世界は大きく変わっていく~武力行使、政権の裁量 閣議決定へ2014年07月01日 07時56分19秒

★不戦の誓い、平和憲法を解釈で捨て去る「三代目」。         アクセスランキング: 125位

 6月1日、新しい朝が来た。外はこの季節珍しく晴れわたり陽も出ている。今日は暑くなろう。
 残りの人生がどれだけあるのかわからないがもう一度人生を生き直そうと思った。大変な時代であるからこそこのままでは死んでも死にきれない。本当に悔いなきよう、守りではなく攻めの気持ちで改めて生きて行こうと思った。
 世の中、人のために生きる。結果そのことが自分のためにもなると信じて。そして日々感謝の心を忘れずに。

 待つことも大切だが、待っていてはいつバスが来るか、来ても停まってくれるかわからない。ならばじっとそこでただ待つのではなく、少しでも自分の足で目的地に向かって歩いて行こう。ドアは自ら叩かない限り開かないのだから。
 すべてのことには意味がある。この大変な時代に生まれてまだ生きていることの意味を問いつつ、なすべき使命を果たしていこう。期待もしないが、絶望も諦めもしない。時として喜びは喜びとして哀しみは哀しみとしてやってくるだけだ。それを粛々と受け入れていく。

 神は人の願いと努力の分に応じて報い応えてくれるならば、いや、たとえそれが正当な値でないと思えてもやっていくしかない。

 このところこんなことを考えている。

 戦後69年だと先の沖縄戦追悼の儀式で語られていた。
 ということは実に長きにわたり戦争のない平和な時代が続いてきたことになる。70年もたてば揶揄としてうたわれた「戦争を知らない子供たち」ばかりに日本の国民はほとんどとなってしまったわけである。

 そして今、日本をとりまく国際環境の変化を理由に、憲法という国家の最高法規を一内閣の解釈で真に身勝手に根底から変えようとしている。もう何度も書いてきたし多くの方も自明のことだから繰り返さないが、要するに戦争はしないと武力行使を自ら禁じた国家の方針、憲法に書いた誓いを変え捨て、これからは日本もときの政権の判断で海外でも武力を行使する、戦争に参加できる、戦争ができるようにしていくということだ。
 また怖いのはそれを許容する世間の雰囲気もあって、心、良識ある人たちは今大きく反対、阻止の声を上げているけれど残念ながらその勢いは国民的大勢にはまだなっていない。このことがどれほど危険か問題なのか、無関心でよくわかっていない人たちも多いと思える。家のトップが勝手に決めたとしても家族はそれに唯々諾々従う覚悟はできているのか。

 筆者マス坊は平和憲法堅持を強く願う者であるが、今日のような状況に至ったのは、戦後も約70年近く過ぎると「本当の戦争」というものを知る世代が減ってしまったからだと考えている。そのことについて書いてみたい。

 俗に昔から「家」とは三代以上続けば安泰と言われている。ならばそれは商家、企業に限らず家の集合体「国家」もまた同じであろう。
 初代が興した家を守り続けさらには隆盛させられるかあるいは没落させるかは三代目の手腕にかかっている。
 つまり、初代はがんばって苦労して家を興した。二代目はその初代の子として間近に見ていたからその苦労と家訓を忘れない。初代も二代目に語り継ぎ志を継いでいく。が、三代目となると初代は既に亡く家もしっかり成っているのでそれが当たり前だと思い、金もあるので結局商いそっちのけで放蕩三昧にふけってしまいには家を潰してしまう。
 江戸川柳の「売家と唐様で書く三代目」はそうした初代の志を忘れて道楽にふけって家を潰してしまった三代目の当主を嘲ってのうたであるが、今の日本人こそその「三代目」ではないのか。

 ※これから山梨へ行く急用があるので全部書ききれなかった。戻ったら書き足すかします。

「うた」の力を今こそ信じて~善良な市民よ、立ち上がれ!2014年07月02日 16時12分09秒

★清志郎の遺した「うた」は今も力を持つ            アクセスランキング: 106位 

 山梨の山里から帰ってきた。
 今さら記すまでもないが、自公政権は、昨日7月1日、集団的自衛権の行使容認の閣議決定をした。つまりこれまでの憲法の解釈を変えて、この国、日本も攻撃を受けていなくとも他国、外国へ行き戦闘行為、戦争に参加できるようにするということだ。これから法整備を整えて国会に諮っていく。与党自公及び右翼政党多数の現国会ではそのまま「行使容認」が法律として確定していくだろう。

 しかし、そのことは現行憲法ではっきり禁じられている。それを「解釈」として憲法を変えることなく一内閣、一国会で「可能」とすることは、果たして三権分立を考えれば異常というかそもそも許されることなのであろうか。
 これは一つの権力が勝手に暴走したクーデターであり、まっとうな法治国家ではあってはならないことではないのか。司法の立場が何故これを諌めないのか、国家の最高規範である憲法をないがしろにした憲法違反である、と断じないのか不思議でならない。衆参一回の選挙で議席を得た政党、政治家が勝手に国の未来さえも決定づける権利があるのか。
 
 これまで戦後ずっと続いてきた「専守防衛」というスタンスを変えて、積極的に戦闘地域に、日本も「国際貢献」の名の下に戦争に参加していくことになる。そのとき、その先に何があるのか。何が待っているのか。残念ながら多くの日本人は想像すらできていない。

