追悼 阿部登2010年12月03日 21時38分42秒

★春一番の阿部ちゃんが死んだとの知らせを受けて。

 酔っぱらって少しだけ泣いた。
 春友から連絡を受け、確認したところ、大阪春一番の主催者、福岡風太と並ぶ二枚看板の一人、阿部ちゃんこと阿部登が先の28日、肝機能障害だかで亡くなられたとのことだ。詳しいことはじっさいわからず、あくまでも人づての情報なので正確なことをご存知の方は訂正願いたい。
 中川五郎氏に確認していないが、28日の両国フォークロアセンターで彼が「親しい友達が死んだ」と話し「眠れない夜」を唄ったのは彼のことだったのかと今気がついた。そのときはとても慌しく、五郎さんも次のライブが控えていて時間なく先に帰られてしまったので、詳しいことは訊けなかったのだが、おそらく阿部ちゃんのことだったのではなかったかと今にして思い当たる。もし、その場で急に知らされたらたぶん自分はその後は司会役も手につかなかったと思う。

 何人かの友人に今日電話で問い合わせして、事実だと知り思わずあーっと声を上げてしまった。決して長生きできるとも元気だとも思いはしなかったが、まさに予想外の知らせで一日暗澹たる思いに囚われている。

 自分が大阪の春一番コンサートに例年出かけるようになり今年で確か5年目になる。春一番は70年代の終わりの頃、まだ自分もうんと若い十代の頃、77年、78年の2回参加した記憶があるが、その頃は彼と面識はなく、再び、フォーク熱が戻ってからいつしか親しく服部緑地の会場で見かければ話す機会を持つようになった。

 風太は昔からよく知っていたが、東京で会っても個人的には、あまり親しく口をきくこともできず、いつ怒鳴られるかとかと緊張してしまう人であり、もう一つ付き合いにくかった。対して阿部ちゃんは春一だけの知り合いであったが、誰に対しても常に気さくで親切でこちらのどんな意見にもきちんと耳を傾けてくれ、今の春一番に行くということは阿部ちゃんに会うことと同義でもあり毎年楽しみにしていたのだ。
 いわば、剛の風太に対し、柔の阿部であり、復活後の春一は、この二人の相反する個性の両輪でもっていたと断言しても誰も異論はないと思う。
その阿部ちゃんが死んだ。

 元々がジャズ畑の人であり、若いときからかなりやんちゃなことをし尽くし、じっさいあまり健康そうにも見えなかったので驚きに値しないが、何でだ!と憤る気さえする。まだ還暦となる誕生日前の死だと聞く。考えてみると早熟な彼は自分とはそういくつも違わなかったのだ。

 去年だったか、春一番のニューモーニングの日だったか、何故かラスタ系のミュージシャンばかり出る日があって、自分も正直うんざりした。翌日の開演前会ったとき彼にそのことの不満をぶちまけた。そしたら、彼は、「あーすまんな、でもあいつらもかわいそうなやつらなんや、あんな髪見てみい、どこだってやっていけんやろ」と言われて何故か納得してしまった。つまり、ドレッドヘアーのやつらは大変だから出したという理屈なのだが、阿部ちゃんからそう言われると不思議にそう思える。彼はそうしたやさしさと包容力の人であった。
 風太は基本的に武闘派の、オール・オア・ナッシングの人であり、文句言う奴はかかってこんかい、というスタンスのまま歳とってきた人だと思うが、阿部ちゃんは常に弱さに裏打ちされたやさしさの人だったと思える。弱者に対する暖かいまなざしの人であり、春一番が何十年も続いてきたのも表の風太と裏側の阿部ちゃんという二人でやってきたからだと確信している。

 今そのパートナーを失い風太の悲嘆はどれほどかと案ずるし、彼のことだから来年の春一は意地でも決行すると信ずるが、たぶんもうそれが最後となるような気がしている。はっきりいって風太一人ではもはや無理だと思う。ということは来年やれてもそれが最後の春一だということだ。

 ああ、もう一度、阿部ちゃんの隣で、ぐぶつのステージのとき、「ええリズムやろ、気持ちええなあ、最高や」と一緒に聴いていたかった。本当に阿部ちゃんのこと大好きでした。お世話になりました。天国で会う日まで待っていてください。そのときも「トイレはこっちとこっち」と教えてください。

 今もこう書きながら涙が止まらない。