今日から春三月、一気に春めいて2013年03月01日 21時20分07秒

★胸の振り子が鳴る日に

 今日も暖かかった。冬は2月と共に去ったかと思えるほどに。
 でも暖かさのせいなのか朝から妙な気分でちょっと困惑してしまった。焦り苛立つという負の気分とは違い、やや不安感のような興奮気味の、何かが起こりそうな胸騒ぎ、胸の疼きが朝から強くてこんなことは初めてである。ドキドキわくわくするような旨の高まりで何か落ち着かない。

 今日は飯田橋のギンレイホールに、映画二本立てを観に行く予定でいた。本日までで上映が変わるので今日行かないとならない。昼前には家を出る予定だった。が、そんな気分なので、何か虫の知らせかとも思い、地震や事故でも出かけている間に起きるのではないかとも考えて結局出かけるのはやめにしてしまった。
 ただ単に暖かくなり季節も月も変わり胸が昂まっただけだったのか。そしてこれが「胸の振り子が鳴る」ということなのかと気がついた。

 自分はリアルタイムで聴いていないが、戦後の流行歌に「胸の振り子」という佳曲がある。天才、服部良一とサトウ八チローによる、歌謡曲の枠を超えたまさに名曲中の名曲である。
 ただ、さほど大きくヒットしなかったようで、親たちは知らなかった。しかし今では多くのアーチストにカヴァーされてスタンダードとなっているからご存知の方も多いかとおもう。多くの歌手に歌われているがやはり一番はオリジナルの霧島昇のクロスビーばりの端正なクルーナーであろう。

歌手:霧島昇
作詞:サトウハチロー
作曲:服部良一

やなぎにつばめは あなたにわたし
胸の振り子が鳴る鳴る 朝から今日も

何も言わずに 二人きりで
空を眺めりゃ 何か燃えて

やなぎにつばめは あなたにわたし
胸の振り子が鳴る鳴る 朝から今日も

たばこの煙も もつれるおもい
胸の振り子がつぶやく やさしきその名

君のあかるい 笑顔うかべ
暗いこの世の つらさ忘れ

たばこの煙も もつれるおもい
胸の振り子がつぶやく やさしきその名

 結局、何も起きなかったが、おき飼ったことがきっと良いことだったのだと思うしかない。このところちょっと疲れ気味でまた体調崩しそうだっので今日は出かけないで良かった気もしている。明日も古川豪さんたちのライブがあるわけだし。
 胸の振り子の音に耳を澄ますことも大切なのだと気がついた。.

ぜひ古川豪さんのライブへ2013年03月01日 23時11分58秒

京都の自宅で愛用のバンジョー
★本日、古川豪さんのライブが国分寺ギーであります。
2013-03-02 (土)
live
「豪さん、律さん」 古川豪(vo,banjo,g) 村上律(vo,banjo,g) 館野公一(vo,madolin,g)
19:00  ¥2000+ドリンクオーダー


70年中津川フォークジャンボリーに出演以来今日まで長い年月にわたり活動を続ける古川と村上律に、語り歌の館野公一が加わってのフォークスペシャル!

豪さん律さん@国分寺giee2013年03月02日 11時15分24秒

舘野、古川、そして村上律の面々
★京都から古川豪さんをお迎えして

 けっきょく、また終電の青梅線で帰ってきた。良いライブだったと思う。毎度の打ち合わせなし、即興的なところもあったが、多くのファンも集め気心知れた人たちとの暖かい交流の場となった。今ほっとしてこれを記す。

 久々に会った古川豪氏、変わらぬ笑顔に再会できて本当にうれしかった。今回は家庭内の所用を兼ねての上京で、せっかく東京に来るのだからぜひとも唄ってほしいという我々東京のファンの願いがかなって特別に2デイズ、国分寺と亀有でライブが組まれた。
 勝手に私淑している不肖の弟子筋としてはこちらに来られるならば何が何でもご挨拶に行かねばならない。このところのご無沙汰をお詫びして3年ぶりの再会であった。暖かい人柄と心に響くふくよかな唄声、そして今回はバンジョー持たずに愛用のギターでの抜群のギタープレイにも堪能した。豪さんはバンジョーの達人として知られるが、ギターも熟練のプレイヤーで今回のお客さんは驚き感心されたかと思う。

 豪さん近年はお仕事の関係で多忙ゆえなかなか音楽活動ままならないようであるが、旧知のバンジョー弾き、村上律氏とは彼の関西ツアーのたびに京都で「波乱万丈」バンジョーライブを組むことが多く気心知れたカップリングに、稀代のマンドリンプレイヤー舘野公一さんがサポートするという豪華な顔合わせであった。

