この淋しさを大事にして忘れず抱えていこう2016年11月19日 21時37分57秒

★長い長い一日が終わって帰ってきた。

 今年は我にとって大きな転機の年になると、予感はしていたが、母をはじめいろいろんなものを失った。
 それは自らの失態もあるけれど、原因はそれだけではなく、要するに時節、そのタイミングが重なったということだと思える。だからそれは一概に悪いことでも嘆き悲しむべきことでもないはずだ。
 しかし、人の心はやはりどうしても何かを失うとその後に、一抹どころか、かなりの淋しさが残る。心が瓶の形をしていたら、その底の部分に澱のようにたまっている。だが、今は、それを無理やり綺麗に片づけるのではなく、哀しみは哀しみとしてきちんと受け止めるように、その淋しさを大事に、忘れずに抱えてこれからも生きていこうと思った。

 そのひとと知り合ってからどのくらいになるのだろうか。中川五郎がメインのコンサートの前座に出ていて、その比類ない独特のうたのスタイルに興味を持って声かけて知り合った。もう10年は経つかと思う。
 それからこちらが企画した様々なコンサートに出てもらったり、ウチでのライブにも登場したり、毎年恒例のクリスマス謝恩ライブにもほぼ毎年来てくれるようになった。
 我にとって何よりの幸福は、一緒に、我のギターとうたに合わせて彼女もバイオリンを弾いてうたってくれたことだ。その瞬間はまさに至福の「快楽」を味わった。感動が電気のように体を走った。

 ときに恋人のように、妹のように、そして娘のように思い、仕事に追われて体調が良くないときもあれば心配し常に気にかけて来た。
 そして何より有難いのは、彼女と出会わねば、我は自ら唄い出すことはなかっただろう。彼女に我の作曲したうたを唄ってもらおうと思ったら、うたはまず作者自らが唄うべきだ、私はそのお手伝いはする、と言ってくれて、励まされ彼女のバイオリンのサポートで、拙くも我は「うた」を唄うことを始めたのだった。
 自らでは、中坊の頃やってたギターやハーモニカは、昔取った杵柄で、その頃ぼちぼち岡大介の影響で始めてはいたが、まさか人前で我が唄うことなんて、その頃は考えたこともなかった。

 そうしたきっかけを作ってくれた言わば恩人でもあるのだから、結婚式のお知らせが届けば、当然式には参列しないわけにはいかない。もちろんそれは突然ではなく、彼と交際していることは聞かされていたし、二人で出かけた旅行先から貰ったハガキなどで順調に愛を育んでいることも窺い知れていたから驚きではなかった。

 それが今日、午前11時から阿佐ヶ谷の教会であって、昨今流行りの形式だけのインチキ教会での西洋式婚礼ではなく、二人ともクリスチャン同士、牧師様がきちんと式を司ってしめやかに、だが簡素に、讃美歌を皆で唄いながら神の恵みと愛に満ちた素晴らしい結婚式は滞りなく行われた。
 相手の方も何度かお会いしたが、印象は非常にしっかりした真面目な熱血漢で、この人ならば大丈夫だと心から喜ばしくおもった。参列者皆に祝福された良い結婚式であった。我は感動した。

 それから、新大久保の「教育の貧困」コンサートにかけつけ、まあ何とか任されたビデオ撮影と録音は、失敗せずにできたかと思う。終えてほっとしたものの、午前の我が撮った結婚式の写真を、デジカメのモニターの中から、よしこさんや五郎氏ら、ミュージャンとしての新婦を知る人たちにお見せした。そしたら反応は、マスダさん淋しいでしょう、とか、これで寂しくなるね、と皆に言われて、五郎氏に至っては、「マスダは、ダスティン・ホフマンの映画みたいに結婚式に乱入しなかったの?」とちゃかされ、冗談交じりにその場は終わった。が、帰りの電車ではよしこさんたちに言われたことがひしひしと思い返されてきた。そして我は冗談でなく「淋しい」気持ちになっていることにはたと気がついた。

 ずっと大切に思い心配してきた人がようやく幸せな結婚に至ったのだから、本当に喜ばしい。喜ぶべきことだ。そして今我は心から祝福している。が、何故か淋しい。少しだけ泣きたいような気さえする。これは「花嫁の父」的心境なのだろうか。それともふられた気持ち、「失恋」のようなものなのか。
 ただ、ひとつだけはっきりしているのは、たぶんもうこれで「とうぶん」の間、もう我は彼女と一緒に音楽活動はすることはないということだ。新居で夫君との新生活が始まるわけだし、まずは仕事もお互い続けていながらその新ライフスタイルを軌道に乗せねばならない。
 プロの生業としてのミュージシャンなら結婚しようが音楽活動は変わらず続く。しかし、彼女はあくまでも日曜画家ならぬ休日シンガーだったし、本業の仕事も続けつつ家庭を持てば、趣味の音楽活動のための時間はなかなかとれないだろう。それは良き夫の理解があったとしてもだ。よしこさんからは、また、うたいたいときが来るから、と慰められたが、その日まで我々は待ち続けるだけだ。

 母のように死によって永遠に喪ったわけではないし、まして これは結婚という祝福すべき新たな旅立ちで、彼女にとって最大の幸福のときなのだ。良いことなのだから、失ったと思うほうがおかしい。ただ喜ぶべきだけで淋しいなんて思わずにいようと考えるが、覗きこむ空っぽの心の奥底には淋しさしかみつからない。結婚して良かったという気持ちはもちろんある。が、それとは別に、秋の夜中のようなこの寂寥感は何なのだろう。
 再び、いつかまた彼女と、あるいはぶらいあんずの皆と共に、音楽活動をやれる日が来ることを期待し、信じて待ち願いながら我は我の拙いうたを唄い続けていこう。今日帰りの電車でそう誓った。まずギターの練習からだ。
 オレも結婚したいよう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2016/11/19/8254574/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。