のみ亭やっちゃんの葬儀の日程が変更になりました。2017年07月07日 22時07分10秒

のみ亭の前には彼を悼む花束が・・・※7日夜
★お通夜は、10日(月)6時~告別式は11日(火)10時~

 今、町屋斎場~西荻から帰って来た。

 今日夕方、町屋の斎場の、霊安室にあたる保管所でやっちゃんの遺体と対面してきた。つい先日まで生きてやり取りしていた人が、棺に収まり生前そのままの姿で、いや、我が知る最後にあったときよりはるかに安らかな微笑むようなお顔で、静かに遺体となってしまった姿に、ああっと叫ぶ以外もう言葉もなかった。

 中川五郎氏が、高田渡の遺体に会い、作ったうたに、その姿は「ギリシアの哲学者のよう」というという一節があったと思うが、まさに彼もまた痩せた頬と尖がった鼻に、髭を残し、知的かつ孤高の存在としてそこに眠っていた。何というハンサムな男かと昔から羨ましく思っていたが、死んでも彼はまさにナイスガイであった。
 そこには苦渋の面影はまったくなく、まるで今にも起きそうに、ただ深く眠っているだけであった。娘さんたちの話では、亡くなってからすっかりこんなやすらかな表情に変わったのだとのこと。
 ようやく彼も今はあの苦しみから脱して天国へと旅立ったのかと今、少しだけ我もまた救われた気がしている。しかし、とてもとても大事な人があまりにも早く突然逝ってしまったという衝撃と嘆きは日増しに強くなってきている。

 そう、お知らせだけ書かねばならない。

 当初、先に拙ブログで告知したように、ご家族の意向として、葬儀は家族葬として内々だけでとお考えであったが、あまりにその訃報の反響が多かったからだろうか、急遽変更して、一般の方も参列できるようお通夜と告別式を催すことになったとのこと。
 
場所は同じ町屋斎場でだが、

7月7日(金)~9日(日)、保棺の面会可、焼香なし。8時半~10時と16~19時

10日18時~19時通夜
11日10時~11時告別式

 ということで、広く多くの方々に故人とのお別れの席が設けられることになった。
 我は、お通夜か告別式にもう一度行けたらと考えているが、父の具合もあり、今はまだ定かではない。いずれにせよ、やや遠いが、やっちゃんと最後の別れができるのは良いことだと思う。彼の魂も待っていることかと思う。

 帰り道、斎場で一緒になった女性シンガーの方と彼の思い出を語り合いながら帰って来て、我は西荻で降りて、主なき「のみ亭」に出向いた。
 当然暗く閉まったままの店のドアには、ご遺族による、やっちゃん死去と葬儀の告知の貼り紙がドアに貼ってあって、いくつも花束が店の前には並んでいて、道を通る人たちが足をとめてはその貼り紙を覗いていた。

 西荻のその地で、約35年間、彼は一人でその店をほぼ年中無休でやり続け、しかも今月4日まで店に出ていたのだという。容態が悪くなり救急車で病院へ担ぎこまれてこの7月6日の早朝に亡くなったとのこと。
 家族も含め周りは、どうかもう店には出ずにじっと安静にしていてと願ったが、彼は最後まできかず、彼の愛した店に最後の最後まで命の続く限り出続けた。
 ほんとうに立派な、最後の最後まで彼らしい妥協しない頑固な生き方を貫いたと思う。ならば彼も満足して死ねたのではないか。いまはそれだけが救いだ。

 人はなかなかこんなふうに、思い通りに孤高のワガママな生き方は貫けない。やっちゃんは外目には誰にもやさしくソフトな人だと思う人もいるかもしれないが、その内に秘めた芯の部分は真に熱く一徹な、頑固な人であった。安易な妥協はしない、ある意味とても怖い人であった。その人がいなくなり、西荻の地に花開いた、彼が築いた「のみ亭」というひとつの文化が消えていく。
 彼の死もだが、彼の死と共に消えていくのみ亭という「店」、初めて来た人でも懐かしく感じ、とことん自由かつ反体制のユニークな場所がなくなることの哀しみもまた大きい。

 そう、これもまた仕方ないことだと思うしかないのだけど、つい先日まで生きて言葉やメールをかわしていた彼が死んでしまったことは今もまだ我は受け入れられない。
 遺体に向かって叫んだけれど、やっちゃん、ほんとうにごめん、本当にありがとう、何の恩返しもできないままこんなことになって、本当にごめんなさい、どうか安らかに、もう苦しまず深く眠って下さい、という思いしか何も言葉はない。
 彼の魂に平安あれ!