申しわけないが調子が悪い2020年10月01日 23時59分08秒

★新しい月、中秋の名月の下に

 10月に入った。またまたブログ間が空いてしまった。
 このところめっきり涼しくなって、ときには肌寒い日すらあって、我の持病、寒暖差アレルギーが起きたらしく鼻水や咳、微熱などの風邪の初期症状のような状態が続いている。

 コロナではないと信ずるが、母が生きていた頃から我は季節の変わり目には必ず風邪ひいたような体調が何週間も、ときに一か月以上も続き体調を崩す。特に秋口になると必ず。
 寒いなり暑いなりその気温の状態が安定すればそれは収まるのだが、先月のように残暑まだ厳しい日々から一気に気温が下がり涼しくなってきたり、朝晩は冷え込むようになっても日中は汗ばむほど気温が上がる日があると、その「寒暖差」、つまり気温の上げ下げに身体が対応できずアレルギー症状が出るわけだ。

 そしてそれに加えて、数年前に起きた足の裏の激しい痛み、「足底筋膜炎」も右足だけだが、再発して痛くて歩けないというほどではないが、片足を引きずって歩いている。
 さらに慢性的もう一つの持病、人様には公言するのは憚れる下の病気、過活動膀胱も悪化して、外ではまず起こらないが、家にいて、特に寝起きのときなど、小便が我慢できず毎回垂れ流しの状態となっている。トイレに行くまで我慢できないのだ。
 このままだと父の尿漏れパンツも借用しないと対応できないと真剣に検討中だ。しかし我はまだ60代前半なのである。この先どうなってしまうのか。
 そこに我の失態、積年ネグレクトして来たツケから猫が増殖してしまい、今初めてここに記すが、今も大小10数匹の猫が我が家にはいて、その世話で経済的精神的にももう限界気味なのである。
 間もなく96歳になる、超年寄りを抱えて、父が在宅でないときも、そうした体調の悪さに加えて猫たちに起こされたりで睡眠不足が続き、もうフラフラヘラヘラだった。さらに加えて我の唯一の糧、古本稼業もあり、細々とだが、注文あればそれに迅速に応えないと店子は家主のAmazon様からペナルティをくらう。※その脅し、「警告」がすごいんですよ。

 以前のように落ち着いてのんびりブログ書き、世のあれこれに思うところをまさに徒然なるままにだらだら書き進められた頃が懐かしくさえ思う。
 まさに申し訳ないが、今は日々何とか生きていく、つまりその日を無事に乗り切るだけで精いっぱいギリギリで。日々の出来事すらブログで書く時間も気力もない。もし、その時間あれば30分でも長く寝ていたいというのが正直な気持ちなのだ。
 
 父が逝けば、我はその世話から解放されて楽に自由になれるかというと、ウチの基本的収入である父の年金が途絶えるわけで、またそれはそこから新たな地獄が始まるだけのことでしかない。
 
 このところ芸能人の自殺が相次ぎ報じられているが、実のところそれは知名度高い有名人だから騒がれるだけのことで、まさに氷山の一角でしかなくその裏には大勢の無名の一般人の自死が激増しているのではないか。
 そこにどのように影響しているかはっきりしなくても間違いなくこのコロナ禍で新たに強いられた「新しい日常」が影を落としていることは間違いないと我は考える。

 人と人との距離をとることが推奨される社会は実におかしい異常な世界であり、移動の自粛も含め日々のストレスを発散する場すら、「三密」だからと奪われてしまえば、人は孤独のうちに自死するしかない。
 芸能人は世間の目が常にあるから特にストレスが大きく、ましてこのコロナで多忙のはずの仕事もなくなり社会的繋がりを失えば、結果誰にも悩みを相談できず突発的に自死を選ぶのだと我は想像する。

 我も体調に加えて、これからのこと、先の「問題」について真夜中に目覚めたときなど考え出すと、先年亡くなった友人T氏の口癖「暗澹たる気持ち」に囚われまさに絶望的になる。いったいどうしたらいいのだろう。もうダメなのではないか。どうしようもないと絶望的気分なってしまう。
 が、我には拙くとも我の音楽と神が在るから、自死は選ばないし、それで解決しようとは今は思いもしない。もしそれで人生を終わらせられたとしてもそれは根本解決ではなく、まさに「逃げた」だけのことでしかなく、あの世で後々までも地獄の業火に焼かれるだけのことだ。
 そう、これまでも我はずっと嫌なことや面倒なことなど誰もが当たり前にすべき人生からひたすら「逃げて」きたが、最後の最後までそれはしないしできやしない。

