古民家はともかく金がかかるということ ― 2014年06月03日 22時45分05秒
★人も家も歳と共にその分金がかかることに気がついた。 アクセスランキング: 130位
今日も暑かった。実は昨日月曜の夕方から山梨の須玉にあるウチの古民家へ行って一泊して今夕帰ってきた。
今回は一人で若犬たちだけ連れて行ってきた。温泉にもでも浸かってのんびりできたかというととんでもない。時間がなくて風呂どころかろくに昼飯も喰えず高速をびゅんびゅん飛ばして何とか明るいうちに戻ってこれたという次第。一泊したけれどものすごく疲れていて今は頭の後ろ、首筋が熱持って痛くぼーとしている。
毎度のことながらいつも思うのは、憧れの田舎暮らしのはずが、のんびり休息どころか疲れるために出掛けているようなもので何でかなあと溜息がでる。
実は今回行ったのは、水道が漏水していることがわかり、その修理工事を頼む地元の水道屋との打ち合わせがあって前の晩から出向いていたのだ。
今、その古民家の水道・光熱費、税金なども一切の請求はウチが支払うことになっている。いちおう名義上の変更もようやく終えた。今はせいぜい月に多くても2~3日程度しか行っていないし、このところは泊りもしていないのに、先に請求された水道代は6000円という法外なもので目を剥いた。特に冬の間はほとんど行っていないのにだ。
で、北斗市の水道課に申し立てし調べてもらったら漏電ならぬ漏水しているとのことで、修理すれば減免措置もとれるとのこと。で、管理されていた方からも紹介してくれた地元の水道屋と連絡がとれて工事をお願いしようとまずは来てもらうことになった。親切なオヤジさんで今日の朝一から来てくれていろいろ調べてもらった。
が、漏水場所は突き止められず、もともと古民家でしかもずっと人も住んでいなかったから水道管自体がかなり古くなっていて地下を掘ってすぐにその水漏れ個所がみつかったとしてもまた他からも同様の事態が起きるだろう。ならば新たに管を引き直したほうが良いと諭された。まあ確かにその通りだとも思った。
ただその工事代金が30万円!キッチンと風呂場と洗面所、トイレ、そして庭にある水道まで全部新しく繋ぎ直すので4~5日はかかると言う。まあ、全部新しくしかも今回は室内に管を這わせるのでもう冬でも凍って破裂することはないしこれから先のこと、後々まで考えれば新しく引き直すしかないと思えた。が、その工事代金である。想定外であった。
先の記録的豪雪で、家は潰れなかったものの裏側、つまり北側の屋根の瓦が雪が滑り落ちるのといっしょに何枚も外れて落ちた。また瓦と壁との繋目も長い年月の間に隙間ができたりもしていたのでそれも業者に頼んで修繕してもらった。トイレの水が流れなかったのもリフォーム全般やっているとこだったのでそれもお願いした。その額が16万円で、ようやく先日金を工面して振り込んだところだった。
屋根とトイレが直ったと思ったら今度は水道管からの漏水発覚で新たに全とっかえの工事の話である。マス坊は元よりそんな金はないので、家の貯金を取り崩してあてるしかないわけだが、まったく金ばかりかかってしょうがない。家と出会ったときは良い環境の良い物件、良い話だと飛びついたが家そのものの代金は安くても何だかんだ維持費修繕費がやたらかかる。
まあ長らく誰も住まずどこもかしこも使っていなかったのだから老朽化もして手を入れていかねばならないのは覚悟もしていたが、高速代とガソリン以外にこんなに金が出ていくとは予想もしていなかった。いや、これが当然なのであって毎度のことながら現実を見ていなかった。結婚したことはないが結婚生活というものもこうしたものなのかと思う。
その他、自分で建物内のガラクタもまだ片づけるものが山積みだし、今日も持って行った本や雑誌の搬入と二階の掃除に追われた。水道屋さんとの話はすぐ終わったが。
まあ、室内もすっきり全部片づき、手をいれていく工事も終われば広く快適な古民家でのんびりと山里田舎暮らしができるはずと夢想するが、ともかくやることがいっぱいで目が回りそうな日々が続く。汗と埃まみれになっていったい俺は何をやっているのかと自問もした。無頼庵にお越しの方はご存知のように、自分ちだってろくに掃除も片付けもできていないのに、何でオレは山梨まで来てよそんちの掃除をやっているのだろうか。いや、もうここも自分ちなのだ。一軒だってろくに維持管理できない者が家を二軒抱えている。結婚していないのに妾を二人囲っているようなものなのであろか。
しかし、それもまた縁であり現実であり、そうした定めなのかとも思える。快適な場所ができればそこに人を招くこともそこで何かイベントもできよう。自分にとって良いことだけでなく誰にとっても良いことのはずだ。死んだ友ももっと早くここに連れてきていたらもしかしたら死なずにすんでいたかもとすら考えてしまう。これは自分のためだけでないと言い聞かせて作業進めていく。
そう、人も家も同じで長く歳月を経ればあちこちにガタがくる。ならば当然世話やけるしやたら金もかかるのは仕方あるまい。そしてそうして手をかけられるだけ良いこと、幸せなことなのである。ともかく片付かないことには人を呼ぶことも合宿もできやしない。今年の冬が来る前にはこうした作業は終わらせておきたい。8日はまだ募った参加者は現れないがやはりお一人でも来て手伝ってくれる方がいるならば行くしかないかと考えている。
歳をとればあちこちにガタがきて金がかかる。それは人も家も同じことであった。動かさないと機械は錆びてダメになる。人の体もまた同じ。そうした世の中の必然的「法則」を経験から学んでいく。フツーの人は世知として最初から備わっているそれが自分にはなかった。愚かな自分にとってそれこそが生きること、人生なのだとわかってきた。
