さあ、気持ち切り替えてこの夏こそがんばろう ― 2017年07月12日 10時48分08秒
★死んだ者たちの思いを受け継ぎ、まだ生きている者ができることをしていく
今年は、だれにとっても辛く暑い夏だろう。何しろ雨がこちらはほとんど降らず豪雨で被災した方々には申し訳ないが、照りつける強い陽射しに大地はカラカラでともかく一雨恋しく思う。
降るべきところには降らずに、降り過ぎて大惨事が起きたところにまたさらに無情にも雨が降り続く。何と不公平なものだと神を呪いたくもなるが、自然とは、人生とはそうしたものでどうすることもできやしない。
せいぜい事前に備えてその覚悟を持つぐらいしかできないわけで、災難はいつどんな形で人を襲うのか、それがわからないまま人は無力に生き続けている。そしてどんな災難を受けようと、生き残った者はそこから立ち上がりまた生き続けなくてはならない。
昨年から我の周りでは訃報が相次ぎ、そういう世代に入って来たのだと思うしかないが、老人はともかくやはり同世代の知人を喪うと気持ちは落ち込んでしまう。我が身も含めてあれこれ考えて眠れぬ夜を過ごす。
おそらく誰もが、親しい者の死に遭うとその無情さに打ちのめされ、また自らも省みて多かれ少なかれ我が身を責めるのではないか。もっと何かしてやれることがあったのではないか、我が身の非力さ無力さである。
そして早く先に逝く者に限って、皆実に良い人なのである。誰よりも愛され必要とされ、もっともっと長く生きてこの世に在らねばならないはずの人こそ不思議に早く天に召される。他の誰よりも早く死んでいく。実に不思議ではないか。
我は昔からその理由を考えていたが、今はこう思う。人の一生がこの世に生まれて善行を成すためにあるのだとしたら、十分にそれを成し終えた人から、神は、もうご苦労さん、と召し上げるのではないのか。そう、生きているのは悲哀と苦痛に満ちたものだから充分お勤めを果たしたのだから早く上がってきなさいと。そう思うしかない。
長命に生きた立派な人もたくさんいるが、悪行の限りを尽くし老醜をさらし臆面なくこの世にしがみ付いている悪人も多々いる。
見渡せば何でこんな人が長生きしていつまでもこの世にいるのだろうと不思議に思える人こそ多いのではないか。善人こそ早逝し、悪人こそ馬齢を重ねる。実に皮肉な理解できない現実だが、世の中とは、いや人生とはそうした不可解かつ矛盾に満ちたものなのである。
いつも善い人が亡くなる度、我は何でオレではなく彼が死なねばならなかったのかと自問してきた。もう生きるのに疲れうんざりしている我は、代わりに死にたいとさえ思った。あんな良い人が死んで俺のような男が何故まだ生かされているのかと。もし死が罰ならば、まずこの俺から罰されるべきであろうと。
しかしそれもまた神の計らいであり、お前はまだこの世でお勤めは何も果たしてないではないからということであろうかと今は思えてきた。つまり天国?へ入るための徳が欠けていてこのままでは地獄へ真っ逆さまだから、死なさずに生かされているのである。
長生きしている悪人も、死ねば煉獄の業火に焼かれるのが無意識でわかっているからともかく死にたくないとこの世に居続けるのであろう。
冗談はともかく、彼は死にゆき、我はまだこの世に在るのだから、たくさんの思い残して死んでいった人の分まで、まだ生きている我らはがんばって生き続けなくてはならない。そう、生きている間に、成すべきことをしっかりやっていこう。
彼らの思いを継いでいく。そしてその人がいたことを忘れず語り継いでいく。それだけが我々にできることだと信じて。
今頃、告別式も終わり、やっちゃんの苦痛に満ちた肉体は焼かれ骨だけが遺される。今天国へと昇って行く彼の魂が我には見える。
やっちゃんの魂よ、安かれ。35年もの長い間、のみ亭ご苦労様でした。我もあの世に行ったら、彼がまた天国でやってる「のみ亭」に顔出すから、そこでまたライブをやらせてください。今からお願いしておく。
