穏やかな師走の晩に2010年12月12日 21時20分46秒

★心静かに思うことを少し

 暖かい小春日和の日曜だった。出かけずに家にいて、本の発送やお世話になった北海道の恩師へ、家で採れた銀杏や柚子、柿など箱詰めにして送ったりした。大工が来ないので久々に寝坊したので、気分も体調も良好である。

 まず母の具合だが、おかげさまで、一時最悪の事態より落ち着いて回復傾向にあるとお知らせしても良いようだ。先の大岡山での漢方の名医の処方が効いて来たのか極端な胃痛は起こっていないし、一進一退というときもあるけれど、今日は三食無事に食べられた。まだ量はすごく少ないが、ともかく食べても後がさほど問題起きないのは良い傾向である。

 思うに、その診断が正しいかはともかく、これまでの西洋医学の医者たちは、薬は出すけれど、何を食べてはいけないとか、どうしろとか何一つアドバイスしてくれなかった。つまり検査で何もわからないと薬出して様子を見ましょうと言い、改善されないようだとまた新たに違う薬を出す。胃痛で食べられないからと訴えても、ある医者は点滴など栄養はないから意味がないと言って点滴すらしてくれないで帰されたこともある。また、別な医師は、年取れば皆どこかおかしくなる、皆どこかしら悪いところや痛いところを抱えて生きているのだから仕方ない、あんたも我慢しろとまで言い放った。

 でもそれはおかしな話で、これまで痛くなかった人が痛くて困りかかりに来ているのだから、それを我慢しろとは医者として失格だと思えてしまう。その漢方医の有難いことは、食事まで指導して、何をどうしろという具体的アドバイスをしてくれたことだ。一応それを守っているせいか、以前のような激しい痛みが起こることはなくなったというわけだ。
 ならばその漢方の教えに従って、体を冷やさないよう食事に留意し少しでも多くしっかりと食べれるようにしていこうと改めて思っている。

 一昨日の夜は友人たちと吉祥寺で三軒ハシゴした話は書いた。自分ではさほど酔った気はそのときはしていなかったのに、次の日はずっと頭が重く鈍痛し、風邪の引き始めのようなふらつき感があり調子が悪かった。今だから告白するが、その晩すぐに書いたブログはまったく記憶がない。次の日、読み返してみて、何か書いたという覚えはあっても内容は関知せずで、こんなことを書いたのかと後で知った。やはり酔っぱらっていたのだろう。

 昨日もそんなでも夕方人と会う用件が二つあり、仕方なく新宿まで出たのだが、無理せず用事だけ済ませて早く帰ってすぐに寝た。たっぷり寝たせいか、風邪だか二日酔いだかは治り、今日は小春日和の一日を満喫した。こんなのんびりとした気分は久しぶりであった。

 本当にこの夏から秋は、異常に忙しく寝る時間もろくになかったし、寝ても悪夢にうなされ心身ともに消耗していたのだ。10.11が終わった後も心身症気味で深く眠れず不調は後をひいた。ようやく今月に入って落ち着いてきて、久方の光のどけきという気持ちで過ごせるようになった。もちろん母の容態もそこに大きく関係している。

 家族に一人でも病人がいると、その一家は常に憂鬱気分に覆われてしまう。ひどいときは看病していた者までもまた病気になってしまう。ならば何もできなくても良いからどうか皆無事に元気で一年が終わることを望む。自分にとっても誰にとっても平穏平和であるように。誰もが憎しみあわず愛し合えるように。
 罪深かった自分は神に赦しを乞いたい。クリスマスはそのためにあるように思う。