長いトンネルを抜け出て2015年03月01日 23時34分20秒

★夢から覚めたような       アクセスランキング: 142位

 今日から3月。気がついたら今年も3月である。はっと驚いてカレンダーをめくった。

 今年に入ってこの二か月、いや、正しくは11月末から12月も含めて丸々三か月、何故かほとんど身動きがとれなかった。成すべきことは溜まるばかりで、なかなか次へと歩が進められず、焦り苛立ち気ばかりが急いていた。
 だが、ようやく昨日2月末日をもって、ある関係が切れたことで、急に視界が開けたというか、ふいに身が軽くなったというのか、、長い眠りから目が覚めたような気がしている。汽車がトンネルを抜け出たあの感じ。

 この数日寝込むほどあんなに痛かった腰も不思議にもう痛くない。治っていた。人間関係からくる気苦労もギックリ腰に関係していたのだろうか。
 今、気持ち新たに、失態や失敗の反省の上に立ち、自制と全てに責任を持って一から仕切り直してここから再スタートしたいと思う。

 百の言葉を長々と尽くすよりも一つの、誰の目にもわかる行動が大事なのだとようやく気づいた。でないと人に信じてもらえない。相手にもされない。いつだって多言不実行であり、さらに常にナニゴトにも無責任であったから信頼を失ったのだ。

 過去に目をつぶる気はないが、過ぎた日の失敗を悔い悩み鬱々していても無意味であろう。今とこれからに再び過ちを繰り返さないことこそが償いとなるはずだ。

 これからは大局的視点で、要所要所のポイントをしっかりつかみ、一番肝心なこと、本当に大事なことだけを最優先にしてやっていく。人に何かを伝えることも同じ。我はつい冗長冗漫に、何ごともだらだらゆるゆると垂れ流すが如くだらしなかった。結果としてそれでは何も誰にも伝わらない。届かない。理解してもらえない。トラブルが多発する。

 そういう生き方もあるし文体のようにスタイルにもなろう。ときにそれを面白がりそれでも伝わる、わかってくれる人もいたかもしれない。が、それを是とするにはあまりに失敗を繰り返し過ぎた。
 何より問題は、もうすべてに時間がないのである。あれもこれもできやしないし、人生も尽きかけもう時間は残り少ない。そうしたときに、冗長にだらだら効率の悪いことはやってられない。そして皆が忙しい。求められるは、もっと直球、ストレートな物言いだろう。

 何事もシンプルにできるだけ簡素簡潔に。球数は少なく。しかし、しっかり相手のミットめがけて全力で投げて行く。それがこの三か月の眠りから学んだことだ。
 失ったものは何もない。多くのことを学び得た。すべてに感謝して、一から出直したい。

「物」に価値とこだわりを持たない時代に・前2015年03月02日 00時20分22秒

★だからこそ「ハンドメイド」が価値を持つ アクセスランキング: 138位

 腰も癒えたようなので、車の中に溜まっていた、処分する雑本を雨の中、秋川のブックオフに持っていた。※状態は良くても、Amazonマーケットプレイスで「1円」の値で大量に出品されるような、ウチではどうやっても売ることのできない本や雑誌である。

 が、店に着き中に入って気がついた。大きなスピーカーとか道具類ばかりで、そこはいつの間にか、「ハードオフ」に代わっていたのだ。看板を見上げれば、青い英字で「HARD: OFF」になっている。
 店員にブックオフはどこへ行ったのかと訊いたら、移転したのではなく店自体代わったので、他の所へ行ってくれと言われた。本などはここでは扱わないと。仕方なくそのまま家に戻った。本の箱は未だ車に満載だ。

 帰り道、ハンドルを握りながら考えた。このところあちこちのブックオフが閉店し、逆にいつからあったのか知らないが、ハードオフの看板をよく見かけるようになった。
 説明するまでもなくブックオフは本を中心にCD、DVD、ゲームソフトなどを扱っている。それに対して、ハードオフの方は、同じ運営会社だと思うが、家具から楽器、衣類、バック、アクセサリーまで何から何まで取り扱う。