 さて、今朝は山梨の古民家で目覚めた。そこはパソコンもインターネット環境もテレビすらない。マス坊は携帯はあるけれどメールすら読めも書けもしない。
 仕方なく、ラジカセのラジオで、一番よく聴こえる八ヶ岳周辺に向けた地域コミュニティFMを常時設定してBGM的に流している。ただ、それは地元局の制作の番組は本当に内容もなく、どこそこで何々の集いがあるとか、何々を開催中とか地域のお知らせと気の抜けたインストしか流さずラジオとしての態をほとんど成していない。
 ただ、そうした地方局は、新聞の地方紙と同じく、出来合いの「番組」を配信(供給=契約して購入)してもらっているようで、自局政策とは打って変わった今風のDJが語るおしゃれなラジオ番組も朝晩は流れてくる。

 その地域FMで今朝、ミュージックバードから供給を受けた「モーニング・コミュニティ」という放送が朝7時からやっていた。自分は起きてコーヒーを入れたりしていた。
 男性DJがトップニュースとしてやはりまずは、と切り出したのが「自衛権行使の閣議決定」についてで、これは日本の将来についてとても大きな大事なことであり賛否両論あるし、昨日は反対する集会もあったが、今の国会では賛成する勢力が多いので・・・、と口ごもり、野党のふがいなさについても嘆じ、これからも目が離せないと話を結び終え曲をかけた。
 それが忌野清志郎の「善良な市民」であった。思わず手をとめ耳をすました。

 拙ブログの読者ならばご存知かと思う。
 今は亡き清志郎が2004年だったか発表した曲で、「泥棒が 憲法改正の論議をしてる コソ泥が 選挙制度改革で揉めてる でも 善良な市民は 参加させてもらえず また 間違った人を選ぶ 泥棒が 建設会社に饅頭を貰ってる 金屏風の陰で ヤクザと取引してる でも 善良な市民は・・・」と政治意識の低いこの国の小市民的国民性を鋭く糾弾したうたである。
 この曲はまさに「今」のことを唄っていると鳥肌が立つ思いがした。うたは、「善良な市民は見知らぬ土地で弾にあたって死ぬだけさ」、と結ぶがこの集団的自衛権行使閣議決定の今、恐ろしいことに清志郎の懸念したことがまんま「現実」となってしまったのである。
 そして今日、閣議決定を報じた放送の中ですぐさまこの曲を流したDJ及びスタッフの勇気とセンスに大いに感心した。心から敬意を表する。何も語らずとも彼らの思い、志が伝わってきた。

 そして思った。おそらくこれからはこの曲は大手民放ではスポンサーの関係から「放送禁止歌」として流すのを自粛させられるだろう。しかし、いかに権力者たちがこの曲、清志郎の残したプロテストソング「善良な市民」を国民が聴けないよう、手を尽くしたとしてもインターネットの時代、様々なところから曲は流れるし唄われていくはずだ。
 そして今ならば一度でもこの曲を耳にすれば、いくら善良な市民であろうとも我が身に照らして思い当たることがあるだろう。そして思うはずだ。戦争に行くのは自分や自分の身内なのだと、そんなのまっぴらごめんだと。もう絶対やつらに騙されない、間違った人は選ばないぞと。

 今、事態を受けて連日国会や首相官邸前で多くの人たちが連日抗議活動を続けている。そのことはとても大事であり自分も駆けつけたいしそうすべきかとも迷う。ただ、なかなか諸般の事情もあり行くことはかなわない。仕方なくブログなどで思うところを書いているだけだが、今朝のFMから流れてきた「善良な市民」を改めて聴いて、これだ!と思わず膝をうった。
 うたの力なのだ。ビクトル・ハラを挙げるまでもなく、時の権力を批判し唄をつくり、唄って当局に逮捕され殺された歌い手もいた。文学の力、文字の力も大きいけれど、それは媒体としてやりとりしなくてはならない。また、読む、読んでもらうという行為を求められる。
 うたはそうではない。「うた」としてただあるだけで良い。街角でその歌が流れ、人は聞けば心を動かされる。考えさせられる。そしてその歌は人から人へと歌い継がれ、人の心を、世界をも変えていく。

 自分がこの大変な時代にできること、すべきことをずっと考え続けていたが、ブログで思いのたけを発信したとしてもどれだけの人に伝わるか正直疑問に思っていた。
 読んでくれるのはたぶん皆同じ思いの人たちだけであろう。それでは世界は何も変わらない。わかってくれる人はわかるし伝わる人だけに伝わるのでは何も広がりはしない。
 だから「うた」なのだ。拙いけれど思いを「うた」にして、そして同じ思い、考えを持つ仲間たちの「うた」をもっと広く世界に向けて「発信」していく。YouTubeなどのサイトにも積極的にアップさせていく。いまならそれが可能だし有効利用、活用しない手はない。

 幸い自分には多くのプロテストソングをうたうシンガー仲間もいる。彼らとはかって、歌の力で世界を変えていく。

 清志郎はもういない。が、彼の遺した歌は今もなお大きな力を持ち世界を動かしている。ならば彼に倣って「うた」の力を今こそ信じて善良な市民たちの心を動かしていく。非力無才の我が身にどこまでできるかわからない。だが、自分ができるだけのことはやっていく。
 そう、今まさに「泥棒が国際貢献をしたがっている 大義名分を掲げまた二枚舌を使う でも善良な市民は見知らぬ土地で弾にあたって死んじまうだけさ」なのだ。

 諦めては世界は変わらない。自分たちはどんな世界にしたいのか、強く望みJ・レノンのようにイメージしていくことだ。うたの力を信じていこう。
 ...
http://youtu.be/wyFbtwp_ggk

