さて、これから2015年04月27日 01時17分14秒

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 つくづく一年なんてあっという間だと思う。気がつけば4月も終わる。うだうだぐだぐだしてたらすぐに夏が来て秋になって冬となり今年も終わってしまう。

 この何日かブログ書けなかった。忙しかったこともあるが、何を書くべきか、そもそもその気構え、やる気のようなものが起きなかった。叱咤してくれる内面の自分も寝てばかりいた。
 書きたいことや書くこと、そして実は書きたいことも多々あるのだが、何でも思うままに書けないし書くべきでないのがブログだといつしか学習もしたので迷う気持ちあればやはり筆はためらう。つまり書きあぐねる。

 今の気持ちとは全く関係ないことでも書けなくはない。が、プロの物書きならそれもしようしせねばならないはずだが、そこまで我は誠実でない。そしてそこまで求められてないと思っている。無責任か。

 母も体調崩していたし、自分も介護も含めて雑事に追われていた。それよりもどうにも気持ちが前向きになれず、空気の抜けたタイヤのように、気持ちがベコベコのままでは走るのには心もとない不調な感じでこの一か月を無為に過ごしてしまった。

 特に鬱々としてたとか体調悪かったわけではない。臆面なく平気顔してやれなくもなかった。ただ、先が見えないと他のことまで本腰入れる気になかなかなれず、川で転んで右手も使えなかったりことも痛かったりと何か全てに気持ちが入らなかったのだ。※このところ周囲で、転んで骨折、入院もしくは通院治療を擁する人が相次いでいる。皆さん、どうかご自愛ください。特にお酒呑んだときは。

 歳とって良いこともある。一つは死が身近になってきたからその基準で何でも捉え考えることができるようになったことだ。
 若い人の行動も、達観、諦観して、若いんだから何もわからず仕方ないと受け入れられるようにもなったし、どうせすべてがあれこれしているうちに死んで終わるはずとわかってきた。そう先が見えてきた。
 ただそうなると全てが虚しいというか、意味を持たなくなってしまって、どうにも無感覚、何も思わず考えなくなってしまう。それがこの実人生全てに及ぶ。

 愛する人や愛してくれる人たち、自ら守るべき家族がいれば、そこに留まらないだろう。そんな無常観、虚無感どころでなく、家庭中心に必死の、ある意味現在進行形の闘いの日々が続くはずだ。あるいは今熱中している大事な仕事を持っていれば、それに集中できよう。

 モノはたくさん抱えて、何でも持っていても、そうした「人」にとって一番大事な、大切なものを何も持たない自分は、生きていく身を貫く芯棒というものがない。今は老親たちがいるからまだすべきことは多々あるけれど、それはある意味負債でしかなく、やがては返してしまえば後には何もない。本当に何も自分には残らない。愕然とする。

 友もいるし、大事な仲間、女友達もたくさんいる。自分は同性愛者ではないが、内面は女、おばさんなので、気の合う友だちは女の方が多い。いや、少女趣味というのは、生物学的純然たる若い女性に対して用いる言葉ではなく、本来少女でない人たちにこそ使うべき言葉ではないのか。
 今さらこの歳で性転換とか面倒なこともしたくはないし、そもそも性同一障害どころか、自らに違和感を抱える人間性同一障害なので、どうにも治療法も行き場もない。あまりにマイノリティすぎて、他に同類もいない。
 男であろうが、女であろうが、自分の「本当」がわかっていればまだ楽だろう。男に生まれたのに自分の本当が女だと気づけばまだ手はある。そちらに合わせていけばいいだけだ。逆もまた然り。

 オレにはその核となる「本当」がそもそもない。自らに違和感があり、故に他者との距離がとれない。社会的対応が何一つできやしない。無理すればただ疲弊して結果失敗を繰り返すだけだ。根本がまっとうでなくイレギュラーなのである。それも個性だと思うが認めてくれる人などまずいない。だから誰からも愛されないし相手にされない。結婚もできない。
 が、絶望なんてしない。ここまで生きてこれたのだから、どんなに他者から呆れられ蔑すまされ否定されようと、そもそもそれはオレも同感だから全く気にはしない。何を今さらだ。オレは元からそういう人間なのだ。それは一番付き合いの長い当人が誰より知っている。

 ただ、他者はいても我が身、この人生はやはりたった一人なわけで、いくら物があり多彩な趣味があっても人生を貫く、これだという棒のようなものが自分にはない。それが辛いし困る。
 そして、音楽と神は自らにあり、救いだけれど、そのどれもが浅いことがまた悩みの種となる。信仰心すらもすべては才能なのだとわかる。そしてそれすらも当然自分にはない。何しろもともと芯棒がないのである。いったいどうしたらいい?

 が、基本がバカだから絶望もしないし諦めも自殺もしない。問題はすぐ人生をネグレクトして投げ出してしまうことで、ブログも含めて結果、中途半端となりやがては消滅してしまう。それだけはしたくないし、してはならない。バカにはバカの矜持を持つべきであろう。バカボンのパパのように。

 と、ここまで書いた。やっとカミングアウト?した。改めて何でもこのブログ、人様に迷惑が掛からない範囲と、不快な気持ちにさせないように、正直に、私的なことも含めて包み隠さず書き記していきたい。
 何でも投げ返してもらいたい。あなたと関係が持ちたい。さすればこの我が身のかぼそい芯棒も少しは太くなっていくだろうから。

 もう少ししたらすべてが動きだす。動かしていく。機も熟すだろう。そのためにもまずは地道な日常活動からだ。