 先日、女友達と国分寺近辺のハードオフに、彼女宅で不要の照明の笠を持ち込んだ。そしたらば買値が付かないだけでなく、引き取りすらも拒んでいたが、頼み込んで何とか置いてくることはできた。店員の謂いだと、こうした売れそうもないモノは、店で何かを買ってくれるのなら引き取りもするが、今回は特別に、だそうだ。殿様商売である。まあ、どこの家でもモノがあり余っていて、ゴミに出すにも金がかかる時代だから仕方ない。

 改めて言うまでもなく、本やCDが売れない時代である。本屋やCDショップ、さらにはTSUTAYAのようなレンタルショップでさえ軒並み潰れている。ならば、二次使用である、中古本、中古CDですら当然売れないだろう。特にブックオフなどは、新刊、現行流通している本が取扱い中心だから、古書価格的プレミアのつく中古本は扱わない。
 となるといくら安く客から買い取ったとしても、いわゆるAmazonの「1円本」的ベストセラーばかり入ってきたら、在庫が増えるばかりで、売れたとしても儲けは少ないだろう。同情する。

 本は場所をとるが、「100円+税」の本ばかり並べてもどれほどの儲けが出るのか。まして本やCDなどは今の人は「物」として欲しいと望まない。ダウンロードしたり、配信してもらったりと「実物」がある必要性はほとんどなくなった。そして少なくなった「物好き」は、ネット通販で買い求める人も多い。
 じっさい、以前はマス坊もセドリを兼ねてよくあちこちのブックオフを覗いた。が、今は、ウチにいくらでもあるような「1円本」ばかり並んでいて、出物、めっけものはまずなくなってしまった。行くのはウチの不要処分本を持ち込むときだけであった。

 ハードオフの方が、たぶん儲けは大きいのではないか。どちらも多くのアイテムをタダ同然?(失礼!)、低価格で客から引き取って仕入れとして、相応の値をつけて販売する。ただ、純利はハードオフのほうが高そうな気がしている。取り扱う商品種類も多い。ということは客の種類も数も増えるということだろう。まっ、それが売れたらの話だが。果たしてどうであろうか。
 自分も経営者ならば、ブックオフとして収益が上がらない店舗が既にあるならば、秋川の店のように、本はやめて集客が見込めそうなハードオフに様変わりさせていたかもしれない。

 ただ、本であれ、CDにしろ、他の生活雑貨、家具調度類であれ、今はモノがあり余っていて、しかも人はできるだけ「物」を持たない時代であるから、実物、つまり現実のモノを扱う商売はどこも苦戦している。
 今の人はモノそのものに価値もこだわりも持たなくなってしまったのだ。 

 こうした時代についてもう少し思うところを書き記しておきたい。《続く》

「物」に価値とこだわりを持たない時代に・中2015年03月03日 09時18分56秒

★「物好き」の時代に生きてきて            アクセスランキング: 127位

 子供の頃、ちょっと裕福な友だちの家に遊びに行くと、応接間なるものがあり、そこは洋室、板張りで、ソファーと小テーブル、壁にはたいがい大きなガラス戸の付いた本棚があり、中には百科事典のセットや内外の文学全集が整然と並んでいたことを思い出す。
 また、それ以外にも巨大なオーディオシステム、レシーバーを真ん中に、左右の木製の大きなスピーカのセットがどんと鎮座し、ラテンや映画音楽のLPレコードを聴かせてくれた家庭もあった。

 ウチは、貧乏でおまけに共働きであったから、そんな「応接間」などなかったので、そうした大きな本棚に並んだ厚い本の全集や巨大オーディオセットに子ども心ながら憧れた。圧倒的な存在感がそこにあった。

