そしてこれからのこと2020年04月27日 23時52分20秒

★進むも地獄、引くも地獄ならば・・・

 一夜明けた。久しぶりにぐっすりたっぷり眠れたが、何も体使う仕事はしていないのに、起きたら身体の節々がなぜか痛く怠い。まあ、それだけ心身ともに体力を費やした証かと思うが、興奮覚めて思うは、果たして開催でき無事終えられたからといって手放しで身勝手に喜んで良かったのか、だ。

 俗に、行き詰まり、引くに引けないがもう身動き取れない状況のとき、「進むも地獄、引くも地獄」と喩えが用いられる。
 今回の企画開催に関しては、開催するも地獄、中止(自粛)するも地獄という迷いと苦悩の間で気持ちは大きく揺れ動いた。
 そしてそのことで出演者をはじめ関係する多くの人たちにご迷惑をかけてしまった。
 開催でき、無事終えられたからといってそれで万々歳と言うのは早すぎる。そう、2~3週間先、その時点で感染者が我の周囲、関わった人たちの間から一人も出なかったと確認できない限り、開催の是非は定まらないのだろう。
 一夜明けて、昨日の我が撮った画像をデジカメからパソコンに取り込み、それをいつものようにまず当ブログで時間を追ってアップしようと考えたが、それは今回は控えることにした。
 ※一部の承諾得た人たちの姿はアップしてあるけど、全体、全様については、コロナ騒動が完全に終息してまた元通りに全ての文化活動が再開されたら再掲したいと考えた。

 昨日出られた方々とメールで確認・相談したところ、その画像もお名前も今回は現時点では対外的に発表しないほうが良いということで同意したからだ。
 その理由は説明するまでもない。自粛の嵐が吹き荒れる中、内内であろうともライブ行為を行ったこと自体、世の人々の耳目をよくも悪くも集めるだろうし、もしものことだが、そこ、かけこみ亭から感染者が出、クラスターが発生した場合、出られた方々は、大変なバッシングを受けよう。ある意味社会的制裁、活動停止に追い込まれてしまう。

 我は毎度のコト、愚かで考えなしだから、終わってからやっと事の重大性に気づく。自らのエゴで、結果として多くの人たちを危険にさらしてしまったのだ。
 引くも地獄と書いたが、考えてみると、引くこと、つまり「中止」のほうが、現況下ではもっともたやすく理性的経済的なことであった。
 というのは、自粛が当たり前の風潮なのだからそうしたとしても誰も文句も苦言も出ないだろうし、会場を予約して広く宣伝活動を行いチケット売って準備進めるようなコンサートではないのだから、むしろ「中止」したほうが、常に自腹切ることとなる「お車代」すら不要となるのだから経済的負担も少ない。

 逆に冷静になって現下の諸状況を終えた今俯瞰して見ると、開催する方があまりにもリスクが大きかった。状況が見通せる利口な人だったらば、現況を冷静に判断すれば医療的、人道的見地、その他あらゆる見地からしてもどのようなやり方、規模であれ開催はすべきではないというのが「常識」的判断であったと思い至る。
 が、我はやった。終えた今になって覚めて気づいたからそうワカルわけで、ともかく毎度のことだが、やってしまったのからそれは悔いはない。そう、時間は戻せないのだから。

 尾籠な例え話で失礼だが、道に犬のウンコが落ちていたとする。が、それはかりんとうかもしれない。そっくりで見かけではわからない。さて、どうするか。
 誰もがそれは拾わないし、そんな道は通らないか、横目で見てそこを避けて過ぎ去るだろう。だが、この我はまずそれを拾って食べてみて判断する。※じっさいの話しではなくあくまでも喩え話。

 いや、実際のこと、そんな風にして常にリスクを怖れず、いや、そもそもバカ故にリスクに気づかず、むしろリスクに自ら飛び込んで生きてきた。ひとにそうした話をすると、それでよく無事でこれまで生きてこれましたね、と呆れ果てられる。

 過去の我のしでかした愚かで危険な冒険譚に比べれば、今回の一件などごく軽い方だが、結果として自らだけでなく多くの関わってくれた方々にも危険かつ不安な思いを味あわせてしまったかと申し訳なく今思う。じわじわと後悔の念が湧いて来る。
 自分はどうでもいい。どうなろうとかまわない。自らもその父すらもコロナ禍による死の覚悟はできている、としても他者までも巻き込み、危険な目に遭わせるようなことは絶対すべきではなかったのだ。

 しかし、時間は戻せないし、何であれ、常に行動して痛い目に遭わない限り気づくことのないのが我の本質なのだから、開き直るようだが、それは仕方ない。時間は戻せないし、たぶん「中止」したとしてまた別の悔いに苛まれ鬱々悶々としたことは間違いない。
 ならばリスクあろうと決行したほうが、精神衛生上は良いわけで、問題は我のエゴが他者をも巻き込み危険な状態に引き入れてしまったことだけだ。
 今さらだが、ほんとうに以後自戒したい。ただただ申し訳なく今思う。

 さておき、次回の「月刊・共謀」コンサート、5月の回は、早くから企画自体、そのプロデュースを年下の信頼できる友人に全面的にお任せしてあるので、我自身は演者として関わるだけで実質的に一回お休みの気持ちでいた。そう、ここいらで一回楽したいと考えたのだ。
 そしてそこにこのコロナウィルス騒動である。一か月後はどういう状況となっているか全くわからないが、お任せした彼の判断で決行されるのか、中止とするか決まるはずだし、その意向に全面的に従うつもりでいる。次回も開催ありきとして、その彼が中止と決断したのに、代わって我がまた一人でも開くなんて無謀なことはしない。

 6月の回も企画自体は決定しているが、現時点ではまったく先が見えず、その月に入って感染状況の収束いかんであろう。いくらなんでも6月末の頃には、感染拡大も収まっているのではないか、そう期待したい。いや、少なくともイベント「自粛」のムードは解消されていてほしいと祈る気持ちでいる。

 何であれ、先のことはわからないし、我のバカも治らない。自分でも何をしでかすかわからない。しかしそれで自分を責め絶望しても仕方ない。そんな時間あれば、ともかく今できる、すべきことを粛々と自分に課すだけだ。
 ともかくもこの「集い」をやれたことで、その場の「うた」と詩、音楽から大きな力を我は頂いた。その感謝の気持ちをこれからもカタチにしていきたい。
 そう、我が、一人でできることをやっていく。その責がきちんと負えることを。

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