 いや、これは真実、真理の話で、古本稼業の傍ら、何十年も手元に来た様々な「あの世」について書かれた古今東西の記録本、研究書を読んで、宗教でなくとも「あの世」、「死後の世界」は存在するし、自死も含めて「殺人」はその責務をまさに死後も償うことを認識したからだ。ならばこそ地獄はこの世で迎えるしかない。いかにしっかり向き合えるかだ。
 いや、地獄は、自業として自らが招いたと同時に、与えられた荷であるのだから、やはりその荷を背負い続けて一生を終えねばならないはずだ。
 よく神はその人が背負えない荷物は与えないというが、正直なところ我はそれすら疑わしいとおもうときが多々ある。この世は悲哀の海だから。
 が、同病相憐れむという俚諺のとおり、困窮にあり悩み苦しむ者たちこそ共に手をとりあい荷は分け合えないとしても励まし慰労し合えるのではないか。何も解決しなくともそこに救いはあると我は信ずる。
 だが問題はコロナウイルスはそうした密接かつ大切な「人間関係」を感染拡大に繋がるからと禁止してしまったことだ。いや、それは専門分野のことしか頭にない非常識な「専門家」たちの謂いか。それを「ニューノーマル」とか「新しい生活習慣」と言い切ってしまう政治家たちのデリカシーのなさよ。

 と、書きだせば、つらつらととめどなくいくらでも書ける。が、気がつけば午前1時を回って日付は変わってしまった。今晩は父が在宅で、明日明け方もオムツ交換に我は起きないとならない。寝る時間がなくなってしまう。
 体調が悪いので、父を送り出す明後日、土曜日の朝まではブログは書けないと、それだけ告知として載せるはずだった。が、こんなに長くなる。
 ともあれ、間は空いたとしてもブログ書き足し続けている間は我はまだ生きていると思ってほしい。一か月も断りなく途絶えてしまったときは、とうとう何かの理由で死んだと思って間違いない。ご了解願います。

人の死に方考2020年10月03日 21時23分00秒

★我が父、いよいよ末期のときが近づいて来たこと

 また極私的なことを書かせてもらう。関心ない方は読まないで頂きたい。縁起でもないと思われるだろうが人の死に方について思うところを書く。

 今日は土曜。朝方父を民家型お泊りデイサービスの介護施設に送り出して午前は買い物とか用事を済ませたあと、昼過ぎから自転車走らせ東中神の銭湯に行き、久々に身体を丁寧に洗い広い湯船で手足を伸ばしのんびり湯に浸かって来た。そこは小さいながらも露天風呂もある。きちんと湯に入るのは何週間ぶりのことか。

 帰り道、銭湯向かいの肉屋で揚げたてのコロッケとメンチを買い、齧りながらコンビニで缶酎ハイも買って、ほろ酔い気分でウチに戻り倒れ込むように夕方まで深く眠った。
 起きたらもう外は暗かった。でも久しぶりに寝足りた気分で身体も心もスッキリしている。
 犬猫たちに餌もやって、家事は一段落、とりあえず今9時すぎ、二階の自室でパソコンに向かっている。

 我が父は、このところ二か所の介護施設に通い、そこでお泊りもして家に帰ってくるのは、月曜と木曜の夕方で、月曜は翌日火曜日の朝、また別施設に送り出す。
 が、金曜は終日家にいて、医師の訪問診察や、看護師の訪問が交互にある。そしてまた土曜の朝施設に送り出す。つまり木曜の夜から金曜一日、晩も含めて二晩は在宅で我が面倒見ないとならない。
 が、このところまた呆けが進んで、夕方昼寝でもさせてしまうと、深夜に戸をこじ開け外に出ようと徘徊したり、穿かせた尿漏れ防止パンツを自ら脱ぎ捨て、下半身裸で眠ってシーツに小便で世界地図を広げるので、こちらはおちおち深く眠ることはできやしない。

 夜もテレビでも観せて、できるだけ遅くまで眠らせないようにして、何枚も尿漏れ防止のためバッドやパンツをきちんとセットしてそれからとに戸に鍵かけて部屋から出ないようにして寝かせる。
 寝かしつけたと思っても気を緩めると深夜に戸を自ら無理やりバカ力でこじ開け、何のつもりが真冬でも裸同然のかっこうで外に出たりするので、我は寝てても気は休まらない。常に物音に耳をすませ、衣類も着たままで仮眠状態でうとうとして、明け方必ず一度起きて彼のオムツを交換する。
 それが一晩ならさほど辛くないが、木曜、金曜の晩と二晩続くと睡眠不足でフラフラになってくる。父がいる時は日中も昼寝はできない。目を離すと何をしでかすかわからないのだ。いや、何もしなくてもうつらうつらさせると今度は夜中が怖い。