 じっさい、今考えると、その家の人たち、特に主の方が、そんな全集や百科事典をどれだけ読み、有効に活用していたか怪しくも思う。古本に携わるようになって気がついたが、文学全集とは揃えて並べるためのもので読むためのものではないのである。確認するとまず読まれた形跡がない巻がほとんとであった。というのは、全集付き物の月報などもそのまま手つかずで挟まっていたから。レコードだってほぼ同様であろう。

 しかし、その時代の人たちは、そこにそれがある、ということに価値を見出し高い金を払ってそれらを買い求めたのだ。つまりある時代の富裕層には、自分の家を建てたら玄関わきに応接間を設け、そこには、読まないけれど本棚には全集を並べ、あまり聴かないけどオーディオセットを置くのがステータスなのであった。

 今はそんな人はまずいない。家を建てられても必要最小限の間取りとなろう。そんな無駄な部屋の分のスペースがあれば各々の子ども部屋か、妻にねだられDKを広くとる。いや、狭い庭でも駐車スペースは必ず設けなければならない。植栽などはまったく不要だ。
 応接間どころか、そもそも今は家に客など招かないのだ。人が来ても玄関先で立ち話ですますか、親しい人なら近所のファミレスに案内する。そういう文化、ライフスタイルにいつしか日本人は変わってしまった。

 戦後の歴史、それも庶民の生活文化をたどると、暮らしを大きく変え便利にした電気洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの家電、つまり庶民が求めた元祖三種の神器から、クーラー、自家用車まで家庭に入ってきた様々な「モノ」の変遷であることに気づく。
 今ではどこの家でもそれがあるのが当たり前だから、つまり標準装備、デフォルトの状態であるので誰もそれがあることに価値を見出さない。車は別格としておまけにどれもとても安くなった。使って調子が悪くなれば捨ててまた新たに買い求めればよい。経済成長が続く限りよりハイスペックの物がより安く買えるのだから。

 家電も含めて、たいがいのモノは消費財に過ぎない。実用性だけが求められモノの価値はそこだけとなる。使わないモノを置いておく、保管する意味などはない。何しろ家庭にはモノがあり過ぎて場所がない。まだ使えても使わないものはすぐにゴミとして捨てねばならない。

 思うに、昔は、昔の人たちはモノが高かったということもあるが、実にモノを大事にしていたと思う。壊れたら何度でも修理して使っていた。手元にあるモノの価値を認めていた。モノを大事にし大切に使っていたと。
 まあ、今のそうした家電類は、そもそも最初から安物で、壊れたら修理に出す代金と、新たに同様のそれを買い求めるのと大差がないことがフツーだから、ますますモノとしての価値は低くなる。それが現代文明の道筋、流れなのだともわかる。それは変えられないことも。

 だが、昔を知る者として、昔の人は実に「物好き」であったと感慨がわく。モノがあること、その存在に価値を認めていた。読まない文学全集にも場所を与えたほどに。そして今もまだ現役の物好きである自分は、「物」に価値を持たない、何もこだわりを持たない今の世相を嘆く。
 モノを大切にしよう、なんて言っていない。モノとその人、その人生とはもっと密接に結びついていたはずだし、その関係性が今はあまりにも稀薄ではないかと憂いているだけだ。

停電怖い2015年03月04日 20時19分07秒

★近況を少しだけ               アクセスランキング: 148位

 今書き続けていることもあるのだけど、ちょっと小休止。
 昨晩は、かなり強い雨が降り続いた。昨日の朝は冷え込んで、一時、小雪が舞っていた。が、今朝は雨もやみ、晴れて暖かくなった。

 このところ連日、晴れたり雨だったり寒さが戻ったと思うと、汗ばむほどの陽気となったり目まぐるしく天気が移り変わっていく。これが春先なのだとわかっているが、なかなか体がそれにおっつかない。

