今年も残すは三週間2012年12月10日 07時09分00秒

★もう一踏ん張り、頑張りましょう。

 真夜中にふと目が覚めてトイレに行こうとして起きた。が、両の足が太腿から吊ったようにものすごく痺れたように痛くて歩くどころか動けない。だましだましマッサージのようなことをしながら少しづつ動かして何とかトイレに行き便器に腰掛けて用をたした。また這うようにベッドに戻り寝なおした。
 今朝になってみるとその痛みは嘘のようにひいている。足がだるいのは相変わらずだが、真夜中の強い痛みはない。あれは夢だったのかとも思うほど。が、間違いなく事実だと思うし、何かの前兆なのか。長く生きてきたがこんなことは初めてだ。突発性通風などという病気はないはずだが、通風とはこんな痛みかとも思う。これが持病となれば間違いなく命縮める。寝しなに呑んだ日本酒がいけなかったか。
 いずれによ、歳をとるということは次々とどこかに不具合、変調が起きることに他ならない。いつまでも元気で無事でありたいと願ってもそれはかなわない。人はそのスピードに差があろうとも誰もが老いて病んで死んでいくものなのだ。

 風邪はおかげ様でだいぶ終息に向かいつつある。ただ、自分の場合毎度のことだが咳がいつまでも残り、痰もからみそれが苦しい。しかしもう寝込んではいられない。今年も年内残すは三週間となった。
 一週間後には衆院選投票日、その一週間後はクリスマス忘年会イベント、そして最後の一週間で大晦日である。

 あせる気持ちはないが、ただ粛々とやるべきことをやっていくだけだ。ただ、毎度のことだが忙しいときに限ってさらに用事が重なる。今日はドイツより仏人が来てウチに泊まりたいと連絡があった。まあ、それも仕方ない。何のもてなしもできないがこれも縁、受け入れていくしかない。幸いベッドは片付いている。

 庭木の落葉はほぼ全て舞い落ちた。すごく冷え込んだが今日も明るく晴れて北陸、東北、北海道の吹雪に苦しむ日本海側の方々には申し訳ないほどの快晴である。

嗚呼、小沢昭一死去!!2012年12月10日 12時23分04秒

★その「心」を受け継いでいく。

 昼前のテレビで民間のニュースをつけていたら、訃報です、と小沢昭一の写真が映し出され、その死が報じられた。思わず、あーと声が出た。人づてに、このところ体調を崩していることは聞いていたが、まさかこの歳の暮れに亡くなるとは・・・。芸能界ならぬ、「芸能」のご意見番として、これからも岡大介たちにアドバイスを与えてもらいたかった。そして縁あらば一度はきちんとご挨拶だけはしておきたい人であった。

 昭和4年生まれの83歳という年齢、まあ男性の昭和一桁としては長生きとも言えようか。ウチの母と同じ年の生まれで、あの色川武大先生も同年に生を受けている。
 色川先生もあの談志が舌を巻いた芸能通であり、偶然にせよ、この年代の人たちは、世界大不況の年に生まれ、戦前の暗い世相に幼少期を、大戦の最中に多感な十代を過ごし、敗戦後、一気に街に溢れた様々な芸能にどっぷり浸かった焼け跡闇市世代であった。
 小沢昭一もその色川武大と並ぶまさに芸能史の生き字引であり、ともに東京っ子として、幼少の頃より様々な芸能、角付けからサーカス、寄席、レビュー、見世物小屋などに親しみ、その知識は博覧強記、まさに日本の芸能史の生き字引であった。
 小沢昭一いうと、役者、そして近年は永六輔と並ぶラジオの人というイメージがあるが、やはりその業績は、日本の今では消えてしまった各地の放浪芸、演芸、話芸の記録、そして再演者としての功績を称えたい。
 米国にはローマックス親子という「フォークソングの父」と呼ばれた研究者がいた。彼らが、レッドベリー他、貴重なフォークシンガーたちに注目し彼らの音を録り、うたを記録しきちんと書き残したゆえ、フォークソング・リバイバルは起こった。ウディ・ガースリー、ピート・シーガーたちが注目され、やがてそディラン、バエズたちに続いていくのである。
 それと同じような作業を小沢昭一は個人で黙々と続けていたのだ。その記録はレコードや書いたものに残されてはいるが、本来は国、文化庁の役人たちがすべきことではなかったのか。民衆史としての芸能文化、その記録と伝承をお忙しい役者稼業の傍ら続けてこられた。

 芸能史、そして放送史ということを思うとき、あと残るは永さん一人である。今病の身と戦いながら孤塁を守る永六輔に、盟友の死がまたさらに追い討ちをかけることにならないことを願う。

 人はいつか必ず死ぬ。それは仕方ない。しかし、どこそこの党首のような暴走老人は老いてもなお悪行と放言の限りを尽くしている。ならば小沢昭一こそもう少し長く、もっともっとあの語りを聴かせてほしかった。本当に惜しい人がまた消えてしまった。できることは、彼の思い、小沢昭一的「心」を少しでも受け継いでいくことであろう。もう年内は誰も死んでほしくない。