その日までさようなら。本当にお世話になりました。
今年は、だれにとっても辛く暑い夏だろう。何しろ雨がこちらはほとんど降らず豪雨で被災した方々には申し訳ないが、照りつける強い陽射しに大地はカラカラでともかく一雨恋しく思う。
降るべきところには降らずに、降り過ぎて大惨事が起きたところにまたさらに無情にも雨が降り続く。何と不公平なものだと神を呪いたくもなるが、自然とは、人生とはそうしたものでどうすることもできやしない。
せいぜい事前に備えてその覚悟を持つぐらいしかできないわけで、災難はいつどんな形で人を襲うのか、それがわからないまま人は無力に生き続けている。そしてどんな災難を受けようと、生き残った者はそこから立ち上がりまた生き続けなくてはならない。
昨年から我の周りでは訃報が相次ぎ、そういう世代に入って来たのだと思うしかないが、老人はともかくやはり同世代の知人を喪うと気持ちは落ち込んでしまう。我が身も含めてあれこれ考えて眠れぬ夜を過ごす。
おそらく誰もが、親しい者の死に遭うとその無情さに打ちのめされ、また自らも省みて多かれ少なかれ我が身を責めるのではないか。もっと何かしてやれることがあったのではないか、我が身の非力さ無力さである。
そして早く先に逝く者に限って、皆実に良い人なのである。誰よりも愛され必要とされ、もっともっと長く生きてこの世に在らねばならないはずの人こそ不思議に早く天に召される。他の誰よりも早く死んでいく。実に不思議ではないか。
我は昔からその理由を考えていたが、今はこう思う。人の一生がこの世に生まれて善行を成すためにあるのだとしたら、十分にそれを成し終えた人から、神は、もうご苦労さん、と召し上げるのではないのか。そう、生きているのは悲哀と苦痛に満ちたものだから充分お勤めを果たしたのだから早く上がってきなさいと。そう思うしかない。
長命に生きた立派な人もたくさんいるが、悪行の限りを尽くし老醜をさらし臆面なくこの世にしがみ付いている悪人も多々いる。
見渡せば何でこんな人が長生きしていつまでもこの世にいるのだろうと不思議に思える人こそ多いのではないか。善人こそ早逝し、悪人こそ馬齢を重ねる。実に皮肉な理解できない現実だが、世の中とは、いや人生とはそうした不可解かつ矛盾に満ちたものなのである。
いつも善い人が亡くなる度、我は何でオレではなく彼が死なねばならなかったのかと自問してきた。もう生きるのに疲れうんざりしている我は、代わりに死にたいとさえ思った。あんな良い人が死んで俺のような男が何故まだ生かされているのかと。もし死が罰ならば、まずこの俺から罰されるべきであろうと。
しかしそれもまた神の計らいであり、お前はまだこの世でお勤めは何も果たしてないではないからということであろうかと今は思えてきた。つまり天国?へ入るための徳が欠けていてこのままでは地獄へ真っ逆さまだから、死なさずに生かされているのである。
長生きしている悪人も、死ねば煉獄の業火に焼かれるのが無意識でわかっているからともかく死にたくないとこの世に居続けるのであろう。
冗談はともかく、彼は死にゆき、我はまだこの世に在るのだから、たくさんの思い残して死んでいった人の分まで、まだ生きている我らはがんばって生き続けなくてはならない。そう、生きている間に、成すべきことをしっかりやっていこう。
彼らの思いを継いでいく。そしてその人がいたことを忘れず語り継いでいく。それだけが我々にできることだと信じて。
今頃、告別式も終わり、やっちゃんの苦痛に満ちた肉体は焼かれ骨だけが遺される。今天国へと昇って行く彼の魂が我には見える。
やっちゃんの魂よ、安かれ。35年もの長い間、のみ亭ご苦労様でした。我もあの世に行ったら、彼がまた天国でやってる「のみ亭」に顔出すから、そこでまたライブをやらせてください。今からお願いしておく。
その日までさようなら。本当にお世話になりました。
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