穏やかな立春に2013年02月04日 23時42分21秒

★死を見据えて一日ごと生きる

 2月に入ってからめっきり暖かくなってきた。このまま春がすぐに来るとは思わないが、2月は短いので厳冬も間もなく終わりを告げよう。おかげ様で体調のほうは、喉に痰はからむもののだいぶ楽になってきた。もう寝込むことはないと思いたい。

 新人犬、ベル子のことはともかくも、ウチで一番の老犬、バドおじさんについてふれておかねばならない。
 今年で18歳、人間で言えば百歳近くまで生きている長寿犬なのだが、昨年の春に兄妹犬のロビンを先に亡くし、新年を迎えたのだがさすがに衰弱がこの数日目立つようになってきた。

 食欲は今もしっかりあるし、呆けもさほどなく頭の方は意思や感情もはっきりしているのだが、今月に入ってからついに歩けなくなり、用便に出ても途中でへたり込でしまうので、抱きかかえて帰る始末である。体重も元気な頃には20キロ近くあった準大型犬なので、腰の悪います坊にはまさに荷が思い。しかし、歩かせないとさらに寝たきりになるので途中まででも朝晩散歩にいかねばならない。人間だけでなく老犬介護も課題となっている。しかし、まだしてやれることがあるのは嬉しいし良いことだ。

 ロビンのときもそうだったが、歩けなくなるとそこから衰弱は早い。医師からは、この歳まで生きたのだから今さら治療として何もできることはないと宣告されている。ならばその死まであと何日、何ヶ月あるかはわからないが、最後までしっかり面倒みたいと願う。
 夏まで生きられるはずもないが、暖かい春が来て一番穏やかな過ごしやすい日までは生かせたい。幸いまだしっかり食欲もあるし眠ってばかりになってはいるが頭もしっかりしているので排便以外に特に手はかからない。。だから大小便だけは抱えても外でさせて清潔にして一日でも長く生きてもらいたい。
 もう十二分に生きたからこれほど老いて死期を前にして哀しいとも何とも思うことはないが、ヨボヨボ、ヨレヨレ、フラフラでもともかくまだ生きていてくれるだけでありがたく嬉しい。老いも死も自らが体験するときは「最後」なのだからその前に周囲から学んでおくべきことだ。

 人もだけれど、人生の真の意味、価値というか意義は晩年にあると思う。某前都知事のように、老いても妄想と妄動、暴走の挙句、晩節を汚し続ける生き方もある。当人はそれで満足だろうが見苦しい限りだ。
 人も犬も全ての生き物は必ず死ぬ。その引き際が肝心なのである。若い死は無念であろう。しかし団十郎にせよ勘三郎にせよもう十分にその役割、仕事は成し終えた。だから天命なのである。誰だって願わくば精一杯命の限り生きて最後は穏やかにのんびり心置きなくと死にたいと願うし、それが理想のはずだ。そうできれば幸福、それができない人は業、不幸なのである。それでは天国の門はくぐれない。

 バドのことはいちいち報告はしないが、ブログで何も触れていない限りまだ生きながらえていると思っていてください。