だと考えていることは間違いない。
もちろんその程度の軽い音楽もあろう。またそうした楽しみ方も存在するし何だって自由であるべきだ。ただ、自分の考えでは心得違いだと断ずるし、そうした店にはよほど特別なことがない限り行くことは絶対ない。まあ、出る側としては、出る場さえあれば細かい文句は特に言わないものか。音楽に対する考え方も人それぞれ違うから迂闊なことは書くべきではない。
ただ、自分が考える「うた」についてだけは、やはり食事に気をとられることなく、観客は集中して耳を傾けてほしいし、そう向き合うべきものだと信ずる。むろん、アルコールだろうと飲み物は全くかまわない。何もクラシックのコンサートのように咳も立てずに堅苦しく真剣に聞き耳を立てろとは言わない。ただ、それが一つのショーだとしても、唄はうたとしてきちんと目と耳で味わうべきものだと思う。そこに舌は入ってこない。
まあ音楽の楽しみ方は人それぞれで、酔っ払って野次飛ばしながら宴会ノリでわいわいがやがや楽しむのみ亭・岡大介スタイルもあるし、千差万別なのだから、ことさらディナーショー形式に目くじらを立てることもないのであった。そうした店に足繁く通えるセレブになれば良いだけの話であるか。
雨は上がったが、今日も一日どんよりとした曇り空。昼間は暖かく春霞と呼べないこともなかったが、午後からはまた木枯らしのような北風が強く吹き荒みまた冷え込んだ。
萎え焦りがちの気持ちは元に戻った。
今日は父を新たに預けるデイサービスの見学に老親二人とも連れて行った。今、父母は週に二日、共に市内にあるそうした施設に通っているのだが、父だけもう一日また別のところに行かせることにしたのだ。さすればこちらの負担はだいぶ軽くなる。
父の認知症が着実に進んできて、トンチンカンさは激しさを増して、徘徊系の大男なので、増坊ではなかなか制御できない。また、目を離すと何をしだすかわからないので、うっかりほっておくことも出来なくなってきている。
まあ、寝たきりではないし、自分で飯も食えるのでうんと手がかかるという事態ではないが、正直始終顔を突き合わせていると、つい些細なことでもガミガミ叱ってしまうし、また抗う。それの繰り返し。そうした諍いは当人もこちらも辛いしうんざりしてきてどしたものかと頭を痛めていた。
まだ確定ではないが、週に三日、施設から迎えが来て、預けてしまえばこちらは母の世話だけで済むので大いにラクになる。自分のことも専念できるのでこれしかないかと思う。当人はもちろんのこと嫌がっているが、お互い最悪の事態に陥る前に打つ手はこれしかないと信ずる。
さて、そんな私ごとはともかく、前回の続き、うたについての話。
世には、ディナーショーなる音楽鑑賞スタイルがある。つまりテーブルを囲みつつ、ステージでは歌い手や楽団が演奏を繰り広げ、客は食事をしながら音楽も楽しむというものだ。それってどうでしょうか。
音楽の楽しみ方は人それぞれだし、美味しい料理に舌鼓打ちながら素敵な音楽にも耳を傾ける。それはゴージャスな人生の楽しみ方であるとも言えなくもない。
しかし、増坊のように、明治生まれの老人に育てられた世代の者としては、テレビを見ながら食事はすべきではないという古い観念が根深く染み付いているし、だいいちフランス料理を食べながらでは音楽に集中できないとまず考える。
こんなことを書くとまたトラブルの種となるので迂闊なことは書けないが、このところそうしたディナーショー形式のライブを催すレストラン的な店が増えてきて、チャージとは別に何かともかく洋食を最低一品は頼まなくてはならないのである。そうした店に行くと、飲み物も注文するので一回のライブで最低でも5000円は何だかんだ払わざる得ない。懐が裕福な方は大した出費でないかもしれないが、自分にはこれは辛い。
そんな店の特徴は、ともかく連日ミュージシャンのライブが入っていることで、店としての音楽の趣味や傾向も特に見られず、ともかくある程度集客力ある、活動歴ある人なら誰でもかまわないようである。つまりそこでは音楽というのは出す食事のBGMでもあり、出演者とは客集めのためのダシであるとも言えよう。
前回も書いたが、今は出演者、人前でライブをやりたい人が多い時代であるから、スケジュールさえ空いていればたいていのミュージシャンは呼ばれれば出演に応じてくれる。昔だったら最低保証の額のギャラを求めたかもしれないが、何しろ時代がこんなであるから、ギャラは客の入りに応じて払うというのがかなり罷り通り、出演者のほうが必死に宣伝もしてくれる。ゆえに、出たい人と、客を呼び込みたい店側の思惑は一致してそうしたライブレストランのような店が増えてきたのだと思える。
そうした店に通う人もいるし、それで商売が巧く成り立ち、ミュージシャンにとってもうたう場、演奏する場が増えるのはとても良いことであろう。人様の商売に対してとやかく言う資格はない。が、個人的感情としてはそうした店はいかがなものかと思ってしまう。これは自分だけか。
というのは、音楽とはいったい何かという考え方の違いでもある。むろん喫茶店で静かに流れるBGMのようなものも確かに存在する。しかし、ミュージシャンが真剣に演奏し熱くうたっているときに、カチャカチャとフォークやナイフの音を立ててもぐもぐ食事しているのも失礼なことだし、聴く側だって集中できやしないはずだ。ディナーショー形式の店というのは、根本的に音楽というものを食事の際のBGMと位置づけて、料理優先だと考えていることは間違いない。
もちろんその程度の軽い音楽もあろう。またそうした楽しみ方も存在するし何だって自由であるべきだ。ただ、自分の考えでは心得違いだと断ずるし、そうした店にはよほど特別なことがない限り行くことは絶対ない。まあ、出る側としては、出る場さえあれば細かい文句は特に言わないものか。音楽に対する考え方も人それぞれ違うから迂闊なことは書くべきではない。
ただ、自分が考える「うた」についてだけは、やはり食事に気をとられることなく、観客は集中して耳を傾けてほしいし、そう向き合うべきものだと信ずる。むろん、アルコールだろうと飲み物は全くかまわない。何もクラシックのコンサートのように咳も立てずに堅苦しく真剣に聞き耳を立てろとは言わない。ただ、それが一つのショーだとしても、唄はうたとしてきちんと目と耳で味わうべきものだと思う。そこに舌は入ってこない。
まあ音楽の楽しみ方は人それぞれで、酔っ払って野次飛ばしながら宴会ノリでわいわいがやがや楽しむのみ亭・岡大介スタイルもあるし、千差万別なのだから、ことさらディナーショー形式に目くじらを立てることもないのであった。そうした店に足繁く通えるセレブになれば良いだけの話であるか。
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