 このところ、我が責を負う「月刊・共謀コンサート」は毎月ごと月末の土曜日開催ということが多いから、そんなで二晩ほぼ不眠で場に臨むのは体調がしんどくて、たいがいその前日の晩、金曜の夜から夕飯はウチで済ませた上、車でお泊り施設に一晩早く連れて行くようにしている。利用料はかさむが、そうでもしないと土曜の朝に父を送り出したのではコンサートの準備も我の体調も取り戻せない。

 その父は、今月の21日が誕生日だということだから、大正13年生だから、何と96歳となる。そしてさすがにこのところますます老化による衰弱は進んできた。
 施設にお泊りさせる日は多いとしても、週の内三晩は、帰宅し在宅で我が世話しているわけだが、食事も下の世話も移動もいよいよ限界に近いとこのところ痛切に感じるようになってきている。
 先日、市がやってる特定健診があり、我は父つれてかかりつけの病院の診療所に行ってきた。肺のレントゲンやら血液や尿検査、心電図などとってきた。つまりミニドックである。

 その結果は未だ返されていないのだが、訪問診察のとき、担当医からは腎臓の数値が悪化していると告げられた。彼のパソコンに入ってる父のカルテには既にデータが届いたようだ。このまま進むと透析となるかもと。
 今通っている介護施設にもそのことを連絡した。むろん向うでもできるだけ塩分は控える食事は出ているとは思うが、ウチでもまた極力塩分は減らすよう毎食注意しないとならないわけで、誤嚥での吞み込みだけでなくまた新たにタイヘンな状態に入って来たという思いにとらわれた。そしてこれが超長生きした人の末期の状態なのかと感慨を持った。

 もはやほとんど自力で歩けない、吞み込みも悪くなって食べられない、排便も大小無自覚で常時垂れ流し、記憶も思考力も衰え曖昧となっている。
 身体のうち内臓だけは若い時から丈夫で健啖家だったからこの大男は今まで(結核は若い時患ったが、以外の)大病もせず元気でこの歳まで生きられたのだと思うが、とうとう腎臓もダメになったのだ。
 多臓器不全という言葉がある。老衰による、という「死因」もある。百歳近くまでほんとうに長生きしてしまうと、人はこうして我が父のように頭も身体も何もかも全てが衰えて、大木が樹勢が衰えやがて枯れ朽ちてついに倒れるがごとくに終わりのときを迎えるのだと我は知った。

 人の生、つまり人が生まれるにあたっては、そのカタチはほぼ大差ないと思う。異論はあろう。むろん難産や流産、そして死産などそこにも様々なドラマが多々あると。
 しかし、産まれたその後のことはともかく、産まれる姿はその死期のときと比べればさほど誰もが大差はない。
 が、死のとき、死に臨む姿はまさに人さまざまで、誰一人同じあり方はないと我はつくづく思う。まさに人の数だけ「死に方」はあるのだと。

 事故や自殺はともかく、一番多いのは、癌や心筋梗塞や脳卒中などの病死というパターンだが、それだってあっという間に治療のかいもなく逝くということもあれば、いくつも難病を抱えつつも存外しぶとくなかなか死なない人も多々いる。
 が、進行性の病気での死は、我が母の場合もだが、そこにある道筋、ストーリーが見いだせる。母のことを今思うとき、どうしてその死に向かう列車に乗せてしまったのか、どの段階で見誤ったのか今もずっと自問再考している。

 医師たちの言うがままに唯唯諾諾従っていたから母の乗せられた列車はあの行きだったと今にして思う。そう、医者たちは笑顔の裏でその行き先は早くからはっきりわかっていたのだ。ただ、その行き先は母にも家族にもきちんと知らせなかったのだと。
 また、それすらも母の人生の結末、運命だったのだとも今は思える。ならばこそ、どうしてもっとやさしくできなかったか!という慙愧と悔恨の思いは死後時間と共に今もさらに強くなっている。