 今朝がた、ちょうどNHKテレビで、連続ドラマ「マッサン」をやっている最中に、ごく短い停電があった。たぶんウチの近辺だけかと思う。理由はわからない。
 マス坊は、ちょうど犬たちと散歩中で、外にいてまったく知らなかったが、家に戻り親たちから知らされた。確認してわかったのは、家のパソコンは全部電源が切れてしまっていて、スイッチを1から入れ直し設定し直した。幸い、データに何もトラブルはなかったが、これが作業中だったらと考えておっかなくなった。

 今、自ら撮ったライブイベントのビデオの編集作業に連日追われている。動画編集ソフトで、ビデオカメラで撮ったファイルを繋げて、不要のところは切り捨て、最終的にタイトルも入れて作品にし上げDVDに焼いて企画された方に渡さなくてはならない。
 それがかなり面倒というか、やたら時間をとられる作業で、つまりリアルタイムの撮影時間+編集にかける手間の時間がかかって、しかもそれを焼くにも何だかよくわからない下準備の時間もとられるので毎日何時間もパソコンに向き合っている。
 もし、そうしたときに突然停電にでもなれば、それまでにかけていた時間も一瞬にしてすべて失われてしまう。むろん常にバックアップは順次とってはいる。が、「保存」に至らない作業は電気が切れたらそれで消えてしまいまた1からのやり直しとなる。

 今回は、ちょうどまだデータを揃え並べる段階のときで、本作業に入っていなかったから運が良かった。しかし、コンピュータというのは、電源の上の綱渡りのような作業なのだと今更ながら気がつき不安な気持ちになっている。

 村上春樹氏が、ギリシアだかに居たとき、小説執筆中に、彼のノートパソコンがいつ何時壊れるか、電源が切れたりしてそれまで書いてきた大事な原稿が消えてしまうかもと不安でたまらずノイローゼになりそうだったとエッセイで書いていたことを思い出す。
 紙に手書きで書いた原稿、そうした文章ならば、大震災に遭い大津波にでも襲われない限りまず失われることはありえない。が、今これを書いている自分もだが、パソコンやワープロの類のOA機器で、書き進めている原稿は、少しづつ「保存」しバックアップしつつも、紙の現物はない環境での作業である限り、停電でもしたらすべてがオシャカとなってしまう。
 むろんそれから再び起動させ、最後に「保存」したところから再び書き足すことも可能かもしれない。しかし、物書きというのは勢いで書くことが多いから、結果かなりの分量が停電で失われ、しかもショックで気もそがれて元通りのものに再開できるかは定かではあるまい。

 このことは物書きだけにすまない。パソコンをつかってCADだって、音楽編集だってアニメ制作などの動画作業だって、何であれパソコン作業は停電時にはすべてが同様の事態となる。
 だから、自らのところで独自に蓄電できるサブ電源を確保して、そこから供給するように設定して、突発的停電の事態に対処している方もいるかと思う。そうすれば、安心して作業できるはずだが、なかなかそこまで環境を整えることはまだ難しいだろう。

 先日も長野県で、かなりの地域で停電が起きてしまい新幹線も止まって、スーパーなど商店から街角の信号も電気が来ないので大騒ぎしているニュースが報じられた。原因は何やら電力会社が説明して頭を下げていたが、大震災や不測の突発災害でなくても停電はいつ何時どこでも起こる可能性があるのだ。

 昔に比べれば今は停電は少なくはなった。しかし、電気に頼り切った今の文明と文化的暮らしは、電気が来ないとき、切れた状態は想定していない。仮に電気が切れてもすぐに復旧されるとの想定で人は生きている。だが、いくつもの大震災からの教訓を思い返すまでもなく、電気とは有事の際切れたとき、すぐに復旧などしないものだと考えておくべきであろう。
 むろん乾電池などの備蓄は当然だ。しかし、それでは、パソコンなどのインターネット機器は動かせない。携帯もすぐに電池が切れよう。となると、電気があることを前提とした伝達通信手段はそもそも間違いというか、不確かであって、それに頼り信じてはならないものだと気がつく。