「月刊 中川五郎」7月号 告知2014年07月03日 14時39分28秒

★今月の「月刊 中川五郎」は7月12日の土曜日~バンジョー律五郎の登場だ! アクセスランキング: 113位

 大変な時代である。だが、1960年代半ばからずっと時代と共に、フォークソングの志を失わずに唄いつづけてきた男がいる。

 我らの中川五郎、そう、フォークは民衆のうたとして、プロテストソング、トピカルソングを中心に、実に活動歴は半世紀に及ぶ。反骨の人ピート・シーガーの楽曲を訳して唄って彼の右に出る者はいない。

 今回はそれにバンジョーの達人村上律も加わる。私ごとであるが、拙宅無頼庵のオープニングライブにはこのお二人、律五郎で出ていただいた経緯がある。その素晴らしい超ベテランお二方の河辺、W・サルーンでの初顔合わせだ。楽しみ至極、皆さんぜひぜひご来場乞う。今回は特に必見だ!
 
 軍靴の響きが近づく大変きな臭い時代に「うたの力」をぜひ体験、確認頂きたい。

★ W.Sloon (だぶる さるーん) 〒198-0036 東京都青梅市河辺町5-12-11 和智ビル3F 0428-25-3577(対応時間/18時~22時) http://w-saloon.asia/ もよろしくご参照を。

この道はいつか来た道・・・か2014年07月04日 21時08分38秒

★歴史はただ繰り返すものか           アクセスランキング: 111位

 この数日、体調は最悪で気分まで落ち込んでいた。解釈改憲、集団的自衛権の行使容認ということもあったが、ともかく疲れすぎた。
 29日のさこさんのライブの直後、山梨へ一人で行き、一泊はしたものの向こうで先日青梅から運んだ本の山の整理分別などして、温泉にはちょこっと入れたものの翌日も早朝から働きづくめで昼近くに帰ってきた。
 おまけにその晩は国立でウチのプロデューサー氏と今後のことについて意思統一の飲み会があり、ストレスからついしこたま呑んでしまい翌日まで酒が残り後悔した。やはり酒は人を落ち込ませる、BADなものだと改めて確認した。

 ようやく昨日あたりから気持ちも戻って、また気を取り直してやっていこうという気持ちになれた。そして都心にでた。
 飯田橋ギンレイで、山田洋次監督の「小さいおうち」と是枝の「そして父になる」の二本立て。どちらも海外でも評価が高かった話題作で、もうビデオが出る頃だったが、やはり映画館で観ておこうとやや無理を押して行ったのだ。
 その二作ともかなり満足できた。良い映画であった。むろん今一番佳作を撮り続けている是枝監督の話題作は期待通りの出来で大満足したが、あまり自分としては昔から買っていない山田洋次も良い出来でついほろりとさせられた。やはり映画とは役者が良いとそれだけでも見せてしまうものなのだ。
 黒木華演ずる女中の目を通して戦前戦中の山の手の市民生活を描いた作品だが、時代考証も含めてかなりそうした雰囲気はよく出ていた。まあ、奥様が心寄せる芸術家の役、吉岡君は毎度の演技で、如何なものかと思うが。
 決して大きな声で言わないけれど、山田監督の反戦への強い思いが伝わってきた良作だったのではないか。

 最近よく考えるのは、歴史とはいったいどういう仕組かということだ。つまり、ニンゲンの本質など古代からさほど変わるものではないから、ただ単純に繰り返していくものと考えるか、繰り返してはいるがそれは過去のものとは違い日々進歩発展、向上しているかということだ。

 多くの文明では、昔の日本人も、仏教的史観も含めて、歴史はただ単純に繰り返すと見ている。つまり文明が次第に栄えてはやがては滅び滅亡するし、戦争と平和は交互に繰り返していく。それは寄せては返す波のようなもので、栄枯盛衰の繰り返し、それが歴史だと見る。
 いっぽう、キリスト教とマルクス史観では、人間は進歩していく動物だから過去から教訓を学び似たようなことを繰り返しつつもしだいに精神的、人間的に過去より発展向上して良くなるとする。
 どちらが正しいかは答えなどでない。そこには歴史とは、人間とはどういうものかという見方しかない。

 ただ単に繰り返すとみるならば、確かに世代も変わって昔のことなど知る者は少なくなれば過去の教訓などふり捨ててまた懲りずに人は愚かな過ちを繰り返すだけだから今の時代、この日本の姿もまた当然であろう。
 そしてまた多くの戦争犠牲者を出してまた改めて、戦争はいけないことだ、してはならないと認識してまたも不戦の誓いを立ててしばらくは平和が続く。しかし何世代か過ぎるとまた懲りずに戦争を企てていく。
 いっぽうマルクス的というか社会科学的に見れば、歴史は常に過去から学び進歩発展中なのだから、どんな時代が来ようと、過去に戻ってしまったかのように一時は見えても実は過去の繰り返しではなく、必然的にこれでも発展中、人類は進歩しているのである。つまり一見同じようなことを繰り返していてもらせん階段を上っていくように高次へと向上しているはずだと。

 皆さんはどうお考えか。キリスト者としてみれば、これもまた神の意志であり、試練として受け入れていくしかないし結果そのことで魂も向上していくと考えるのであろう。人は常に愚かなものであるし、どんなことも経験でしか学ばない。凡百の理念や理屈を繰り広げても一つの経験に勝るものなどないとも思える。
 つまり人類の進歩と発展のためには幾多の試練を潜り抜けそうした失敗を繰り返して少しづつ向上していく、発展していくものだと考える。