 そういうカタチの死のあり方がある一方、父のように行き先がはっきり見えない、いつどこに到着するかすら定かでない死に方もある。
 母のように頭は死ぬ直前でもはっきりしていて、意識もある死はさぞつらいかとも考えるが、父のように何もかも判別できなくなって、ある意味人格崩壊して死んでいくというのもまたそれは辛いのではないか。
何もかもわからなくなってやがて眠るように死ぬというのが理想的なのか、自分にはわからない。
 ただ、はっきりしていることは死は、死ぬときすらも自分では選べない、ということだ。
 人は無意識のうち、無人格のうちにこの世に産まれて来る。自分では何もわからないし何一つできやしない。
 ならば死ぬときもまた同様に、自らの手で何か下すことはしてはならないのではないか。
 いずれにせよ、生ある者、生を受けた者は誰もが必ず死ぬ。天国地獄に限らずあの世があろうとながろうと、そことは没交渉なのだから、あくまでも現世だけが人生なのだ。
 ならばこそどんな死に方でも、それは生きているからということであり、短くても長くてもまさに人は一生懸命生きなくてはならないのだと気づく。自ら命を絶つことはできない。

 我は、我が父母から二つの極端な死に方を知らされ、いや、示されて、生きることの意味を教えられている。
 それもまた父母の愛なのだと今知る。有難いことではないか。

やまない雨はないけれど2020年10月11日 00時07分51秒

★長く続いた冷たい雨はやっと上がったが

 颱風が来ているからだというが、8日木曜の午後から降り出した冷たい雨は、金曜、土曜と終日降り続き、やっと先ほど10日土曜の夜になって上がった。
 ともかく気温も低く昨日など日中でも20度に届かず、秋というより初冬11月半ばの気温だと報じられていた。
 つい一か月前、9月の半ば頃は、まだまだ残暑厳しく、猛暑、酷暑続くと騒いでいたのにまったくあの暑さが信じられず夢のようだ。
 このところ春と秋という中間の季節がどんどん短くなってきていると誰かが言ってたが、まさにその通りで、季節は一気に短い秋から冬へ駆け足で向かっている。
 毎度のことながら冬支度など何もしてなく、やっとのこと長袖のパーカーを引っ張り出して何とか寒さをしのいでいる。ああ、また今年も冬が来る、というため息が出てしまう。そう、もう今年も残すは三か月足らずとなった。

 体調も悪いところに、様々なトラブルや予期せぬ事態も重なりほとんど自分の「けんあんの事」は進まない。
 が、今は死に行く老父も含めてあれこれ抱えるものが多すぎるのだから、ともかく日々何とかやり過ごせて月日が無事過ぎていくならそれだけでも良いことだと肯定していくしかない。そう、ともかく皆まだ生きているのだから。時間が経つのは良いことだろう?
 そして我がこと以外の事案として、谷保かけこみ亭で毎月開催の「月刊・共謀コンサート」のこともどうすべきか頭悩ましている。

 コンサート自体は常にとても素晴らしく楽しく面白いことであり、企画できるのは身に余る名誉に思えることだが、このコロナ渦中、感染不安の問題から観客のみならず演者側、つまり「共謀者」が集まりにくく、どう企画を立てるか、いま再考迫られている。
 このところのイベントの規制緩和コロナは収束していない以上、実際のところまだ入場者数は制限しないとならないし、出演者の側も二極化が進んで、積極的にライブ活動に専念する人と未だ慎重派とに分かれて出演者の手配が難しいというのがどこものようだ。

 つまりコロナを怖れずライブに出る人は多忙でスケジュールがいっぱいとなり、慎重派は感染を怖れてそうした「三密」の可能性高い場には出向くのは今も自粛中だから出演してもらえない。そのどちらも出演は難しいのである。
 我は、再開後の「共謀コンサート」、つまり今年残り三回の出演者を募るに際し、先日、これまで出て頂いた多くの方々に、ご都合というか、参加の意思、その有無をお知らせ願いたいと同報メールを送った。
 だが、○○月の回なら参加可能とか、「返信」を頂いたのはごく少数で、我が不徳の致すところだとただ情けなく思うしかなかった。
 個々に出演願いの連絡をとればまた返答はあったかもしれないが、このコロナ禍、それぞれ思う立場やご事情があるわけで、無理強いはそもそもできない。
 高齢の方や、家族に病人がいたり、自ら持病があったり福祉や医療関係等、絶対にコロナに感染してはならない仕事に就いている人もいてそれぞれの事情から当面は屋内のライブ活動は控えたい方もいるわけで、それもごく当然至極のことだと思える。
 じっさい、このコロナが完全に終息するまではかけこみ亭でのイベントには参加しないと宣言された方もいて、それもまた致し方なく、このご時世では「共謀」じたい、もはや不可能なのかと自問するしかなかった。

