「あいときぼうのまち」を観て考えたこと2014年06月20日 00時46分40秒

★「原子力」という業を背負わされた日本人必見の映画   アクセスランキング: 92位 

 痛みを悼みに、そして希望につなげていく。
 19日、話題の映画、「あいときぼうのまち」を六本木シネマートで試写で観てきた。
 低予算のインディーズ映画ということもあって、正直、拙さというか気になる点もなくはなかったが、志のある良くできた深い余韻をもたらす佳作だと思う。実際の原発事故、大震災に材をとって東電の実名を挙げ難しい物語を紡ぎ上げた関係者諸氏に敬意を表する。

 ふと、故若松孝二の「実録・連合赤軍」を思い出した。あの映画は見終えた後しばらくの間は足が震えて席を立てなかった。それほどの衝撃はないが、時間が経つにつれてその痛みと悼みは、じわじわとボディブローのように効いてきた。苦い思いを反芻した。そして気がついた。四代にわたる福島の原発に翻弄されたある一家一族の物語であるが、それはそのままこの自分も含めた日本人そのものの「物語」なのだと。

 この映画の主人公というのは、原発事故後、現在東京に一家を上げて避難してきた16才の少女・怜なのだが、彼女は深く心を閉ざし見知らぬ男に体を売るなど自暴自棄に生きている。
 その彼女の祖母である愛子の震災前の日常とやはり孫と同じ16歳の頃―――それは、福島原発建設に地元が大きく揺れ動いている頃、少女時代の愛子の姿なのだ――が交互にカットバックして描かれ、そこにさらにまた愛子の父の若き日の姿も加わる。戦時中、学徒動員でウランを含むとされる鉱石を山の中で汗まみれで切り出している15歳の少年だ。
 だからかなり重層的かつ複雑な構成で最初は個々の登場人物の関係が良く見えてこないのでかなり混乱する。が、観ているうちにしだいにバラバラだった各人が全て一つに繋がってこれは福島に住んでいた原子力に翻弄され続けた一家四代にわたるカルマ(業)の物語なのだと見えてくる。

 まだ一般劇場公開されていないのでこれ以上書くべきではないと思う。が、初めて知ったことだが、この国でも鳥取県の人形峠以外でも原子力爆弾製造のため、僅かに含まれるウラン鉱石を求めて戦時中に採掘が行われていたこと、しかもそれに従事させられていたのは地元の中学生たちだったことには驚かされた。
 そしてそのときの少年が後年、大人になって地権者の一人として原発建設のための土地買収騒動に巻き込まれ、最後まで抵抗したものの無念の死を遂げる。彼の娘愛子は16歳の孫娘怜を持つ祖母になり、あの3.11のその日を迎えるのである。※実際の津波映像をも交えたそのシーンは圧巻で身震いさえした。そして被災後、一家で東京に避難してきた怜は自暴自棄となり非行に走っていく。

 だから当然のことこの映画は実に重苦しい。時に観ているのが辛くなるぼどかなり痛みを伴う。が、しだいにその痛みは悼みへ、さらにようやくラストではかすかだが確かな「希望」が見えてくる。
 それはこの一族の抱えていた原子力というカルマ、この一族を70年も翻弄し縛ってきた負の業は四代目の少女の強い決意によってやっと溶け空へと消えていくのである。亡き先祖たちの魂も救われていく。

 日本と日本人も広島と長崎に原子爆弾を落とされた。何十万人もの人々が命を暮らしを奪われた。そして今もまた原発事故という原子力によって直接の死者はいなくても関連死も含めれば多くの犠牲者を生み出した。ふるさとを失い、今も避難所生活を余儀なくされる人々がいる。
廃炉に向けて作業は進みつつも事故そのものの収束のメドは全く立っていない。
 なのに、政府と東電及び各電力会社は、原子力発電所をなくしていくどころか、国家の重要な電源ベースとして位置づけ、またもや原発を次々再稼働すべく安全審査申請中なのである。新たな建設をも否定していない。さらには海外にまで原発を輸出していく。

 これではこの国が背負っている原子力という負のカルマは永遠に消えやしない。このままでは原子爆弾で死んだ人たちも浮かばれない。
 原発と原子爆弾は違う、と映画の中でも原発誘致派は声を大にしていた。が、つまるところ、戦争も原発も国策であり、いつだってその国策=国家の意思によって翻弄され、被害を受け、苦しむのは国民である限り図式は全く同じなのだ。無謀な戦争さえ起こさねば広島、長崎への原爆投下もなかったわけだし福島の事故も原子力の平和利用という「国策」の結果、必然的にもたらされたのだ。

 原子力とは本来人間と共存できるものではなかった。それを絶対安全「明るい未来のエネルギー」と謳い上げ、広島長崎の教訓を無にしてしまった。日本が背負った「原子力」のカルマは今も続いている。今こそ、そのカルマから脱しないと末代までその業は続いていく。それでは死んだ者も生きている者もこれから生まれてくる者も救いがない。

 「あいときぼうのまち」。怜の吹くホルンの響きに耳を傾けよ。我々日本人はこの追悼の物語を観るべき義務がある。原発をなくしていく責務がある。
http://www.youtube.com/watch?v=Duw9Gw40fs8