まずは、コロナ第3波の最中、11/28日を無事に終わらせてから、だ ― 2020年11月26日 11時07分10秒
★コロナ感染拡大第3波の渦中に
秋はともかく忙しい。まさに目が回る程だ。
父不在の日でも早朝からの庭先、道路の落葉掃きでおちおち長く深く眠れないし、今頃になって先日の自転車での転倒の傷というか部位があちこち痛み出したのと件のアレルギーで咳も止まらず、満身創痍とはこのことか、という感じである。言葉の綾ではなくまさに睡眠不足でメマイがしている。
が、できるときにすべきことを、つまり、やらなくてはならないことを一つでも少しでも進めていくしかない。でないとどんどんさらに溜まるばかりだ。
今朝は久しぶりに朝からカラッと晴れたので、溜まった洗濯ものを懸命に洗っている。ウチのは昔ながらの二層式、しかも粉せっけんだからだからいまどきのそれのようにスイッチさえ入れれば後は干すだけというわけにはいかない。
いちいち取り出しては脱水かけて、またさらにすすいで、最終的に再度脱水して干すという手順を繰り返す。洗うものが多いとそれを何度でも繰り返さねばならない。
今日は夕刻、父が介護施設から戻る。すべてはそれまでの勝負で、明日は訪問診療も来るので終日在宅の日なのだが、施設に無理言って明日の夜から一泊早めに預かってもらうことにした。
今も洗濯機廻しながら二階に上がってはこれを書き進めている。午前中にともかく干さないと明日施設に持っていく父の着るものがない。
何であれ我が人生は常に後手後手で、季節のほうや老いのほうが先回りして慌ててそれに対処して何とか「とりあえず」間に合わしている。
根本的に追いつきはしない。古本屋稼業ということもあってモノはどんどん溜まるしそれを処理・分別、出品する時間もろくにとれない。
私的にやりたいことはいっぱいあるが、ともかく今この人生をかろうじて維持することだけで手いっぱい、精いっぱいなのだ。
人並みのまっとうな人生、フツーの人生はどんどん先へ進んでいく。我はそれを見ながら今も必死に後を追っている。
が、その距離はどんどん引き離される一方のような気がする。
さておき、後手後手で思うのは、菅政権、政府のコロナ対策である。
今また第3波が押し寄せて、けっきょくGoToキャンペーンはそれぞれ一時中止としたり、繁華街などでの飲食店は各地で時短営業が要請されてしまった。
まあ、今回、かけこみ亭でのコンサートには大きな影響はないと思うが、慎重な人はとうぜん足を運ぶのは躊躇うことであろう。出る側もまた然り。そう考えると憂鬱である。またも緊急事態宣言が出たらどうしたものか。
しかし、これもまた当然のことであろう。感染が完全に終息してもいないのに、消費喚起策として国を挙げて旅行に行けとか店で飲食しろとかGoToキャンペーンで人心を煽るからである。結果人出が増す。そして全国でこれまでで最大の感染者数を日々更新する事態となる。
政府は「三密」に加えて、換気や体温の計測、手洗い消毒などを徹底すれば移動しても問題ないといまだ言って、感染拡大は国民の気の緩み、からだと国民に責任を転嫁している。
が、これこそ噴飯モノで、「気の緩み」は政府が音頭とって始めたこのGoToという愚策が引き起こしたからだし、何より問題なのは、コロナというのは無症状、軽症の人も多々いることを失念していることだ。
つまり発熱など症状がないとして各地へ出かけお店て飲食している人たちの中にも確実にウィルス持った人はいるのである。結果として全国的にウィルスを国が拡散させてしまったからこんなに感染者数が増えたのだ。
それを野党は批判するばかりで学術会議のことばかリ騒いで何もコロナ対策しなかった、とかコメントするバカの何と多いことよ。
さておき・・・
「肉屋を支持する豚」とか「卵を産まなくなった鶏」とかまるでイソップの喩え話のような事態があちこちで起きている。
そうしたことについて書き記したいと思うが、ともかくいまは時間がなく、まずは28日を無事終えてからだ。
いま、午後1時半過ぎ。何とか洗濯物は全部干し終えた。思ったよりも時間がかかってしまった。今日乾かなくても何とか明日一日あれば父が明日の夕方持って行く分は乾くだろう。
コロナが続く限り、もうかつてのような音楽イベント、コンサートはもう不可能のような気がしてきたが、ともかく我が出来る限りのことはこれからも続けていく。
それが音楽を手の内に入れた者の務めであろう。そう、音楽はどこにいたって出来るし存在するのだから。