  電気がない、来ないという状況で、いったい人は何をどこまでできるのかと、近づく3.11を前にもう一度自ら考え直してみたいと思う。が、とにもかくにも、今思うは、停電は怖いである。
 願わくば作業している最中に今朝がたのような停電が起こらないことをただ祈るしかない。

「物」に価値とこだわりを持たない時代に・後2015年03月05日 20時02分16秒

★「手作り」こそが原点、だから価値をもつ            アクセスランキング: 133位

 進化や進化論との関係はともかく、文明というのは留まることをしらない。そこには人間の知的かつ経済的欲望があるからだが、利便性と経済性を求めて日進月歩、数々の発明や改良が繰り返された。
 産業革命後の科学の発達は、まさに驚異のスピードで、人間には死の克服以外にできないことは何もないかのように、科学万能の世の中となった。
 宇宙の果てから地の底、人体の奥の奥まで、今は何でもわかってきたし、コンピュータのおかげで、世界中と一瞬にして繋がることができるようになった。
 機械も改良に改良を重ねて、より軽薄短小、しかも価格は下がり機能は上がって誰にでも手に入りやすいものとなった。

 昭和30年代に生まれて、初めて家に来たブラウン管テレビで、力道山のプロレスを観た世代としては、今、掌中のスマホ画面の中で、AKBのビデオクリップがタダで観られるとは隔世の感としか言いようがない。この半世紀の間に、人類はここまで文明を発達させたのである。

 昔、カッパブックスの「鉄腕アトム」の漫画を読んで、21世紀の未来世界に憧れたが、そのかつて夢見た「未来」はアトムのような人型ロボットが家庭にはまだ来てないことと空をマイカーのように飛び交う民間用小型飛行移動システム以外はほぼすべて実現したのではないか。
 人型ロボットだって今はあちこちのイベントで話したり踊ったり活躍し始めているし、無人の小型飛行機ならば世界中を怪しく飛び交っているではないか。

 いくつもの大きな戦争や災害は世界中で起こったけれど、人類はそれを克服して先進国中心に大きな繁栄を迎えた。この国だって、焼け跡からの戦後復興と今日の大都市の隆盛は昔年を知る者にとっては夢のように思えただ感嘆するしかない。
 大量生産と大量消費、世界の貿易のグローバル化、物流革命、モノはより安く早く、品質と性能の良いものが大量に作れるようになった。そして国境をまたいで流通するようになった。
 となると当然、価格はどんどん下がる。資本主義の世界の中で、販売競争に勝ち抜くためにはよりさらに安く、品質は良くして消費者のニーズに応えなくてはならない。

 結果として市場に出回るものはコスト削減を反映した低価格のものと高級ブランド的高価格のものとに二分されていく。大多数である庶民に向けて「安物」が市場に町に、家庭に氾濫していく。
 モノがいっぱいできてもキャパシティ、地球の大きさは変わらないところに、人口も爆発的に増大すれば、各家庭の家中モノであふれかえるようになってしまう。
 売る側、つくる側は消費者に買ってもらわないことには商売が成り立たないから、次々と目新しい新商品を出しては莫大な宣伝費をかけて必死に売ろうと血眼となる。

 こうした文明では、アメリカ社会に顕著にみられるように、全ての物が基本的に使い捨てとなる。再利用やリサイクルは考えない。使ったら即ゴミ箱行き。機械ならば調子が悪くなれば修理などせずに捨てて新製品を電話やネットでとりよせる。いや、壊れてなくても飽きたり邪魔になれば何から何までゴミである。
 「モッタイナイ」の正反対の生き方が、21世紀先進国の主流なのはある意味当然のことであろう。金と資源が潤沢にある国、それが可能な豊かな家庭ならば、そのライフスタイルは一概に否定できない。

