人生は楽しめるときにとことん楽しめ2016年08月07日 17時27分37秒

★人は努めを果たすときが必ず来るのだから

 説教や教訓めいた訓話をしたり顔で、人様に説くほど厚顔ではない。が、今つくづく思う。こうして親たちの介護で身動きとれなくなって、初めてわかることがあった。
 そしておそらくそれは、その状況になってみないと絶対にわからないことだとも思うが、我が身にとっても書き記しておくべきことかと思うので記す。

 敬愛した山口瞳先生もよく若者たちに、成人の日などに新聞広告などで説いていた。おそらく彼も、書いたとしても彼らに伝わるとは考えていなかったに違いない。だが、先人の心得は、記すことによっていつかは、ああそういえばそんなことを書いていた人がいたなあ、このことかと不意に納得するときがくるときもある。
 小難しくエラソーに書く気はない。ただ経験としてやっとわかった人生の真理というようなものだ。

 この夏も年下の女友達から、夏の休暇で、出かけた先から励ましを兼ねてお見舞いのメールや差し入れのお土産が届いた。実に有難いことだと思う。我のような者を案じてくれて申し訳ない。そしてそうして彼女たちを反面羨ましくも思うことを告白する。

 もう今の我は、近場の谷保かけこみ亭にさえ顔出すこともできず、母が家にいれば、家から出るのは、犬の散歩と近所のスーパー、ドラッグストア、コンビニだけで、もう一切電車に乗って出歩くことも、誰とも会うこともない。ただ、母のオムツ交換と、むくんだ足などのマッサージ、そして食事つくり、父の食事介助、そして洗濯などだけで日々明け暮れる。いなくても病院に日に一度は必ず行って1時間は過ごす。
 それが辛いとか嫌だとかは思わないし何も考えない。ただ一日でも長く無事に平穏で親たちと共に暮らせる日々が続くことを願うだけだ。そして幸いにしてその願いは今現在かなえられている。

 実はこの数日、母の容体があまり良くなく、入院させているから病院任せにしていれば安心だとも思う反面、また不慮の出来事が急に起こるのではないかと不安で、夜も枕元に携帯電話をおき、落ち着いて深くは眠れなかった。
 来週半ばに退院ということで話は進んでいるのだが、また熱が続き、意識はあっても反応が鈍く、大丈夫か!という内心落ち着かない気分に苛まれていた。
 けっきょく、昨日は午前と夕方二回立川のその病院に出向き、病室で母の足をマッサージしながらあれこれ話しかけつつ時間を共にすることしかできなかった。
 幸い今朝方行ったら熱は下がり、意識もはっきりとしてきたので、現段階では退院できそうだと思えてきた。やや安堵した。またそのことはかなったら後ほどご報告いたします。

 さて、我は若い時から不良というほどではないが、十代の頃から放蕩の限りを尽くしメチャクチャな生活を続けていた。実家暮らしの頃から何日も家を空けてはふらっと関西まで遊びに行ったり、どれほど親たちを心配かけたかわからない。※聖書にある「放蕩息子の帰還」の説話はまさに身につまされる。
 親としては大学まで行かせたのだから、早く堅気になって会社勤めをしてほしいと願ったはずだが、けっきょく生涯きちんとした定職に就かず遊びや趣味を最優先して気の向くまま好き勝手に生きて来た。親たちも言っても無駄だと放任してそれを許してくれた。

 繰り返し書いて来たが、童話の「アリとキリギリス」の、キリギリスこそ我であり、世間の人たちは皆、そのアリさんたちのように皆地道に仕事に就いてコツコツと働いていたのに、我はそれをバカにして、自由の意味さえわからず自由を求めて実際行動はせず、だらだらと怠惰自堕落に自らを甘やかしつつ生きて来た。結果結婚もできず多くの友から女の子たちから愛想尽かされ誰からも相手にされず今に至っている。まあ、幸い数人の音楽仲間たちはたぶん今も我を見捨てないと信ずるが。

 そして今、老いて病む親たちの介護でいっさい我が身のことは何一つできなくなってみて、そうして好き勝手に生きたことを悔いているかと言えばちっともそんなことはない。いや、逆に、あんなに時間があったのにどうしてもっととことん本気で思う存分遊びでも何でもやらなかったのかとそのことを後悔している。
 親たちが元気でいたのだから家のことは何一つ心配せずに海外でもどこでもいくらでも行けた。金はなくてもきっとどうにでもなった。若さ=体力と時間、それだけが存分にあればそれこそが自由の証であった。
 なのに、我はそれを有効に用いなかった。何でももっと好き勝手にできたのに大したことは何もできなかった。

 今、家で、そうした若い人たちから、たぶん彼女たちは恋人と出かけてのことだろう、旅先からの便りをもらい、それが羨ましいよりもどうかもっともっと時間が自由に使えるうちに、自由に動けるうちに楽しいことをたくさんやって、楽しい思い出をたくさん作ってほしいと願う。
 そう、人生は楽しめるときにとことん楽しめ、である。
 何故なら嫌でも誰にでもそんな風に自由に動けて使える時間は失う時が来るからだ。それは我のように親たちの介護に追われてのことかもしれないし、あるいは自ら病気や事故などで自由を奪われるからかもしれない。
 いや、何も起きなかったとしても老いてくれば足腰が痛くなり気軽に動き回ることすらできなくなっていく。ならば若者よ、いや、まだ自由に好き勝手に動ける自由がある者たちよ、その自由を存分に、有効に使え。

 今我はこんな身になって悔やまれるのは、どうしてもっと時間のあったときに、何でも自由に動けたときに、精力的にあれこれやらなかったのかという自責である。いったい何をやっていのだろうか。のんべんだらりんと昼寝したり酔っぱらっていたのに違いない。そんな時間がいつまでも続くと思っていのだ。そして今こうなった。自業自得というしかない。

 そして、やがては 誰にも、努めを果たすときがくるのである。昔の人は言った。年貢の納め時だと。うまいことを言う。我は今その努めをはしつつある。しかしそれは辛くても嫌だとか拒絶すべきことではない。誰にも訪れるその時がきたに過ぎない。そしてそれは「良いこと」なのである。
 むろんその努めから逃げてトンズラする人生も可能だ。しかしそんな生き方すれば、年貢は重加算されて最後は懲役房で過ごすことにもなろう。それこそが地獄に違いない。我はそこまで悪人、確信犯にはなれない。

 だから、今はまだ自由に動けて時間のある人たちよ、とことん人生を楽しめ。その努めを果たすのに時間と自由を奪われる日が来る前に。人は何だってできる。その人が責任が負える限り人はとことん自由なのだから。

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