秋はともかく忙しい。まさに目が回る程だ。
父不在の日でも早朝からの庭先、道路の落葉掃きでおちおち長く深く眠れないし、今頃になって先日の自転車での転倒の傷というか部位があちこち痛み出したのと件のアレルギーで咳も止まらず、満身創痍とはこのことか、という感じである。言葉の綾ではなくまさに睡眠不足でメマイがしている。
が、できるときにすべきことを、つまり、やらなくてはならないことを一つでも少しでも進めていくしかない。でないとどんどんさらに溜まるばかりだ。
今朝は久しぶりに朝からカラッと晴れたので、溜まった洗濯ものを懸命に洗っている。ウチのは昔ながらの二層式、しかも粉せっけんだからだからいまどきのそれのようにスイッチさえ入れれば後は干すだけというわけにはいかない。
いちいち取り出しては脱水かけて、またさらにすすいで、最終的に再度脱水して干すという手順を繰り返す。洗うものが多いとそれを何度でも繰り返さねばならない。
今日は夕刻、父が介護施設から戻る。すべてはそれまでの勝負で、明日は訪問診療も来るので終日在宅の日なのだが、施設に無理言って明日の夜から一泊早めに預かってもらうことにした。
今も洗濯機廻しながら二階に上がってはこれを書き進めている。午前中にともかく干さないと明日施設に持っていく父の着るものがない。
何であれ我が人生は常に後手後手で、季節のほうや老いのほうが先回りして慌ててそれに対処して何とか「とりあえず」間に合わしている。
根本的に追いつきはしない。古本屋稼業ということもあってモノはどんどん溜まるしそれを処理・分別、出品する時間もろくにとれない。
私的にやりたいことはいっぱいあるが、ともかく今この人生をかろうじて維持することだけで手いっぱい、精いっぱいなのだ。
人並みのまっとうな人生、フツーの人生はどんどん先へ進んでいく。我はそれを見ながら今も必死に後を追っている。
が、その距離はどんどん引き離される一方のような気がする。
さておき、後手後手で思うのは、菅政権、政府のコロナ対策である。
今また第3波が押し寄せて、けっきょくGoToキャンペーンはそれぞれ一時中止としたり、繁華街などでの飲食店は各地で時短営業が要請されてしまった。
まあ、今回、かけこみ亭でのコンサートには大きな影響はないと思うが、慎重な人はとうぜん足を運ぶのは躊躇うことであろう。出る側もまた然り。そう考えると憂鬱である。またも緊急事態宣言が出たらどうしたものか。
しかし、これもまた当然のことであろう。感染が完全に終息してもいないのに、消費喚起策として国を挙げて旅行に行けとか店で飲食しろとかGoToキャンペーンで人心を煽るからである。結果人出が増す。そして全国でこれまでで最大の感染者数を日々更新する事態となる。
政府は「三密」に加えて、換気や体温の計測、手洗い消毒などを徹底すれば移動しても問題ないといまだ言って、感染拡大は国民の気の緩み、からだと国民に責任を転嫁している。
が、これこそ噴飯モノで、「気の緩み」は政府が音頭とって始めたこのGoToという愚策が引き起こしたからだし、何より問題なのは、コロナというのは無症状、軽症の人も多々いることを失念していることだ。
つまり発熱など症状がないとして各地へ出かけお店て飲食している人たちの中にも確実にウィルス持った人はいるのである。結果として全国的にウィルスを国が拡散させてしまったからこんなに感染者数が増えたのだ。
それを野党は批判するばかりで学術会議のことばかリ騒いで何もコロナ対策しなかった、とかコメントするバカの何と多いことよ。
さておき・・・
「肉屋を支持する豚」とか「卵を産まなくなった鶏」とかまるでイソップの喩え話のような事態があちこちで起きている。
そうしたことについて書き記したいと思うが、ともかくいまは時間がなく、まずは28日を無事終えてからだ。
いま、午後1時半過ぎ。何とか洗濯物は全部干し終えた。思ったよりも時間がかかってしまった。今日乾かなくても何とか明日一日あれば父が明日の夕方持って行く分は乾くだろう。
コロナが続く限り、もうかつてのような音楽イベント、コンサートはもう不可能のような気がしてきたが、ともかく我が出来る限りのことはこれからも続けていく。
それが音楽を手の内に入れた者の務めであろう。そう、音楽はどこにいたって出来るし存在するのだから。
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