 限りある地球資源とか、第三世界ではその日の食餌に事欠く貧困層は増大の一途であるとか言っても、金持ちたちにとっては対岸の火事以前に、まったくの別世界の話であろう。
 ただ、こうした大量生産と大量消費の、モノを使い捨てにしていく文明は未来永劫続きはしない。金さえあれば何でもでき、何でもかなう、何でもゆるされるという発想は資本主義のもので、そもそもその思想じたい今や限界が見え始めている。制度疲労を起こしている。

 むろんこれからだって企業はより安くモノを大量に作り大量に売って儲けようと目論むだろう。すぐに使い捨てとなる安物も大量に出回るだろう。
 しかし、だからこそ、大量に出回らないもの、値段は結果として高くなっても本当に良い、安全な信頼できるものは価値を持つに違いない。それはどういうものかと言えば、つまるところ「手作り」のものとなっていく。
 都市部に住む者は米野菜は自らは作れはしない。しかし、安かろう悪かろうではない、生産者の顔が見えるもので、自ら手料理を作れば、中国製の何が入っているか怪しい冷凍食品よりは安心でき満足もいく。
 むろんそんな暇と金が誰にでもあるわけではないことも現実。しかしこうした時代だからこそ、ますます手作りということ、ハンドメイドということにスポットがあたり、その行為が価値を持つ。その流れはこれから鮮明になっていくことは間違いない。

 ロハスとかスローライフとかあれこれ唱える人たちがいるが、それを趣味嗜好とするのではなく、来るべき大震災や有事に備えるためにも「手作り」能力を人は高めておかねばならないと信ずる。

 このところ自分に問う。いったい自分は何をどこまでできるのか。作れるのかと。金がないということもある。しかし、できるだけ多くのことを自分で自らできないことにはもうどうしようもなくなってきたのだ。

3月14日、両国で中川五郎をメインのライブが2015年03月06日 21時54分04秒

★中川五郎を中心に、両国門天ホールで午後2時から         アクセスランキング: 110位

歌はいつも救い。2015年03月07日 22時41分23秒

★新潟の友たちに感謝を込めて

 私事だが、昨年の秋のイベントでの失態から旧い友までも巻き込み人間関係にずっと頭悩ましていた。その全ては、我が身の不徳の致すところでしかなく、まさに自業自得の結果なのだから受け入れていくしかないのであるが、なかなかモノゴトが進まず気持ちも鬱々としていた。
 そんなとき、藤しんいちろうから、新潟のフォークミュージシャンが大挙してこっちにやって来るライブイベントがあると知らされ小田急線・中央林間にある「パラダイス本舗」というライブハウスへ行ってきた。
 
 拙ブログで以前書いたが、新潟には、プロ顔負けの非常にレベルの高いユニークなフォークシンガーを要する団体、というか音楽グループがある。そこを率いる「たっつあん」という方は、関西フォークムーブメントに京都が湧いていた時期に、向うの大学にいて、その息吹に生でふれて地元に戻ってからそのスピリッツを新潟の地に根付かせた。

 先年その地で詩朗読の公演に出向いた有馬敲曰く、「ここには関西フォークの精神が今もしっかり息づいている」と評したように、昨今では失われてしまった、ほんとうの「うた」の精神、フォークソングのスピリッツが新潟のシンガーたちは今も持ち続けているのである。
 そのグループから出て、現在は東京在の藤しんいちろうとの出会いから、彼らとその地と関わるようになり、先年、魂のアコーディオン弾き・熊坂るつこさんと共に向うでの公演に出向いたり、有馬敲氏のイベントにも関わることができた。
 そうした彼らがこちらに大挙して来られ、しかも中央林間なるところでライブを催すのである。どういう意向からか当初は訝ったが、行ってようやくわかった。天才ハーモニカ奏者倉井なつきの縁であった。

週末まで山梨にいってます。2015年03月10日 09時38分31秒

★心身共に疲弊のため湯治に行ってきます。           アクセスランキング: 147位

 家庭内の雑事も起きてしまい誠に勝手ながら数日ですが、山梨の古民家のほうに湯治をかねて避難に行ってます。
 向こうからでも麓に下りれば、当ブログも書きこめるのですが、戻ったら詳しくまた書き足します。申し訳ありません。

