不戦国家から戦争国家へ~想像力が欠如した時代に生きている2014年06月13日 07時41分48秒

★あまりにも短絡的な「自衛権限定行使」容認論

 曇天続きの梅雨のまっ最中であるが、今朝は珍しく久々に朝から強い陽射しでカラッと晴れた。暑くなりそうだが気持ちの良い朝だ。  
 降り続いた雨で、どこもかしこもしっとりジメジメしているが、これで少しはスッキリ乾くかと思う。が、大気はまた不安定、夕方からは所によって傘マークの予報である。

 さて、今一番の問題、「集団的自衛権」行使容認についてである。憲法じたいを変えるのには時間もかかり手続きも大変だからと、まずは不戦の誓いの部分、九条を骨抜きとすべく、一政権だけで勝手に解釈として集団的自衛権を行使できるように、つまり海外ででも日本国が攻撃されていなくてもどこでも「戦争ができる」ようにしようということになった。
 むろんこれには多くの良識ある国民、学者、メディア・マスコミ、左派文化人、一部の政治家たちも大いに反対している。が、暴走安倍政権はそんなことはどこ吹く風、与党間、公明党との協議を加速させ解釈改憲を果たそうとしている。まったく呆れを通り越して憤りと絶望的な気分にもなろう。
 けっきょく抵抗していた公明党も自民に引きずられ「限定的なら自衛権容認」に傾きつつあるとのことで、「平和の党」を標榜していたはずの党が、あろうことか「戦争の党」となっていく。後年、日本を再び戦火に陥れたとして自公は厳しく歴史家と未来の日本人たちに糾弾されることであろう。むろんそれを許した国民、今生きている我々をも。

 それにしても思うのだが、「限定的」ならば自衛権を行使しても良いのであろうか。また、それならば戦争自体が抑制され大規模な事態に至らぬとでも本気で公明党などは考えているのか。

 考えなくてもいいから想像してもらいたい。他国や、外地における武装勢力との戦争に至る武力衝突がいったん起きたらば、現実のはなし、これは日本ができる、できないなんて討議している時間も余裕もありゃしない。同盟国から要請されればこれまでのように憲法上の制約があるからという口実は使えないのだから、何でもやらなくてはならない。それこそが国際社会での国家の責任であろう。

 そしてひとたび戦闘行為が起きて日本もそれに参加してしまえば、事態は簡単には収まらなくなる。今イラクをはじめ世界中に治安悪化の紛争地域はいくつもある。その多くは「世界の警察官」米国が関係してその紛争の要因に深く関わっている。ひとたび米国がその他国や他国の武装勢力から、例えばイスラム過激派から攻撃され戦闘行為、つまり戦争となれば日本も参戦するのである。戦争に積極的に関わっていく。それが集団的自衛権を行使するということであり、限定的も何もありゃしない。
 要するに戦争とは、するかしないかでしかなく、ちょこっとだけ戦争してさっさっと終えられるものでは絶対ない。海賊退治ならば武力を用いて解決をはかることも可能かもしれない。相手も懲りて、慌てて逃げて無法行為は終わりとなるかもしれない。
 しかしこと国家間の戦闘となってしまえば、そこには互いの国家の正義と民族の誇り、面子も大きく関係していく。仮に日本と近隣諸国が領有権を主張している離島で戦闘行為が起きたとする。かつての英国とアルゼンチンがフォークランド諸島をめぐって戦争したような事態。そして双方の軍隊に死者がでたと想像してほしい。

 戦争の勝ち負け、最終的収束はともかくも、一たびそうした事態が起きてしまえば、この日本の国内はどうなるのか。国内にいるその外国人、在日外国籍の人たちには厳しい憎しみの目が向けられよう。かつて朝鮮学校の生徒たちに起きたような嫌がらせ、差別のような事態が彼ら外国人、外国籍の人たちに当然起きる。それは彼らと結婚し彼らの一方を両親に持つ日本人の子供たちにも向けられる。国中がヘイトスピーチ的風潮に包まれることも大いにあり得る。

 それは米国での、2001年9.11同時多発テロ直後の、在米イスラム、アラブ系人種に対するいわれのない差別偏見と同根であり、かつての真珠湾攻撃後の米国社会における日系人を収容所に集めた心理とも繋がる。
 つまりひとたび国家間、異人種間の戦闘行為が始まり死者が出てしまえば、その国にいる敵国人、ガイジンたちに憎しみの目が向けられ様々な嫌がらさせ排斥、弾圧が起きることはどこの国でも同じなのだ。
 日本と中国との間に戦争行為が起きてしまえば、日本にいる中国人が、中国に滞在している日本人がその国の人たちに排斥されていく。それはどこの国でも同じ事だ。敵国の外国人がその国にいれば憎しみと怒りは彼らに向けられるのは人間の心理なのだ。それは当然であろう。
 愛する人がその外国の兵士に殺されたとする。身近にその外国籍の人たちがいたら当然彼らをも憎む。決して赦しはしない。坊主憎ければの心理である。それは仕方ない。そしてその憎しみは長く続く。
 ならばそうした事態が起きないように努力するしかない。戦争はするかしないかしかないのである。ならば今の憲法に明記してあるように、国家間の紛争は武力によって解決をはかっては絶対にならないのである。
 ひとたび戦争が起きてしまえば、その後数代にわたって国家間の国民たちの間に禍根を残す。面倒な心理が生まれる。今だって東アジアの人たちはかつての日本が起こした侵略戦争を赦していない。
 戦争とはサッカーの試合のような終わっても爽やかなものではない。一たび戦争が起きて死者が出たらあとは残された人たちにとっても地獄が始まる。