 しかしだからといって、この「共謀コンサート」は、共謀者が少ないからといって中途で中止すべきことではないと信ずるし、逆にこんな全てに不如意かつ不自由な時世だからこそ、配信以前に生のライブイベントは意味と意義があると思いたい。
 少数であろうと眼前に観客がいてくれて、彼らと共に過ごすライブの時間こそ新たなこれからの我らの「共謀」の入り口であり、コロナでさらに分断が進んだ世界の、人と人との距離、関係を再構築する「連帯」の手段だと信ずる。
 人はモノゴトがうまくいかないと、ときに絶望に陥り、結果として全てが無意味、無駄だったとニヒリズム、虚無的になってしまう。
 が、大事なことはあくまでも結果ではなく、成功しなくてもその過程、プロセスなのだと信じたい。結果は変わらないとしても誰かが声を上げたり、新たにアクションを起こすことで、小さな水滴が波紋を広げていくようにじょじよに少しづつでも変化が起きていく。
 変化を望むなら待つことでなく、自らが変わっていくことからではないか。外からの変化を期待し待ち望むことも大切だが、同時にまず自らからこそ変わらねばならない。

 同じうたは聞き飽きた。新しいうたが聞きたい。もし、新しく良い歌がないならば、我は拙くても自らそれをつくりたいと願う。
 安倍政治が終わり菅政権となったが、それで何が変わったのか。同じ顔触れの彼らに何が期待できよう。
 新しいうたを自らつくり歌っていきたい。その場として「共謀コンサート」を続けて行く。
 降り続く雨を止めることはできやしない。が、やまない雨はない。晴れたら、したいこととすることが誰にでもあるはずだ。

すべてこれもまた良しとしよう2020年10月13日 23時56分23秒

★もう身体はボロボロだが

 俗に歯、目、マラと言う。男が老いてダメになっていく箇所、部位のことで、その順番なのだそうだ。
 ほんとうに情けない話だが、世の中にいるのは老いてきても元気で健康な人ばかりではない、ということを知ってもらうために、特に若い人たちに知ってほしい。恥ずかしいが包み隠さず書く。

 先に、市の特定健診へ、父連れて行ってきた。今回はコロナもあって予約入れてたのでさほど待たされずにすんだ。まだ、結果はきちんと返ってきてはないのだが、父は腎炎の疑い、我は・・・、かなりあちこちの数値が悪いようだ。
 まあ、父のように百歳近くまで生きていれば、どこも異常がないほうがおかしいわけで、進行性の持病などなくてもまさに全身の機能が衰え、老衰による多機能不全となってもまさに当然なのである。
 が、息子である我は、まだ60代半ばにならんとする齢で、何がいけなかったのか満身創痍、いくつもの病を抱えていよいよ身動き取れくなって来た。今月はいくつも病院通いが始まる。

 先に過活動膀胱による小便垂れ流しのことは書いた。寝て起きたときとか、何かの折、ある程度の量の小水が膀胱に溜まっていると、尿意を感じた途端、トイレに行くまで我慢できず漏らしてしまう。
 以前は、ちょろちょろ下着を濡らす程度だったのが、最近ではどんなに我慢しても我慢がきかず、一度漏れ出すと止めようがない。床にまで垂らすほど出続け、濡れたズボンを押さえて大慌てでトイレに駆け込む。
 では、父のように始終、無意識的に漏らし続けているのかというと、我はそうではなく、起きてるとき、何かに集中しているときは漏らすことはない。
 この病気は、一度でも「尿意」を覚えてしまうと突然したくてたまらなくなってトイレまでの我慢もできず漏らしてしまうものなのである。頻尿というわけでもない。ともかくしたいと意識すると、とたんに我慢ができなくトイレに行くまでも待てずにたらたら漏らし始めてしまうのである。

 介護施設で働いている妹からは、女の人の病気だと言われたが、男だってなる。記憶にあるかぎり、五十代に入った頃から起こりだし、いろいろ漢方薬を試したが効果はなく、このところさらに悪化して今では常に我慢できず、家にいる時は垂れ流しとなることも多々ある状態になってしまった。
 しかし、外に出ていて特に何かに集中、専念しているときは決して起こらない。だからコンサートのときなどは、ご安心ください。緊張していめときこそお漏らしはしませんから。
 でもこれからは父の尿漏れパンツをお借りすることもあるかと思う。今は世間がウルサイから、外でもどこでも立小便も気楽にできないご時世だから。
 我の年代でこんな病気になった人は少ないかと思う。じっさい情けなく恥ずかしいが、やがては隠すこともできないだろうから早めにここに記す。