山梨はともかく寒い。2015年03月11日 07時07分25秒

★4年目の3.11に アクセスランキング: 125 位

 なぜか今朝は、電波が入って来ている。いま、古民家から。
外は強い北風が音立てて吹き荒れている。昨日、韮崎に着いたとき粉雪が舞い一時吹雪のようにもなった。気温が低い。やはり山はまだまだ冬だった。

近況だけ少し記します。2015年03月14日 05時06分24秒

★後ほどまとめて更新します。              アクセスランキング: 151位

 山梨からはとっくに帰ってきた。が、この連日、友人知人関連のライブが重なり毎日出歩いている。正直、かなり疲労困憊。

 今これを記すは、土曜日の明け方。昨晩は四谷コタンで、海援隊の千葉和臣さんのライブがあり、そのオープニングアクトに、友人藤しんいちろうが出たので、何はともあれ応援に行ってきた。
 良いライブで、昔の海援隊初期のころの歌など千葉さんのしみじみととしたボーカルで堪能した。たっぷり彼のうたが聴けるとは僥倖であった。やはり本物の「プロ」の方であった。

 今日は、両国で、先に載せたチラシ『ピース・ウイル・カム』のコンサートがあり、主催の方からお誘いを受けたことと中川五郎氏ら出演者に渡すものもあるので行かねばならない。それは午後からだが、夜もみほこんのライブがある。
 明日もさこ大介さん関係からのライブが経堂であって、いったいどうしたものか。

 先にお騒がせしたギツクリ腰はもう癒えた。が、慢性的な腰痛、坐骨神経痛的な鈍い痛みはずっと続いていて、座ってライブを観続けるのはかなりしんどい。立ってうろうろしているほうが腰には負担がかからない。

 4年目の3.11についてや、スマホのこと、観たライブのことなど、書きたいことは先の中央林間でのライブも含めて山積している。過ぎたどの日も後から書き足す予定で、非公開で見出しだけは書き残している。

 ともかくこの15日の日曜が終わるまでは、日々動けて、生き抜くだけで精いっぱいで落ち着いてブログすら書けやしない。いや、寝食の合間に、こうしてちょこっとづつ毎日更新していけば良いだけの話かもしれない。
 が、迂闊に、何かについての感想、思ったことを書き記すとまた新のトラブルになるような気がして躊躇らうところがある。先の辞任大臣の謂いではないが、わかる人にはわかる、けれど、わからない人にはわからない。伝わるとしても曲解されることも多い。ならば果てしてこれを書いても読んでくれた方にどう伝わるか熟慮しなくてはならない。

 メールにせよブログにせよ、文ではこちらの真意は、なかなか伝わらない。できるだけ少しでも届くよう、意を尽くして細かく詳しく書くと、オレは忙しいんだ、だらだら書きやがって、とお叱りを受ける。
 メールなどでの用件はストレートに、は肝心要である。相手も忙しい。要点だけまず届くよう伝えなくてはならない。ならば、こちらの気持ちはどうしたら伝わるか。つまるところ、直に会って話すしかない。そこから誤解を解いたり「真意」を伝える努力をしていくしかない。

 となると、まずともかく出歩いて人と会わねばならない。すべてはそこからとなる。
 気持ちは伝わらず、思いは届かず、願いはかなわない。そうしたものが人生のデフォルトなのだと最近ことあるごとに痛感している。愚痴ではないが、商売も含め全てが行き詰ってきている。しかし、まだできることやすべきことがある。人生を降りることはたやすい。何事もやめるより続けて行くことこそ難しい。しかし続けて行くしかない。
 先まで見通せないが道は確かに続いている。まだ歩き続けていく。

 誠実でありたいと願う。ならば100の文やメールにその思いを書き散らすより、生き方で示していくしかない。少しづつであろうとも。