今年一年を振り返って・後2010年12月30日 23時21分06秒

★ともかく無事に今年も終わっていく

 今これを記すは、30日の夜遅く。外は今にも雪が降りそうに冷え込む大晦日の前日の夜である。夜は深々と冷えてくる。もうあと残すは一日で今年も終わる。
 一年の区切りや、年が変わることに意味などないのはわかっているが、ともかく2010年という自分史上、最多忙のあれこれ抱えた年が無事に終わろうとすることに感動している。本当に無事に終わるなら有難いとあらゆる神仏に感謝したい気持ちだ。

 去年の今頃は、9月に、三重県でのフォークイベントに連れて行った老愛犬が向こうで異物を食べたらしく体調を崩し、瀕死の状態に陥って、何ヶ月もその介護に時間と金を随分とられ家族中が疲労困憊していた。死も覚悟したが幸い、医者を変えてからは、良い薬が効いてめきめき回復し、今では元通りに、いや他の老犬より今では一番元気に走り回れるほどである。
 
 そして、今年は自分が音楽熱が昂じて、コンサートを企画し宣伝活動とその仕度に春から家を空けることが多くなってしまい、そこに家の改築工事も本格化して、公私共に内外超多忙となってしまった。結果そのツケが老親、とりわけ母に圧し掛かり、猛暑の夏を過ぎ彼女は初秋に高熱でダウンし入院してしまい、その後も体調が回復せず今だから告白するがやはり死も覚悟した。何しろ元々痩せた40キロあるかないかという人が痩せ衰え今では35キロで、まだ体重は戻っていない。胃痛、腹痛でともかく食べられないのである。

 しかし、このところは一時期より激しい痛みは治まり、食事にはかなり気を使い、まだ少しの量を少しづつしか食べられないものの、漢方の名医に掛かるようになってからは漢方薬が効を奏したのか、いくらか回復の兆しが見られるようになってきた。
 もちろん、一進一退という気もするときもあるし、調子が悪い日は一日腹を押さえてほとんど何も食べられずベッドでうんうん唸って寝込むこともある。それでも一応、病名はわかったと思えるし、対策と言うべきか、対処の方法もしだいにつかめるようになってきた。10月の頃は痛みの原因も病名もわからず暗澹たる不安な気持ちに家族中が苛まれていたがその頃に比べれば精神的にも楽になってきた。

 何にせよ、この家は人も犬も猫も全てが老人なのだから、いつ何で誰が死んでも全くおかしくない。ならば、何はともあれ一人も欠けずに無事に一年を終えられただけでも本当に有難いし幸運、幸福だと今思える。いつ落ちてもおかしくない綱渡りを終え無事に生還したような気がしている。
 もちろん先のことはわからない。母が元気になっても、八十代半ばの親父が風邪をこじらせたりすれば即入院となり、たぶん今度は呼吸器不全で回復はないと思うし、母だってまだどうなるか余談は許さない。
 しかし先のことは先のことでそのときまた悩み苦しめばよい話であり、今は間もなく新居も完成するし、寒さは本格化しても冬至を過ぎまた新たに春がやってくる。

 今年もいろいろ大変なことや苦しみ悩むことが多々あったが、今はもう全てがどうでも良いことだ。ある意味全て肯定できるし、振り返ると懐かしささえ覚える。
 自分は馬鹿で愚かだから失敗や失態、トラブルは影法師のように常についてまわる。しかし、だからこそ、この超忙しく超大変だった年が終わるにあたり今は深い感慨と共に無事に越せたという歓びがふつふつと沸いてくる。
 家のほうもおそらく1月末には一応の完成となり、大工たちも来なくなるだろう。新しくなった快適な暖かい家ならば、母もしだいに快方に向かうと思える。

 あまりに忙しくトラブル続きで心身ともに苦しみ頭を痛めた年も間もなく無事に終わる。つくづく自分は運が良かった。今年もついていた。神だけでなく、自分を支えてくれた多くの関わりあった人たちにも感謝したい。恩返ししたいと切に思う。
 大変だった分、今年はいつもの年よりも良い価値ある一年だったと今にして思える。願わくば来年も誰もが無事で仲良く楽しくおかしく暮らせたらと考えるが、それは努力してもかなうことではないし、せめて今年よりはのんびりゆっくり、そして丁寧に生きていきたいとだけ祈るだけだ。