追悼・ムッシュかまやつさん2017年03月03日 14時39分47秒

★戦後の歌謡史を駆け続けた天才を悼む

 かまやつひろしさんの訃報が届いてちょっとびっくりした。我が子供の頃からずっと変わらずいつも音楽の場にいた人で、歳は関係なくきっとこのまま黒柳徹子のように永遠に生き続けると思っていたからまさか死ぬなんて思ってもいなかった。

 個人的にはテレビの中以外では何回かしか生のライブは観たことがないけれど、老いても歳は関係なくその存在感とテクニックは確固たるものがあって、かまやつさんはかまやつさんだなあといつも好感をもっていた。あんな風にひょうひょうと独自のスタンスで軽やかに生きられたらと憧れもした。
 それにしてもあんなに長く現役で、どんな時代でも活躍した人はもう今後出てこないだろう。 
 今の人は彼のことをあまり知らないかもしれないのでセンエツだが、記憶にあることを記しておく。

 元々彼の父は、日系二世の名トランぺッター・ボーカリスト、ティーブ・釜萢であり、やはり二世のジャズ・ミュージシャンの森山久とも親しく、その縁で妻同士が姉妹のゆえんで、森山良子とはいとこの関係だと聞いていた。
 そうした名門音楽家系に生まれた彼は、スタートは、やや遅れて来たロカビリー歌手として、ソロデビューしている。
 寡聞にしてその頃の彼のヒット曲は我は幼くして知らないのだが、「三人ひろし」の一人として、井上ひろし、守屋浩とならんで、かまやつひろしの名前は記憶にあった。※水原弘も加えて異なる「三人」、もしくは「四人ひろし」と呼んだかもしれないが、オミズは早く死んだことと他の三人とは別格の存在感があったので、やはり「三人ひろし」とは、井上、かまやつ、守屋であろう。その頃のイメージはもろアイビールックで短髪の二枚目である。

 ところが、今日多くの人が知るように、そんなあまりぱっとしない歌謡曲歌手が60年代半ばに興ったグループサウンズ=GSブームで、いつの間にかザ・スパイダースの一員となって再登場し人気を博すようになる。
 今日、三大GSバンドとは、三原綱木らのブルー・コメッツ、ジュリーこと沢田研二らのタイガース、そしてスパイダースとされているが、ブルコメは、そのブームの先陣を切ったものの、アイドルとしての人気はそれほど高くなかった。
 やはり当時の女子供、ティーンエイジャーたちを熱狂させたのは、何と言ってもタイガースとスパイダース、それにショーケンこと萩原健一がいたテンプターズで、中でもタイガースが一番人気だったと記憶する。
 ただ、タイガースは主に女性ファンが多く、僕たち男の子には、スパイダースのファンが多かった。というのもコミカル堺正章と二枚目井上順という二枚看板が売りで、今でいうエンタメ性が高かったし、それ以上に楽曲が優れていて音楽性も他のバントとは一線を画し抜き出ていたからだ。
 俗にリーダーの名前も入れて、田辺昭知とザ・スパイダースとして世に知られるが、そのスパイダースの音楽性の高さは、ひとえにかまやつさんの才能とセンスに負うところが多いのではないかと信ずる。
 タイガースの楽曲を今聴くと、どれも同工異曲の甘ったるい乙女チック歌謡曲が多いことに気がつく。それはそれでバンドの持ち味でありとやかく言うべきではないけれど、スパイダースのほうがバラエティに富み、佳曲、名曲が圧倒的に多い。ちゃんとバンドとして成り立ちサウンドを聞かせている。
 また、ビートルズ初期のロックンロールナンバーのカバー等もまんま英語でやっていたのは、日系二世の家系に育った彼の意向であろう。

 そして、GSで一斉を風靡した人気バンドにいたかと思うと、次に彼の名が世に広く知られるのは、フォークソングブームの渦中、ご存知「あゝ我が良き友よ」の大ヒットである。
 よしだたくろう作詞作曲のアナクロとしか呼びようのない古臭いバンカラな歌詞を、フォークシンガー然としてギター弾きながらごく軽やかにかまやつさんは唄い、それが予想外のヒットとなってしまった。たぶん、たくろう本人が唄っていたらあれほど売れなかったのではないだろうか。たくろう節では鼻につきすぎる。歌詞とはまったくかけ離れた人、かまやつさんだからこそ「うた」として成り立つのである。

 もうこの時点でお気づきのように、彼は歌謡曲からグルーブサウンズ、そしてフォークソングへと自由自在に軽やかにフィールドを移してその都度人気を博している。音楽のブームというのは、移り変わるごとにその前のブームにいた者は、古臭いと忘れ去られ人気を失うはずなのに、彼だけは常に新たなブームにちゃっかりと乗っかって、次のシーンにもいるのである。
 でもそれは、湯原昌幸のように売れるための悲壮感や頑張り感はみじんもなく、まさにかまやつさん独特の脱力感的スタンスでひょうひょうと軽やかに好きなようにやって、でも「しっかりいつもそこにいる」のである。
 ちょっとこんな人は他にいないのではないか。まずそのことに驚き感心する。

 ただ個人的に惜しむべくというか、不思議なのは、彼には彼自身がつくったうたではヒットがないことだ。むろん、和製カントリーとしての名曲「どうにかなるさ」はあるけれど、我が一番感心するスパイダース時代の佳曲「いつまでもどこまでも」も彼自身のボーカルではない。
 我は自分でも下手の横好きでギターをやるようになってみて、その譜面をみて楽曲として完成度の高さに心底驚いた名曲はこの「いつまでもどこまでも」と、槇みちるが唄った「若いってすばらしい」の二曲に尽きる。
 後者はナベプロの屋台骨を支え続けた天才作曲家宮川泰先生のペンによるもので、「いつまでも~」はかまやつさんの作曲である。この二曲は日本のポップス誌に永遠に残る名曲の極みだと断言する。他にもかまやつさんは本当に良い、天才的コード進行の楽曲をいくつも生み出している。が、その人柄もあるのだろう、偉ぶることもなくいつも変わらずあのくしゃくしゃの笑顔で、請われれば他人が作った「我が良き友よ」をひょうひょうと軽やかに唄っているのである。
 
 78歳というお歳が早いのか長生きなのかわからない。ただ早逝が多い音楽業界、それもロックシーンの場にいた人としては存外長命だと言えるかもしれない。
 ともかくまた日本のポップス界にとってかけがえのない天才が世を去った。
 おそらく天国でも彼はちっとも変わらないことだろう。素晴らしい人生だったのではないか。かまやつさんのように軽やかに生きられたら幸福であろう。彼に憧れた。ありがとうございました、ムッシュかまやつさん。あなたほどの天才はいない。合掌