今日も暑かった。実は昨日月曜の夕方から山梨の須玉にあるウチの古民家へ行って一泊して今夕帰ってきた。
今回は一人で若犬たちだけ連れて行ってきた。温泉にもでも浸かってのんびりできたかというととんでもない。時間がなくて風呂どころかろくに昼飯も喰えず高速をびゅんびゅん飛ばして何とか明るいうちに戻ってこれたという次第。一泊したけれどものすごく疲れていて今は頭の後ろ、首筋が熱持って痛くぼーとしている。
毎度のことながらいつも思うのは、憧れの田舎暮らしのはずが、のんびり休息どころか疲れるために出掛けているようなもので何でかなあと溜息がでる。
実は今回行ったのは、水道が漏水していることがわかり、その修理工事を頼む地元の水道屋との打ち合わせがあって前の晩から出向いていたのだ。
今、その古民家の水道・光熱費、税金なども一切の請求はウチが支払うことになっている。いちおう名義上の変更もようやく終えた。今はせいぜい月に多くても2~3日程度しか行っていないし、このところは泊りもしていないのに、先に請求された水道代は6000円という法外なもので目を剥いた。特に冬の間はほとんど行っていないのにだ。
で、北斗市の水道課に申し立てし調べてもらったら漏電ならぬ漏水しているとのことで、修理すれば減免措置もとれるとのこと。で、管理されていた方からも紹介してくれた地元の水道屋と連絡がとれて工事をお願いしようとまずは来てもらうことになった。親切なオヤジさんで今日の朝一から来てくれていろいろ調べてもらった。
が、漏水場所は突き止められず、もともと古民家でしかもずっと人も住んでいなかったから水道管自体がかなり古くなっていて地下を掘ってすぐにその水漏れ個所がみつかったとしてもまた他からも同様の事態が起きるだろう。ならば新たに管を引き直したほうが良いと諭された。まあ確かにその通りだとも思った。
ただその工事代金が30万円!キッチンと風呂場と洗面所、トイレ、そして庭にある水道まで全部新しく繋ぎ直すので4~5日はかかると言う。まあ、全部新しくしかも今回は室内に管を這わせるのでもう冬でも凍って破裂することはないしこれから先のこと、後々まで考えれば新しく引き直すしかないと思えた。が、その工事代金である。想定外であった。
先の記録的豪雪で、家は潰れなかったものの裏側、つまり北側の屋根の瓦が雪が滑り落ちるのといっしょに何枚も外れて落ちた。また瓦と壁との繋目も長い年月の間に隙間ができたりもしていたのでそれも業者に頼んで修繕してもらった。トイレの水が流れなかったのもリフォーム全般やっているとこだったのでそれもお願いした。その額が16万円で、ようやく先日金を工面して振り込んだところだった。
屋根とトイレが直ったと思ったら今度は水道管からの漏水発覚で新たに全とっかえの工事の話である。マス坊は元よりそんな金はないので、家の貯金を取り崩してあてるしかないわけだが、まったく金ばかりかかってしょうがない。家と出会ったときは良い環境の良い物件、良い話だと飛びついたが家そのものの代金は安くても何だかんだ維持費修繕費がやたらかかる。
まあ長らく誰も住まずどこもかしこも使っていなかったのだから老朽化もして手を入れていかねばならないのは覚悟もしていたが、高速代とガソリン以外にこんなに金が出ていくとは予想もしていなかった。いや、これが当然なのであって毎度のことながら現実を見ていなかった。結婚したことはないが結婚生活というものもこうしたものなのかと思う。
その他、自分で建物内のガラクタもまだ片づけるものが山積みだし、今日も持って行った本や雑誌の搬入と二階の掃除に追われた。水道屋さんとの話はすぐ終わったが。
まあ、室内もすっきり全部片づき、手をいれていく工事も終われば広く快適な古民家でのんびりと山里田舎暮らしができるはずと夢想するが、ともかくやることがいっぱいで目が回りそうな日々が続く。汗と埃まみれになっていったい俺は何をやっているのかと自問もした。無頼庵にお越しの方はご存知のように、自分ちだってろくに掃除も片付けもできていないのに、何でオレは山梨まで来てよそんちの掃除をやっているのだろうか。いや、もうここも自分ちなのだ。一軒だってろくに維持管理できない者が家を二軒抱えている。結婚していないのに妾を二人囲っているようなものなのであろか。
しかし、それもまた縁であり現実であり、そうした定めなのかとも思える。快適な場所ができればそこに人を招くこともそこで何かイベントもできよう。自分にとって良いことだけでなく誰にとっても良いことのはずだ。死んだ友ももっと早くここに連れてきていたらもしかしたら死なずにすんでいたかもとすら考えてしまう。これは自分のためだけでないと言い聞かせて作業進めていく。
そう、人も家も同じで長く歳月を経ればあちこちにガタがくる。ならば当然世話やけるしやたら金もかかるのは仕方あるまい。そしてそうして手をかけられるだけ良いこと、幸せなことなのである。ともかく片付かないことには人を呼ぶことも合宿もできやしない。今年の冬が来る前にはこうした作業は終わらせておきたい。8日はまだ募った参加者は現れないがやはりお一人でも来て手伝ってくれる方がいるならば行くしかないかと考えている。
歳をとればあちこちにガタがきて金がかかる。それは人も家も同じことであった。動かさないと機械は錆びてダメになる。人の体もまた同じ。そうした世の中の必然的「法則」を経験から学んでいく。フツーの人は世知として最初から備わっているそれが自分にはなかった。愚かな自分にとってそれこそが生きること、人生なのだとわかってきた。
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