亡き人を悼む思いをどうカタチにすべきか2017年07月10日 23時18分49秒

★やっちゃんのお通夜に出て思った事

 今さっき帰って来た。今日も夕方から町屋斎場に行き、6時からの吞み亭主人「やっちゃん」こと、高杉康史さんのお通夜に参列して来た。
 その後、西荻で降りて、のみ亭隣の「沙羅(しゃら)」のママさんと16日に予定している「やっちゃん追悼ライブ」について打ち合わせしてきた。
 明日もまだ葬儀は告別式、そして出棺、火葬場という手順があるわけだが、おそらく町屋斎場内でお骨になるまで万事進むとしてももうここまでで今は良いと、亡き人も許してくれるかと思う。
 正直、我ももうへとへと心底疲れ果てた。今、愚痴をこぼすが、この数日ほとんど眠っていない。このところの暑さもあるが、夜、アルコール流し込んで布団に入っても寝付かれず聖書を手にして悶々として朝を迎えて睡眠不足の重い体を起こしている。このままでは我も彼の後を追う。

 今さら悔やんでもどうしようもないし、すべてそれはそれで仕方なかったのだと思うしかない。しかし、死に行く人を不必要に苦しめてしまったのではないかという自責の念はなかなか消えやしない。
 それを言うならば、今自分がやろうとしていることだって果たしてやっちゃんはどう思うかとさえ思う。しかし、今後のためにもやはり当初の予定通りに落とし前つけるしかないのだと思う。あえて言う、死人に口なしなら、俺が死んだらあの世でとことん責めてくれと。その覚悟もできていると。

 当初の家族葬の予定を変えて、一般葬、お通夜と告別式を催すことになったのみ亭主人やっちゃんの葬儀、我はお通夜に今出向いたが、スゴイ数の人出であった。軽く百人は超していたと思う。
 でもある意味当然なのである。西荻の地で35年もの長きにわたって同じ場所で一人で店を続けて来た人が急逝したのだ。その哀しみはとても内々では収まりようがない。我は当初の告知通り、葬儀抜きでの冷暗所での遺体との体面に赴いたが、その間もひっきりなしに来客が続き、けっきょくご遺族は家族葬ではすまないレベルだと考えなおされ、一般葬儀になったわけで、それはそれで良かったと今思う。より多くの人たちが彼に会え別れを告げることができたのだから。

 我はのみ亭の昔ながらの旧い関係は詳しくないが、知る限りでもどの誰も一度は店で見た顔ばかりで、のみ亭ゆかりのミュージシャンも今日だけで、バロンから、真黒毛大槻、さらに光玄まで、そうそうたる顔ぶれが来られた。
 我は早めに焼香を済ませ、斎場二階の高杉家の控室で、あろうことかホビット村関係、それもぷらさーど書店のキコリ氏らと同席することになり、出身大学の先輩と今さらながらここで顔合わす因縁の不思議さ、神の計らいを深く思うしかなかった。まったく神は何故かこんないたずらを、嫌がらせ的?に、あえてするのである。しみじみやっちゃんの葬儀だけで我は良いと思うはずなのに。何でこんな計らいを?

 さておき、今日の葬儀場でもご遺族に対しても16日に、お隣の店で「追悼ライブ」をやることをお知らせしそのチラシを顔見知りの方々には渡しもした。
 のみ亭と同規模かそれより狭い店だし、追悼の場にはふさわしくないかと思うが、まず追悼イベントの先例をつけていけば、やがてまたさらなる動きに繋がるのではないか。

 これは、その、のみ亭隣のお店の方から聞いた話だが、やっちやんが死んで、その後も店は閉ざされたままだが、先週末も深夜に、若い人たちが店の前で集い、泣きながらギターを弾いて静かな声でうたっていたという。
 その話を訊いて、今日やっちゃんの亡骸に再び対面した時以上に胸が痛んだ。彼らの深い哀しみに泣きたくなった。
 のみ亭とマスター、やっちゃんの存在は、そのように誰にとってもかけがえのないとてつもない大きな存在であったのだ。

 我はとりあえず、当初のやっちゃんとの約束通り、今月7月16日に場所は変えてだが、のみ亭のすぐ並びの「しゃら」で、追悼のライブを予定通りの時間と彼お気に入りの出演者で開催する。
 店も狭いし、これで「追悼」とはいかがなものかとご批判もあるかもしれない。ならばこそ、もっと大々的に、どこかのホールなり大きなスペースを用意して、大々的な「追悼コンサート」できたらと夢想している。
 我はそのために金銭的時間的すべてを惜しまない。しかし、我が一人でそれに動くことはできない。我はよっちゃんとは最後はともかくさほど親しくもないし、彼には彼がもっと信頼し大事に思う旧友がいくらでもいる。出過ぎた行為は控えねばならない。

 我がすべきは、事務局的裏方作業であり、そうした流れが自然発生的に起きれば、その事務方仕事はいくらでも無償でやりたい。しかし、この我が音頭とって何かをしようと目論むとたいてい出る釘の喩え通り、モノゴトは失敗に終わる。ゆえに我が動くのはやっちゃんと約束した今回までだ。

 ただ思う。やっちゃんの急死で、行き場なく、主なくただ閉まっているのみ亭の前で、彼を偲び悼みながら泣くしかない者たちに、その思いの場を設けたいと思う。
 それには、斎場などでの葬儀ではなく、誰もが参加出来、亡き彼への思いを発露できる場が必要なのではないのか。そうした高田渡のときは出来た場を我はもう一度つくれたらと強く願い強く考えている。
 ただ、我だけではできない。我が勝手にいち早く動けば角がたち逆効果となろう。つまるところ気運が高まり、音頭とる者が決まれば、我はそのサポートはいくらでもする。

 そう、今だって、16日の追悼ライブは面はゆい。しかし、ご批判無用。オレはやっちゃんと約束し彼からの許しを得、彼も待ち望んでいたのだと思う。まずその約束を果たす。これが我の落とし前なのだ。追悼の仕方なのだ。

 誰もがそれぞれ同じ思いは持っている。が、思っても何もせず、あれこれ批判し文句言い足を引っ張る奴らは地獄に墜ちろである。まず自分で動け、思いあらば。それともお前の思いはその程度のものだったのか。それでは死んだ人に申しわけない。会わす顔がないだろうが。
 我はその覚悟がある。地獄に墜ちる覚悟もできている。死んだ人に今できると思うことをしよう。オレはそれをする。自ら罪なき者と任ずる者だけが俺に石を投げろ。