 映画「小さいおうち」の中で、アメリカや西欧列強に対して不満を抱いていた当時の日本人、それも市井の庶民たちが、ハワイの真珠湾攻撃の報で大喜びするシーンが描かれている。やったぞ、ばんざーい、ばんざーいと酒屋のオヤジなど大喜びであった。じっさいそれが当時の庶民の本音であったと思える。先のことなど何一つ予想も予測もできず、屈託した不満を戦争で晴らす、日本を舐めてきた外国にぎゃふんと言わせてやろうという子供じみた心理であったかと想像する。
 幸い、自分も含めて今生きている我々はその戦争の結果、結末は知っている。その犠牲と代償はあまりにも大きかったのではないか。

 そして今もまた、仮想敵国に対して、戦闘行為でものを言わしてやれという主張がマスコミでは大手をふっている。そうした心理と連動してついにじっさいに戦争ができる国家へと日本はなっていく。果たしてまた戦争の時代が起きるのか。歴史はただ単純に繰り返すだけか。それとも人はそこから学び、過ちを繰り返すことでまたもや学ぶのではなく過去から学んで戦争という過ちは繰り返さないで済むか。
 その答えは近く、おそらく自分が生きているうちに出るはずだ。

 この道はいつか来た道、でも歩んでいる我々は昔の彼らとは違うと信じたい。

これからの予定などざっと2014年07月05日 21時04分04秒

撮影:三留まゆみ
★2014年後半の無頼庵関連予定を             アクセスランキング: 112位

 さこ大介兄いのうたに「やまない雨」というのがあるが、外の降り続いていた雨は今夜になってようやく上がったようだ。はっきりと覚えていないが、先月29日の日曜、そのさこさんのライブの日から時おり陽射しが射すことはあっても雨の降らなかった日はないのではないか。
 おまけにウチのほうは東京の田舎だからかともかく寒い。まあ、冬の寒さには及ばないものの、炬燵など暖房がない今は気温が20度前後の雨の日は親たちは寒い寒いと大騒ぎである。
 幸い明日は晴れて久しぶりに30度近くまで気温が高くなるとのこと。明日は両国の江島杉山神社で二年ぶり四回目となる隅田川フォークフェスティバルがある。

 前回から自分は関わっていないし体調ももう一つでどうしようかと迷っていたが、岡大介さんから今日電話ももらったので行かざるえなくなった。まあ、一観客としてのんびりとその岡さん、中川五郎さん、くもりなたちや旧知の歌い手さんたちの熱いステージを楽しませてもらおうと思っている。
 何であれ、こうして断続的にでも隅田川フェスが続いていくことは良いことではないか。特に今年は、主宰国崎氏としては彼の人生を大きく決定づけたピート・シーガーが今春亡くなったことで追悼の思いを込めた特別な集いとしたいのであろう。みほこんを誘ったがふられたので行く気持ちは萎えていたがやはり楽しみである。
 ※場所、時間、出演者など詳細は。拙ブログ6月28日付けにチラシ載せてあるので参照して頂きたい。

 さて、今年後半最初の月、7月に入っている。いつもなら月頭に無頼庵の予定などを記しておくのだが、多忙と疲労とで何もできなかった。明日も出掛けることになるが、一応決まっていることだけ順次記しておく。

 まず、今月のウチのライブイベントは、26日土曜日に、詩人たちを招いての初夏の「詩朗読ライブ」がある。出演者はまだ世話役の詩人から連絡がないので発表できないが、私ごとだけお知らせすれば、その日、マス坊は有馬敲さんの詩に曲をつけたものをできるだけ多く唄います。そしてそれを録画して、失敗してなかったらば、YouTubeにアップさせていこうと考えている。

 京都の詩人有馬敲さんの詩に曲をつける活動はもう何年も続けていて、みほこんら何人かの歌い手さんには「完成曲」を唄ってもらっていた。が、やはり作曲した者として、シンガー活動をしていないからこそ、ここらできちんと世に公表、公開して願わくばご意見など賜りたいと思った。そう、広く誰にでも聴いてもらいたいと思った。
 いずれきちんと本格的に相方バイオリンのみほこんとスタジオで録音録画する予定ではいるが、何としても今年の終戦記念日までに「広島のクスノキ」他数曲は上げたいと強く思い、ともかく直近のその日にやってみることに思いたったのだ。

 正直なところ、ギターもうたも練習はこのところしていないし自信も何もない。が、少しでもそうしたことを記録して世に発し問うていかないと何も残らない。恥を承知で拙いけれど「音楽活動」に本腰を入れていきたい。たぶん、詩朗読の後に、おまけのようにやるかと思うので、その録画のときは参加費は不要ですので興味と冷やかしの方はそれだけでもお気軽に来てください。

 8月は、三留まゆみの映画塾が復活の予定であるのだが、センセイはまた出張映画塾などで多忙のようで、なかなか連絡もつかないし、日程が出てこない。ただ、25日は、ハヤシヨシオメモリアルクラブでやるかはともかく、たぶん無頼庵で有志が集い「サマークリスマス」を開催するかもしれない。平日の月曜なのに何故に、と思われるかもしれないが、サマークリスマスは必ず8月25日開催と決まっているから仕方ないのである。

 それと9月20日の土曜に、三回目となる「館野公一のうた世界」が確定している。今回のゲストは中川たつや氏で、熱いプロテストソング大会となろう。そちらもぜひ多くの方々のご参加期待している。

