まだまだ厳しい寒さが続く。火の元にどうかご用心を2012年02月19日 00時20分22秒

★自分は運命論者ではないけれど

 2月も半ば過ぎて、例年ならそろそろ春の便りが届く頃なのに、今年はまた寒の戻りが激しくて連日過酷な寒さが続いている。

 余談ではあるが、どうか当ブログの読み手の皆さんも火の元にはくれぐれも注意されたし。

 先日少しふれたライター兼編集者のKさんの火災による事故死は、マンションの彼の部屋からの失火と報じられ、タバコを吸わないのにどうして?と不思議に思われていたが、人伝の話だとどうやらストーブが原因らしい。彼が風呂に入っているときにつけっぱなしだったストーブの火がカーテンか何かに燃え移り、気が付いた時にはもはや延焼激しく逃げ遅れたものらしい。

 今自分も連日薪ストーブを、台所の土間とはいえ室内で直火を燃やしているわけであるが、火の勢いは実にすごいものがあると気づく。ガステーブルの火程度のものなら火力は弱く簡単に消えるし消すことも簡単であるが、いったん薪などに火が付き燃え盛るとその火力はもの凄いものでおいそれと消すことは難しい。

 というのは、先日のこと、ストーブのドアを開けた瞬間、くべた薪を不安定に積み上げていたので中から火のついた丸太が転がり落ちてきた。一応床は煉瓦敷きなのだが、ちょうどそこには小さく砕いた火付用の薪、木端が置いてあって、途端にそれに散った熾きが、つまり赤い火の粉が燃え落ちた。そしたらいきなり炎がいくつもパアッと上がり、驚きパニッくってしまった。
 慌てて乗せてあったヤカンの水をかけたからすぐに火は消えたもののもしその場にいなかったらたちどころに炎は木の柱から壁にも燃え移って、完成して間もない我が家を火事で失っていただろう。
 その程度の火だっだからヤカンの水ですぐに消せたが、今の空気がカラカラに乾いた季節だと一度人の背丈ぐらいまでの火が起きてしまったらもう消すことは絶対にできない。何にでもあっと言う間に燃え移る。もはや命からがら逃げることができるかどうかである。

 起きてしまった火災は避けようも逃げようもないが、だからこそ細心の注意で室内の火の気には用心の上にも用心しなければならない。それこそが火災で亡くなった人からのメッセージなのである。

 さて、このところ出かけて人に会い、またいろいろ失言や失態をしでかし、ひんしゅくを買っている増坊である。後になって、毎度のことながらくよくよ後悔はする。つい浮かれてはしゃぎすぎたとか、不注意であった自分の迂闊さを呪っている。
 しかしこのところはまたこうも思う。人と人とが出会い、関わり合い、そして別れまでもそれは運命ということの一言で片づけられるのではないかと。ゆえに起きてしまったことはそれは避けがたいこと、仕方ないことではなかったかと。

 むろんだからといって肯定はできないし、それを良しとはすべきではない。まして運命だからといって何の努力も準備も考えもしないで何とかなるとか臨んではならないことも確かであろう。全てはまず人事を尽くしてそのうえで天命が下る、つまり運命があるのである。
 人とのトラブル、失敗の都度、自分の愚かさや迂闊さ、ダメさは自ら大いに後になって常に叱責するのだけれど、それは気をつけていても毎度起きることなのだからもはや慢性病、手の打ちようもない病的なものであり、もう鬱々といつまでも悩んでも仕方ないと思えてきた。

 当事者、被害者の方には申し訳なく思うが、そうした関係自体が、実は運命の一環なのであり、ご迷惑をおかけしたが、それもまた仕方ないのかもと思うことにした。つまり、人それぞれはそのあてがわれた配役を演じているに過ぎないのである。被害者であった人もまた別のとき、別の人との関わりのときは加害者役となるというように。人に迷惑ばかりかけている自分もまたある人との関係では迷惑をかけられるばかりの側でもある。
 だから起きてしまったこと、過ぎてしまったことは必要以上にあれこれ思い悩み悔やみ自らを苛んでも仕方ないということだ。お互い様ということばはだからこそあるのだ。

 つまるところ、そうした「運命」の中、一つだけ確かなことは生きているということだけで、亡くなられた方は先にそうした運命共同体から離脱したということなのだと思うことにした。むろん、死者だって別の世界では今も生きていると信ずる。ただ、こちらとあちらは絶対的没交渉であり、我々があちらに行かない限りもう会うことはできないのである。
 向こうではこちらを見守り、様々なメッセージやイメージを投げかけたり示してくれている。が、残念なことに生きるのに日々忙しく身勝手な我々はそれをきちんと受け取ることはできない。生きていくのにあたふたしているうちにその短い一生は終わり、そのときになってようやく気づくのかもしれない。

 ともかく起きてしまったことをあれこれ思い悩んでも仕方あるまい。そんなことに時間かけるより、今まずできること、すべきことを少しづつでも進めていくことだ。
 まだまだすべきこと、できることはいっぱいある。