生きているだけでまずは良しとしよう2017年07月30日 08時26分25秒

★オスプレイよ、我が頭上に堕ちよ

 夜来の雨がしとしとと降り続いている。いったん明け方目覚めたものの、がんばって二度寝して先ほど8時過ぎ起きた。
 久しぶりに寝坊した。睡眠不足を補うため日中も断続的に短時間眠っているが、やはり眠るべき時間にしっかり眠るのとは質も違う。久々に夢を見た。
 今身体は怠いが、たっぷり眠った充足感がある。いつもは早朝から散歩をせがみ吠えて騒ぎ出す犬も、雨の日は体が濡れるのを嫌がって今朝は静かで長く眠れたのだ。

 そう、ともかく生きていれば、生きているだけで良いのである。沖縄の人たちは「命どぅ宝」だと言った。何もできなくても父のように周りに迷惑かけて、さんざん手を煩わすようになったとしてもそれでも命ある限りは生きていく権利も義務もある。
 息子であろうともそれを奪い、嫌がる彼を一方的にどこかの恒久的介護施設内に押し込むことはできない。我が倒れ、面倒みれなくなればそれも致しかたないが、できるうちは精いっぱいできるだけのことをやっていこう。

 人は生まれて来たからには必ず死ぬ。また何もなかった昔に戻る。何かを成し得、何かを残し得た人も、何一つ成し得なかった人も同様であり、そこに人としての上下や貴賤はない。
 その役割はまさに様々であり、童話『アリとキリギリス』のように、勤勉なアリのような人もいれば、夏の間中、つまり生きている間はずっと、楽しく歌い続けてきて、冬が来て困ってアリに縋りつくような人もいよう。
 冬に備えて働き続けたアリが偉いと世間は考える。しかし、キリギリスにはキリギリスの生き方もあろうし、我は今は、それが彼の「役割」なのだとはっきりわかる。

 もし世間、社会全体が働きバチ、働くアリだけとなってしまえば、どれほど息苦しいだろうか。彼らは歌うことはしない。ひたすら働き続けその組織に奉仕し短い人生を終えていく。
 ならばそこに、うたや音楽が必要だと思うし、彼らのためにも音楽を奏でるキリギリス的な者は必要なのではないか。
 一番の理想は、アリはキリギリスの歌を聴き、労働の手を休み憩い、キリギリスには冬が来たときに歌い続けた彼を慰労しいくばくかでも援助してやる社会保障があれば良い。

 そうした役割としての互助関係が成り立つのが正しい社会の在り方だと考えるし、むろんGive&Takeの関係がないとしても、同時代に生きている者たちは共に助け合わねばならない。全てを成果主義や社会や他者への貢献度で計ってはならない。
 意思の疎通が難しいような身体に生まれてもかけがえのない尊い命なのである。他者にそれを奪う資格は絶対にない。

 ただ、こうも思う。生まれて来たからには、まだ生きて(生かされて)いるのならば、自らの利害や損得だけ考えてはならないし、まずはそれを優先したとしても少しでも余裕あらば、人は人のために、つまり他者や外の社会のために何かできることを少しでもしないとならない。
 常に自分のことだけしか考えない人は、動物に近い。そしてそういう人にはやがて誰も近寄らなくなっていく。

 我も昔はそうであった。今も未だその気質はかなり残っているが、半世紀以上生きて来たので、ようやく目覚めた。気がついてきた。どれほど溜めて蓄えても人は死ねばあの世には何一つ持っていけないのである。自分のことだけ考えても意味がない。
 まさにナザレのイエスが説いたように冨は天に蓄えよである。つまるところその冨とは善行であり、信仰であり、そして愛なのである。

 雨は昨日の夕方から降り出し、当初はかなり強く降った。
 その雨の中、ものすごいプロペラの爆音で我家の頭上をオスプレイが相次いで二機、滝山側から横田基地へと飛来して来た。
 オスプレイが近く横田には常駐されるという。周辺住民としては墜落の危険性が高いこの軍用機の配備には強く危惧を抱き大きな不安がある。しかし、そのことを先の都議選で訴えたのは、共産党の候補だけで、自民も、当選した都民ファーストの候補者も基地問題については何一つ言及しなかった。この町には「空」がないかのように。

 我は、オスプレイが来て、常時頭上を飛び交い、父も逝ってしまったならば、こんな騒がしい場所に住むのは断念して静かな山梨の里山に居を移すことも考えていた。
 しかし、今はこう思っている。オスプレイが横田基地近くの住宅地に堕ちるとしたらばまずは我が家に墜落せよと。我はその被害者として死んでもかまわない。そしてそのことで初めてこの特殊軍用機の危険性が改めて世界中に発信され、首都に米軍基地のある異常さが露呈するであろう。

 日米は沖縄の普天間基地が住宅地に隣接して危険だと言う。ならばここ横田でも周辺はまったく同様、密集した住宅地なのである。何で普天間が問題視され、それゆえに辺野古へ強制的に移設しようと妄動をはかるのに、横田はそのまま手つかずなのであろうか。理解に苦しむが誰もそのことにふれないし平和委員会や一部の人たち以外訴えも抗議もしない。まさに見て見ぬふり、気づいているのに人は知らぬふりである。

 我はそのための捨て石になってもかまわない。そのときはそれが我の「役割」だったと死んだとき知るであろう。
 さておき、雨も小降りになって来た。犬の散歩を済ませたら、今日はこれから「ぶらいあんず」の久々の練習が新宿である。8.11のコンサートで、少しでも成果出せるようがんばろうと思っている。
 この夏はあれこれあって忙しい。しかし、それもこれもまだ生きている故である。ならば生きている間にできることすべきと思うことを少しづつでもやっていこう。父が不在の間にこそ。