 しかし尿漏れは下着を濡らす程度の不快感だけで痛みなどの実害はない。じつは今、いちばん困っているのは、歯であり、もはや我の前歯は残ってる歯が少ないだけでなく、その少ない歯さえこのところ欠けてきて神経に障り沁みて痛くて食事も進まない。
 虫歯があってのことではない。自分でも驚いたが、健康だと思っていた歯が、周りのエナメル質から剥落してどんどん削られ小さくなってきているのだ。あたかも岩山が雨風で風化してボロボロに崩れていくように。固いものを食べてたほけでないのに、食事中や歯ブラシで磨いているときに歯の表面から欠け落ちていく。こんなことってあるのか!?だ。
 もう手遅れかとも思うが、まだ根が残っているうちならまだ何か処置は出来るのではないか。

 よくシンナー常習者やドラッグやってるとは歯がボロボロになると言われる。じっさいそういう人は皆さん歯がほとんどない。先に逮捕された某シンガーソングライターも。
 我は若いときはともかく、ドラッグはアルコール類以外一切口にしていない。ただ一つ思い当たるのは、このところ炭酸と酸味料入りの缶チューハイの類を日々吞み続けていたことで、それで酔っぱらって歯も磨かず寝てしまったりしていたから、歯そのもの、特に前歯が劣化してボロボロとなってきたのかもしれない。

 もっと早く歯医者に行こうと常常考えてはいた。が、かかりつけの歯医者は立川にあり、しかもそこは混んでて常に待たされることと、このコロナ禍もあって、ついつい足が重く遠のいていた。
 しかしもう痛くてそろそろ我慢も限界である。このままさらに悪化したら飯もおちおち食えなくなる。

 このところさらに目もかすんで老眼と近眼が相俟って、パソコンに向かう職掌柄そちらもタイヘンだが、それは治しようはないしメガネや目薬で対応するしかないのでもう悩みはしない。
 また、マラに関しては、使い道はないので精力が衰えようとちっともかまわない。ただ、我の失禁頻尿もそれに当てはまるとすれば、この老化の三点は我に一気に今やしかも同時に訪れてきていて、そこに腰痛や足底筋膜炎という持病も加わり、もはや我が身全身、まさに満身創痍という感がある。

 情けない。恥ずかしい。しかもこれもまた我が身の不徳の結果なのだと思い至る。そう、だらしなく野放図に生きてきたツケが出てきたのだ。
 60代でこんなであれば、この先、もし長生きできたとしてもどれほど惨憺たる状況が起こるかさまに先が思いやられる。憂鬱になる。
 しかし、こうも思う。もしほんとうに健康で、ずっと元気のままで長生きできたらそれは素晴らしいが、自分にとってそれは良いことだっただろうか。
 我はとことんバカで何も考えない性分なのだから、結果として過信してまたさらにとてつもない愚かな過ちをしでかすのではないか。事故など取り返しのつかないひどいことが起こりそれで命を落とすかもしれない。
 モノゴトには二つの側面がある。病気がちの人間は嫌でも慎重になるはずだし、結果としてそのことで長生きできることもある。
 昔の人は一病息災と言ったが、元気で長生きしてある日突然ピンピンコロリと死ぬほうが幸福かどうか我はわからない。

 ただ今は、こうなってくると健康ということに何より注意を払うし、食べ物にも気を使うことが多くなった。もう四つ脚の肉類や炭酸飲料は極力口にすることはやめにした。
 無理はしないし無理はできないから、意識して何事も自制せざる得ない。我のような極端から極端へ、無理を無理やり通して来た生き方も再考のときが来たと思える。

 これもまた運命であろうし、自らまいた種だとしてもだからこそ結果責任をしっかり負わねばならないはずだ。痛みも苦労もしてみないとわからないしそこから得るものも何かあるはずだ。
 もっとひどい難病も多々あるしそれでも挫けずに明るく前向いて行きている人たちがたくさんいる。我の病気や体調など病気のうちにも入らないほどの。
 ならば、だからこそすべてこれもまた有難いことだとして、すべてこれも良しとしよう。