 今決まっているのはそのぐらいで、たぶん年内に先の大介みほこんコンビで再演があるかもしれない。それは無頼庵となるかは微妙だ。ただ毎年恒例のクリスマス忘年謝恩ライブにはたぶんお二方参加されると思うのでそのときも盛大実演会となるだろう。確定していないが12月23日の天皇誕生日頃だと思う。

 予定がもう少しきちんと出揃ったら時間・料金も含めて再度アップさせていきます。その他、年内にかなうか微妙だが豪華プロジェクトも水面下で進んでいる。去年からのCD制作企画は頓挫したので、今度こそ確実に実現させたいと願う。

 いずれにせよ、7日の月曜日、老母の検診の結果が出たらまたきちんと発表します。ではではよろしく。そうそう、12日土曜の河辺での「月刊 中川五郎」も豪華ゲストが付くのでぜひよろしく。

久々に両国へ行こう。2014年07月06日 08時21分24秒

★第4回目の隅田川フォークフェス             アクセスランキング: 108位  

 ようやく今、外は太陽が上り明るくなってきた。今朝がたはまだどんよりとした曇り空だったが、先ほどから陽も出てきた。じめじめとした梅雨時の鬱陶しさも今日は晴れて解消されるかと思う。
 
 やりたいこともだが、やることは山ほどあり約束したことも含めてなかなかそれが果たせず月日だけが過ぎていく。焦りはしないが困った事態である。これでは無責任であり合わす顔がない。要するに抱えているものがともかく多すぎるのだ。

 それで心ある友人たちから苦言、忠告を頂いている。もっと減らせ、あれこれ手を広げるなと。が、自らの古本稼業という商売、家のこと=家事と老いたものたちの介護、さらにそこに去年から山梨の古民家の維持管理、そして拙宅無頼庵でのイベントがある。
 常識的に考えれば妻と二人ならまだしも単身の初老男一人でとてもこなせる量ではない。しかし、そのどれもが自らが望み選んだことでもあり、個々に縮小はしていきたいが、どれか一つでも今はまだなくせない。

 まあ、幸い音楽の「趣味」のほうは昔のように頻繁に外に出向いてライブを観たり企画したりすることはなくなったのでだいぶ時間的金銭的に楽になってはきたが。
 そんな昔の関わりの一つ、両国フォークロアセンターの目玉イベントが今日の隅田川フォークフェスだ。思えばよくまあ川を越えてあんな遠くまで毎週のように出向いていたと振り返って感心もする。少しは若かったし今よりももっと愚かであったからあれほどアクティブでいられたのだろう。若くはなかったが「若気」の至りであった。
 今は自分のことだけでまず手いっぱいで、外で他者と集って何かをやろうなんてとても思えないしもはやそんな時間も気力もない。自らの小さな城を守るというのではなく、全てが必要最小限度にせざる得ないのだ。

 カニは甲羅に似せた穴を掘る。そしてその穴を守っていく。人もまた同じ。人それぞれの穴は大きさも形も違う。自分の穴がどれほどのものかまだ良くわからないが、形は悪く浅いものでも守らねばなるまい。
 今日は恩人国崎氏の掘った穴を覗きに行く。戻ったら簡潔に報告するつもりでいる。

今こそ、「うた」が求められる時代なのだ、と。2014年07月07日 00時27分44秒

最後は五郎さんを中心に全員で、P・シーガーを偲びウイ・シャル・オーバーカムを
★今回はこれまでで最良、最高の隅田川フェスとなった。※両国から戻ってすぐさま記す。   

 マス坊の拙ブログの読者ならば、こいつの書くことはかなりキツイ、辛辣だとお分かりかと思う。良くないものは良くないと書くし、いろいろあって書けないときは基本的にあえてふれず無視しやがてこのブログから消えていく。世間様の目にふれるのだからちょっと書き過ぎだと諭されたことすらある。
 そのかわり、どんなものでも良いもの、良いときはそれをそうはっきりと書く。おべっかやサービス、義理ではない。ダメなもの、ダメなときはダメとしっかり書くし逆も然りなのである。当たり前のことだろう。俺のブログなのだから。

 今年の第4回目となる今日6日の隅田川フェス、これまでに比べて最良、最高の出来であった。正直に書くと、前回2年前のときがかなりひどかったので、全く期待もしていないどころか行くべきかもずっと迷っていた。勝手な言い草だが、もう「卒業」した、関係ないという気持ちでさえいた。

 このライブイベントに、フォークロアセンターの国崎さんの片腕となって1回目、2回目と深く関わってきた。司会進行役もさせて頂いたし、出演者の選定までもかなりマスダの裁量に任されもしていた。自分の友人知人仲間でこの音楽フェスを動かしているという自負もあった。
 が、会場となる神社側のご都合でいったん開催不能となったり、自分も家庭の事情で両国まで頻繁に来ることすら難しくなった。いつしかセンターとも疎遠になって、前回に至っては照明や録画などは手配したもののしだいにこのイベントとは距離をおくようになっていた。

 さらに前回は、そのときの報告記に書いたように、ライブコンサートとして甚だ構成が悪く、アマチュア中心のイベントなのか進行も含めフェスのコンセプトもよく見えず終わっても大いに不満が残った。
 そして、今回の4回目。中川五郎氏から「今回の隅田川にはマスダ来ないの~関わってないの?」と、今年はフェスがあるという話は聞いていたが国崎氏から連絡があったのは直前で、ならば行けても一観客としてならという気分でいたのだ。