 何であれ、すべてをきちんとしてまず自らに向き合っていくことから始めていく。自分をまず愛させない人間は他者誰も愛せないのだから。

GoTo共謀コンサート!~コロナで断ち切られた人と人との距離と関係を取り戻すために2020年10月18日 19時39分35秒

★これ以上分断と対立を深めない、広げないために

 「月刊・共謀コンサート」10月の回、2020年10月31日(土)、谷保かけこみ亭で開催します。「共謀者」を今こそ心から募ります。ぜひぜひどなたでもこのコロナ禍だからこそ、もう一度人と人との距離と関係、つまるところ人間社会の「絆」を取り戻しましょう。
 人が人であるために、手を携え助け合いましょう!! そのための場を構築していきます。

 コンサートの企画運営、全責任を負うマスダです。安倍極悪前政権が強行した「共謀罪」成立後、『護憲と反戦平和を求め~人が人であるために、あえて「共謀」目論んで谷保かけこみ亭を拠点に「共謀」コンサート』は始まりました。
 多くの音楽家、ミュージシャン、パフォーマーたちに支えられこれまで回を重ね、本年からは毎月開催として「月刊」共謀コンサートとして月末の最終土曜もしくは日曜に企画してまいりました。
 が、

形骸にすぎないとしても生きていることに意義と意味がある2020年10月21日 23時58分17秒

★我が父、満96歳の誕生日に

 今日10月21日は、大正13年生まれの我が父の誕生日である。今年は年男だから、なんと96歳になる。
 母が死んで4年、我一人で何とか面倒見て来てついにここまで来た。決して平穏無事に歳月を重ねたというわけではない。老いさらばえた父と還暦過ぎた、老いてゆく息子との男同士の生活は、ある意味辛酸の極みでもあり、何度キレて殺しそうになったかわからない。
 通ってる施設の職員から暴行が疑われると通報があり、市の福祉課が乗り込んできて我ら当事者の意向を全く無視して「保護」されそうになったこともあった。
 このところはさすがに老化衰弱も極まり、深夜に徘徊して外に出たり妄動や暴言は収まって来たが、介護の度はさらに高まってきて、いよいよ最終介護施設に死ぬまで入所の日は近いとひしひし感じている。

 もういつ死んでもまったく不思議ではない歳まで生きたわけで、あと一年またさらに馬齢を重ねられたとしてもこの家で暮らすのはまず難しいとはっきり思える。
 何しろ足腰が萎えて、自力ではほとんど歩けない。介護施設では車椅子に乗せられ移動しているがウチでは車椅子は入らない。何かに掴まってからうじて立ち上がれたとしても歩き出したとたんよろけて転倒するのも日常的だ。
 また、このところ食べるのもかなり難しく、吞み込む力がさらに衰えたのでいつまた誤嚥性肺炎を起こすかその危険度は高まってきている。食も細くなってさらに痩せて来ているのでつい無理して促すと吐き戻してしまう。
 排便排尿は、もう常時紙パンツの中に垂れ流しだからさほど問題はないけれど、呆けがこれ以上進むと就寝中など、息子の目が届かないとき、それを自ら脱ぎ捨て糞尿まみれとなるかもしれない。
 じっさい寝ながら無意識にオムツを自ら外すのは夏場などこれまでも何度もあり、幸いにしてシーツと敷布団に世界地図を広げる程度で済んでるが、大便をあちこち撒き散らすまで痴呆となればもうアウトである。とても我一人で処理できなくなる。

 いまはもう死の瀬戸際というだけでなく、全てがギリギリ、限界となってきていて、人はここまで長生きするとこんなにまで頭も身体もダメになるのか!!という驚きと嘆きとが合わさった感心状態でいる。
 そう、頑健な体質に生まれて、酒もタバコもやらず、癌などの進行性の病に罹らなければ、結果として人はここまで生きられるのである。別に彼の行いが良かったとか、健康に常に自ら気を付けていたからではまったくない。
 今の時代は、医療じたいも、介護保険など介護体制も進んでいるから人は特に病気や事故に遭わない限り誰もが基本長生きできるのである。

 ただ、ここまで何もかもできなく、わからなくなってしまった父を見ていると、往年の几帳面で様々なことに興味やこだわりを強く持っていたかつての父は完全にすがたを消してしまったと情けなくも悲しくも思える。
 今の父は、まさに今はただ生きてここに在る、というだけの形骸であり、長生きと引き換えに、彼は彼自身の個性、ある意味「人間性」をも失ってしまったのだ。つまるところ今の父は抜け殻である。
 「形骸」という言葉で思い出すのは、今できもう誰もあまり語らないが亡き江藤淳のことである。自殺した彼の遺書にその言葉があったと記憶する。