 そして、じっさい観客として4回目に参加してみて驚かされた。天候に恵まれたこともあったが、主催者側が慌てふためくぐらいお客様が来られて座るスペースがなくなるほどの入りであったし、出演者の質と数、順番と配分、持ち時間も的確で飽きさせることなく非常に熱く濃密な音楽空間となった。これまでやった中で質、客の入りも最高であった。感心感動もした。
 何よりも出られた歌い手すべてが素晴らしく、持ち時間もまたそれに合って、慌て急ぐことなくそれぞれが十二分に持ち味を発揮したということだ。自分が「構成」を任されていたら毎度のこと、もっと数多く出演者を増やしてしまい、挙句持ち時間は少なくなるわ、切り替えにあたふた慌ただしくて落ち着きのないライブコンサートになっていたと思える。今回は出る側の数もバランスも時間も余裕がありちょうど良かったのだ。そのことにまず感心させられた。

 しかしいちばんびっくりしたことは来られたお客様についてだ。皆とても真摯で集中してステージに向き合い真剣にうたを聴いてくれたことだ。ふつう、どんなライブでもお客とは勝手なものだから関心のない音楽やアーチストの時はがやがや話したり席を立ってうろうろしたりするものである。これまでの隅田川フェスも同様であった。特に前回はお目当ての人気バントが終えたら一気に波が引くように客はさっさと帰ってしまった。

 なのに今回は最初から最後まで、皆さん蒸し暑い神社の社殿の中で、真剣に最後まで席を立つことなく出演者たちを注視していた。音楽に耳を傾け時にともに唄っていた。こんなことは初めてである。
 偶然とても良い音楽ファンばかり来られたのかとも考えたが、思ったのはこうだ。今のような解釈改憲で集団的自衛権の行使容認、海外でも日本が戦争をできるようになっていく世相を受けて、中川五郎をはじめとした、そうした時代と対峙し問題意識をもって唄ってきた歌い手たちが多く登場したことで、彼らのうたに真剣に耳を傾ける土壌ができていたのではないか、と。

 つまり今の時代、誰もがこの世相に不安を感じ、危機意識を強く持っている。ただ、それをどううまく表現していいのか、何をどうすれば良いのか良くわからない。また、言葉にするとその不安や怒りはちょっと直截的過ぎるような気もする。それは気分のようなものだからアジビラのように安倍暴走内閣即刻退陣!と叫んで満足しすっきりできるものでもない。
 そんなとき一番今の気分に近しく、ぴったりするのは「うた」なのかもしれない。音楽に乗せて様々な思い、怒りや不安、哀しみ、願いや祈りが唄われていく。特にこのフェスに出られる歌い手たちは皆同じ思いを抱き同じ出発点に立っている。観客は共感を求めてやってきたのだ。

 それこそが今回の隅田川フェスの盛況、成功につながったのではないか。残念なことだが、歌が求められ力を持つのは、平和な安定した時代ではない。そんなときに、戦争という人類最大の非人道の問題を強く前面に出した中川五郎の「腰まで泥まみれ」などは時代遅れの笑止であろう。が、今はその曲こそがビビッドにこれからの時代を批判し直結している。つまり時代がそれほど悪く危険になり、その度を深めてしまったからこそ今、人々に歌が求められ、同じ思いを持つ多くの皆がこのフェスに駆け付けたのではないだろうか。

 今回の隅田川フェスに参加できて本当に良かった。そして確信を得た。今こそ「うた」が民衆から強く求められている時代はない。そして歌が力を持つ時代なのだと。
 そう、歌い手は確信を持ってこの時代に向き合い見つめ対峙し音楽の力で世界を変えて行こう。今こそうたは民から求められているのだから。うたにとってはとても良い時代が来たのだ。
 この思いを亡きピート・シーガーに捧ぐ。

第4回隅田川フォークフェスティバル報告記・前2014年07月07日 21時23分14秒

★観客も含めて良い、素晴らしい人たちが集った素晴らしい一日     アクセスランキング: 99位
 
 一夜明けた。毎度のこと、あまりに疲れすぎると気が昂り、体は疲れていても興奮して深く眠れない。昨晩もさっそくブログで第一印象のようなものだけ書き上げて午前2時頃に寝たはずだが、数時間で起きてしまい朝が来て親たちを病院に連れて行ったりと今日は一日辛かった。
 が、幸いにして母のがん再発は治療再開に至らず、特に何もせず今後半年は経過を見ていくだけで無罪放免となった。ほっとした。これでようやく安心して2014年後半の日程が立てられる。

 さて、昨日両国での第4回隅田川フェス、感想というかどうであったか詳しく報告したい。
 いつもなら別のブログのほうで、画像で出演者たちを登場順にアップさせて、安直に様子を紹介しているのだが、あろうことか今回に限ってデジカメに不具合があったようで、SDカードの問題なのか一部の画像が再生できなかった。こんなことは初めてだ。
 となると、写ってる人だけアップさせることとなり、不都合というか差別と受け取られかねない。なので簡潔に言葉だけで説明報告としたい。

 午後1時から毎度の会場、隅田川に繋がる運河沿いに建つ江島杉山神社の社殿内をお借りしての初夏の恒例一大フォークソングのイベントは始まった。
 今回は特に、早春に天寿を全うされたピート・シーガー追悼の思いを込めて、センターが保管する資料展示と第一部に、彼が語っているラジオショーの音源を流してから二部の「奉納七夕コンサート」が始まった。

 出演者と出演順は以下の通り    
                          司会進行/川原徹三

・山本さとし
・古屋克己
・五十嵐正史&ソウル・ブラザース
・いわさききょうこ
・岡大介
休憩
・石川修次
・くもりな
・北村謙
・大槻泰永(真っくろけボックス)※飛び入り
・中川五郎~全員でフィナーレ       