 文芸評論の大家として戦後の文壇、論壇をけん引した江藤の業績や仕事については今ここでふれない。
 ただ彼の死は、ときどきこの我にも喉に刺さった小骨のように、我が心に痛みを走らせる。彼は1999年、自死したのだ。
 彼はその前年、愛妻を癌で亡くし、彼も脳梗塞で半身不随となり、夫婦には子もなく、飼っていたペットも手放して自ら自宅の風呂場で剃刀で手を切って自死したのである。今調べて歳を確認して驚いた。66歳とある。
 我の記憶ではもっと老齢、高齢でと思い込んでいたが、今の我の齢とほとんど変わらないではないか。

 その彼の遺書には確か「今の自分は形骸に過ぎず」と記してあったと記憶する。つまり、妻も先に逝き、自らも脳梗塞で不随となり何一つできなくなってしまい、絶望し自分を形骸だと断じ、ゆえに生きている意味がないとして死を選んだのである。
 彼の死はそのときも我に大きな衝撃を与えた。三島の死はある意味、愛国に名を借りた彼の美学の果ての情死だと理解できたからそのときはショックを受けたが、言葉は悪いがヒトゴトですんだ。
 が、江藤の死はヒトゴトにはできない。いや、誰にとってもそうではないのか。
 老齢でなくとても何かの理由で半身不随となり、自らでは何一つできなくなってしまったとき、人はその絶望にどう向き合えるか、だ。そしてそこに孤独も加われば、解決策は自死となってもおかしくはない。
 江藤淳は、妻を亡くし自らも半身不随となって仕事も難しくなり鬱状態となって結果として死を選んだのだと思える。

 この我も父がいなくなればたった一人でこの家で生きて行かねばならない。困窮もしてくるだろう。もしそこに脳梗塞などで身体が不随となってしまえば、それでも生きていく意味が見いだせるだろうか。
 いや、身体は動けても父という唯一の家族がいなくなってしまえば、子も妻もない我は、誰を頼りに一人で老いて行けば良いのか。その先、そこに希望は少しでもあるか。やがては父のように足腰立たなくなろう。

 真夜中にふと目覚めてしまった時など、トイレに行ったあとはまた布団に入ってもあれこれ先のことを考えると不安で眠れなくなる。そしてそんなときに江藤淳の遺書を思い出す。たった一人で形骸になってしまったとき、我は自死せずにいられるか。
 むろん、生来の意気地なしの我だから彼のようにスタイリッシュに振舞うことは絶対にできないと今は思えるが・・・

 幸い我には今は犬猫たち、手のかかる「家族」がいっぱいいる。モノも言わないし家事は何一つ手伝ってくれず、ひたすら要求ばかりする彼らだが、そこに「他者」という関係が結べるのが有難いしウレシイ。父がいなくなったとしても完全な孤独ではない。彼らがいる限り我は自死はしたくてもできやしない。
 我が父もまさに形骸にまで老いさらばえてしまったが、その「存在」だけで今の我には有難い。父がいなくなれば我の存在自体が意義と意味をかなり失ってしまうのだから。

 そう、ヒトは「存在」しているだけで意義と意味、つまり価値があるのである。そこにその人がまだ生きて在るだけで、様々な関係が生じるしあれこれ始まっていく。
 何一つできなくなったとしても、そこに一つのモデルとして「生き方」も「死に方」も示せる。我も人がとことん長生きするとどうなるか、父からとことん教わっている。
 呆けというのは老いて死に行くための神の計らい、賜物だと上智大学ホイヴェルス神父は記していたと記憶するが、確かに最愛の妻の死も含めて何もかも忘れてわからなくなっていくのはある意味幸福なことなのかもしれない。
 親しい人たちが先に逝き、自らも身体が動かなくなって何もできなくなって頭だけは明晰というのは実に辛いことであろう。江藤淳のように。

 そう、どんな歳になってもどんな状態となろうとも、死は自ずからやってくるものなのだから、自らそれに向かうことはない。
 その日までともかく生きてその「存在」を世に示していけば良い。
 あなたは一人ではない、とよく諭される。が、問題はこのコロナ禍で、ソーシャルディス、社会的距離の確保などとかいうバカなことを振りかざす世相が正義となっっていることだ。それでは「関係」が結べない。
 コロナより怖ろしいものがある。それは孤独である。今はコロナでは人はまず死なないが、孤独は確実に人を自ら死に追いやっていく。