 マス坊は、このフェスの一回目からずっと関わってきたので、浅草でのセンター40周年記念コンサートも通して今回の出演者のほとんどの方をよく存知ていた。未知の方、会ったこと、聴いたことのなかったのは、山本さとし氏といわさききょうこさんだけであったが違和感なく知り合えたと思う。

 そのトップバッターの山本氏はプロテストソングを中心に気負いなく自然体で唄われる方で好感を持てた。たぶんこの出会いをきっかけに深いお付き合いが始まる予感を得た。
 そして毎度隅田川フェスではお馴染みのオートハープの達人、古屋克己氏、次いで若手人気女性シンガーとして噂の(お名前だけは存じ上げていた)いわさききょうこさんが所在不明で、急遽、彼女の後の予定の五十嵐正史率いるソウル・ブラザースが前倒しで登場。あの豊田勇造の東京公演時のサポートバンドとして実力をいかんなく発揮してノリノリの熱い演奏を駆け抜けるように披露した。考えてみれば彼らがこのフェスにこれまで出ていなかったことが不思議であった。
 そして出演時間を勘違いしていたいわさき女史が戻り、、「猫」のメンバーだった内山さん?をリードギターに引き連れ登場。澄んだ歌声が初夏の社殿に響き渡った。

 そしてコンサート前半のトリは、この隅田川フェスには第1回からずっと連続出演の皆勤賞、いわば隅田川フェスの「顔」であり、今や超売れっ子となった岡大介が、マイクなど一切なしで地声とかんから三線1本で堂々の登場。ここ隅田川フェスを礎に今では観客動員数ナンバーワンを誇る実力を超満席の観客、そしてこの神社の芸能の女神、弁天様に余すところなく奉納披露となった。やはり勢いのある人は違う。好漢岡大介のうたに対する心意気や良し、と誰もが思ったことだろう。

第4回隅田川フォークフェスティバル報告記・後2014年07月08日 21時26分43秒

前回に続いて登場のくもりなはブラス隊を率いて
★うたの力を信じてここから、さあ、もういっぺんがんばろう!         アクセスランキング: 80位

 隅田川フェスが催されるのはいつも7月の頭、七夕前後であるが、その頃は梅雨の真っただなかであり天気も悪いだけでなくともかく蒸し暑い。会場となる神社は木造で、社殿の中は広く畳の大広間なのだが、冷房機器などはひとつもない。せいぜい団扇で涼をとるだけだ。
 これまでを思い返しても急なゲリラ豪雨に見舞われたときもあったし、雨後の蒸し暑さに苦しんだり雨は降らないときは真夏日の暑さとなり座っているだけで汗が噴き出たこともあった。
 幸い今年は晴れたものの曇りがちでさほど暑くはならず、爽やかな風も時おり吹いて今まで一番快適なフェスとなった。まあ、それでも会場は超満席となってたから、お客様は決して快適ではなかっただろう。しかしだれることなく神社の社殿の中という異空間での音楽イベントに最後までお付き合い頂いた。実に有難いことではないか。

 さて、中休み後、奉納コンサート第二部は、オールドタイムのバンジョーを二本抱えて石川修次氏がまず登場。半世紀以上にわたるフォークロアセンター主宰の国崎氏との付き合いを振り返って語り、古いながらも芳醇かつ熟成されたバンジョーの素晴らしい音色を次々聞かせてくれた。石川先生の民俗学の講義的なお話もぜひ機会あればゆっくり耳を傾けたいと思えた。
 そして人気のくもりなが、今回はバックにホルンやスティールドラム(スティールパン)などサポート楽器隊を従え大人数で登場。ライブは久々とのことだったが、神社の森にボーカルめいりんの澄んだ唄声が響きわたった。くもりなの独特な心地よい揺らぎ、エスニック感はめいりんのインターナショナルな血の存在感からきていることに気づかされた。

 一方バンジョーを手に広くライブ活動を続けている北村謙さんが巧みな話術と確かな唄でサービス精神あふれる楽しいステージで場を沸かせてラストの中川五郎へ続くと思ったら、突然、過去にもフェスに出演したこともある真っ黒けボックス大槻がスチールパンをサポートに頼み飛び入りし1曲のみでも強烈なインパクトを観客に与えた。

 そして今年の隅田川のトリは、先年国崎氏と連れ立ってピート・シーガーの自宅まで訊ねたこともある、日本のフォークシーンに偉大な足跡を今も刻み続ける中川五郎御大。
 体調不良との報もあったが、しっかりとこの時代を見据えたプロテストソングの数々を全身全霊、まさに魂の叫びとしてうたい上げた。今安倍反動政権が暴走のスピードを増していくこの国で、彼と彼のうたに再び脚光が当たるのは当然のことだろう。このままでは、日本人全員が、安倍や石破という愚かな上官に引き連られ泥沼の中で、「腰まで泥まみれ」どころか首まで沈んで溺れ死んでしまう。

 そう、戦争に行って死ぬのは高村副総裁や公明党の党首たちではない。若き下っ端自衛隊員たちや徴兵で集められた若者たちなのだ。徴兵忌避した者など石破に言わせれば軍事法廷で「死刑」にすると言っている。
 唄はけっしてはっきりとした表立った政治的メッセージは何も言っていない。が今回の隅田川フェスに参加された方々は、たかが「うた」ではあるが、うたを通して様々なことを思い感じ考えたことと信ずる。
 今この国が向かっている危険な方向に対して我もまた何かせねば、立ち向かわねば、と新たな決意の機会となったのではないか。

 今年の隅田川フェス、歌い手たちが投げたボールは聴衆たちの心にしっかり届いたと思えた。そしてその場に立ち会えた喜びをかみしめ「うた」の力をはっきりと確信した。
 ※前回に引き続きMCと進行役を担当された川原氏も控えめながらも巧みに流れをつくり今回の成功を導いたことを記しておく。過不足ない巧みな良い進行であった。

 やや予定時間をオーバーしたものの今年の隅田川フェスは無事大盛況のうちに終り、社殿の中で簡単な打ち上げ後、後片づけを手伝い、8時頃からのフォークロアセンターに移って懇親会となった。が、自分は他にも要件を抱え家のこともあったし、東京の東から西まで帰らねばならなったので、それは辞去して両国駅へと足早に向かった。しかし同行したのが岡大介とオーツキという親しいお二方であったため、帰るつもりが拉致され先に駅前の店で呑んでいたくもりな一行が待つ店へ合流。めいりんたちとまたかなり呑んでしまい何か最後は意識もうろうとなった。中央線でソウル・ブラザースの面々とも偶然また一緒になり話しながら何とか正気を保ち家まで帰ってきた。

 当初はあまり乗り気ではなかった隅田川フェス、しかし会う誰もがこの自分を故郷の家に戻った放蕩息子のようにやさしく暖かく迎えてくれた。故郷に帰ったような気がした。興行的には大失敗に終わった40周年記念コンサートも含めて、これまで自分のやってきたことは間違っていなかった、無駄ではなかったと思っても良いかもと思えた晩であった。

 ぜひまた次回の開催に大きな期待を持っている。ようやくこのフェスの向かうべき方向性が確立したのではないか。それはピート・シーガーが遺した「うたの志」を我々が今こそしっかりと継いでいくということであろう。

古民家片づけ隊7月の予定など2014年07月09日 18時01分04秒

★今月はいろいろ土日は忙しいが…         アクセスランキング: 110位

 雨のそぼ降る水曜日である。さすがにこのところの疲れがどっと出て今週はずっと暇さえあれば眠りつづけの半病人状態となった。
 が、先の予定は出揃っているし、26日の詩朗読ライブに向けて家も我が身も全て準備万端に整えておかねばならないのだからもう寝てばかりはいられない。が、そんなでまだギターの弦すら張り替えていない。気を引き締めてやっていかねばと。
 また、山梨の古民家のほうも頑張ってこの夏中のうちにいつでも誰でも来て使えるような状態にまで整備しておこうと決意した。

 先日のフェスの打ち上げで、一緒に呑んでいたくもりなたちとその古民家の話が出て、バンドの泊まり込み練習の場としても使えるのではないかということを思いついた。
 ウチの倉庫兼レコーディングのためのスタジオとしてまず考えていたが、そのためには機材も設備もそろえるのに時間がかかる。が、簡単な合宿、練習の場所としてならさほど問題はない。まずは日常的使用に不便のないよう内部を片づけ手を入れて、近く「スタジオ・エグサ」もしくは「 EXA studio 」として、場のレンタルビジネスとしても人様にお知らせできるようチラシも作ろうと思う。まあ、使用料はせいぜい一泊千円程度しかとれないだろうが。
 そのためにはまずは水道の漏水の工事、大工のカワムラさんに頼んでの二階への階段場所の移設などいくつか難題課題もある。どれもが金がかかり、その工面に頭痛いが、それも長く使っていくための必要経費のようなものだから仕方ない。
 
 また今月も土日中心に日帰りかどうかわからないが、「古民家片づけ隊」を募って向こうへ行く予定でいる。まだまだ内部はガラクタがいっぱいなのだ。本当に早くスッキリしたい。
 ただ、今月12日は、毎度の河辺での「中川五郎」があるし、13日ではあまりに急だろうし26日にはウチ無頼庵で、「初夏の詩朗読ライブ&公開録画」があるので27日はちょっとキツイ。
 となると、19,20、21日の、夏休み最初の連休頃となってしまうが、道はかなり混むかとも思う。どうしたものか。それとは別に個人的に、来週、15~16の火水と、また社員氏を招いて泊まり込みでゴミ出しに行こうかと考えている。平日であるけれど同行できる方がいれば連絡ください。あと二人は乗れますので。

 それとは別に、「片づけ隊」の隊員として参加したい方、常時募集してますので、このブログに連絡先を書き込んでください。また、個人的に行きたい、行ってみたいと思いご都合がつくようでしたら早めにその日時を先にお知らせ頂ければこちらも合わすように調整もします。
 マスダが、日時を指定して決めてから拙ブログで募集するよりも行きたい人、行ってみたい人の行ける日がわかればそれに合わせたほうがこちらも簡便な場合も多々ある。
 例えば、一人でも〇×日なら朝から行ける、行ってみたいと連絡頂ければ他の関係者や知人友人にも働きかけて人数を揃えて向かうことも可能だ。

 まあ、古民家といっても古いだけでさほど大した家ではない。でもスペースだけはたっぷりあり、泊まることも合宿のようなことも問題なくできる。また、環境は抜群で近くには効能抜群の秘湯や公共の安い温泉施設もいくつもある。登山のベースとしても使えるだろう。車がないと移動はできないが、その古民家、今後どう活用していくか、そちらのほうもパートナーとなってくれるような方を求めている。
 どなたでも関心ある方は連絡ください。

 ※台風による雨が強まり雷もゴロゴロ鳴りだした。怖いのでパソコンの電源を落とす。皆さまもご自愛、ご注意ください。