 例によってほとんど何も曲目など決まっていないようで、うたう順番も律、豪と交互自在テキトーに何も決めずにというユルユルさで、いい意味での行き当たりばったり、アットホーム感あふれた楽しいコンサートとなった。まあ、これは村上氏の人徳であろうか。

 そんな状況でバンジョーとギターのチューニングも含め果たしてセッションがうまく成り立つものか余計な心配もしたが、やはり音楽活動歴40数年もの皆さんだからそれぞれの音と目だけでうまく合わせてしまう。そのことにも感心させられたし何よりも久々に豪さんの語りとうたを多く聴けたことは大きな喜びであった。ただ、午前に所用を終えた当日だったこともあってライブ後の豪さんのお疲れ感は強いようで、軽く店で打ち上げしてその晩は国立の舘野さん宅へ行き泊まるという彼らと国分寺駅改札でお別れした。

 翌日、3/3日にも亀有駅前の小体なライブスペース、キッドボックスで豪&舘野の二人でもう一回ライブが企画されている。そちらも行けたらぜひ行きたいと思いつつ、マス坊たちはさらにまだ国分寺に留まり居酒屋で呑み続けたのであった。

ライブの余韻をかみしめて2013年03月03日 22時56分18秒

国分寺ギーでの古川豪2013/3/2.
★やはり二日連続は出かけられなかった。

 昨晩の京都からの古川豪さんをお迎えした豪&律+舘野ライブの大満足感と律さんたちとの焼酎の酔いで深く眠れた。

 自分はこのところアルコールが入ったまま眠ると必ず真夜中、2時とか3時頃に目覚めてしまい、そのあとはなかなか眠れずあれこれ考えたりして苦しい思いをするのだが、昨晩はその楽しいライブの充実感もあったせいか安心して朝まで深く眠れた。

 それはこんな自分とも懇意にしてくださる、懐かしささえ覚えるほど敬愛する方々と過ごせたからだろう。多くの好きなフォークシンガーの中でも全幅の信頼を置いてつき合えるの方々は彼らを置いて他にあまりいない。

 酒というものは常に呑んだ時、呑んでいるときの快気分にに反比例して翌日、翌朝、醒めてから深く悔いのような不快感に苛まれるものであるが、昨日はそんな楽しい時間を楽しく心許せる大事な方々と過ごせたので毎度の倦怠嫌悪感から逃れたのであろう。

 ならば今晩も亀有での豪さんの最後の東京ライブに行けばよかったのだが、やはり諸般の事情、毎度ながら家庭の事情でかなわなかった。やはり一晩はともかくも二日連続して家を空けることは今は難しい。
 手のかかる老いたものたちを残して夕方からにせよ深夜まで家を留守にしてしまうと老親、特に母に負担がどっとかかる。それが連日になるとまた体調を崩すことになる。

 考えてみると、数年前、母が癌になった年は、春先からコンサートの企画やらCDの製作やら晩秋までともかく超忙しかった。2010年のことだ。商売そっちのけでほぼ連日都心に出て、夜も帰るのが遅かった。また、ライブ観覧ツアーと称して関西やあちこちに出かけて一週間も家を空けていた。けっきょくそうした間の家事の負担が八十になろうとしていた母の体にどっとのしかかり病気にさせたのだと思えなくもない。親不孝であった。

 楽しいことはいくらでもあるしそうして日々楽しいことを愉快な仲間たちと集まって過ごしたいと思わなくないが、やはり今はもう老人と老犬たちを抱える身としてはほぼ不可能だ。家で人をたまに招く程度なら何とかなろうが、夜出かけるのもせいぜい週に一日程度が限界なのだろう。

 今晩のキッドボックス、ギター1本でたっぷり唄いまくる古川豪さんをアリーナ席でたっぷり観たいと思ったが、一日でも会えて見れたわけで、そのことだけでも感謝して良しとしなければならない。またうまく時間を作って今年こそ京都に行けたらと今は夢想している。

人生をいかに使い込むか・12013年03月04日 23時19分34秒

★これから新しいパソコンについて書いていくその前に。

 今さらながらだが、人は何のために生きているのか、人生の価値や意義について思い考えることがままある。
 もう人生の残りが見えてきて老い先短い五十男がである。嗤ってください。

 ただ、最近になってようやく少しはわかってきたこともある。人生の意義、人は何のために生まれ生きるのか。その意義、価値とは何か。

 一番の理由は、子孫を残すためだ。生まれてきたことだって、その「法則」基づいて、親たちが出会い種の保存のために子を作り、それが自分だということだ。そこに理屈も意味もない。犬猫だって魚たちだって、植物だって生まれてくれば当たり前として行う行為なのである。
 だから人も子孫を残せばもうそれでとりあえずの義務、生まれてきた理由、使命は果たしたのである。ほんとそれだけで十分なのである。

 が、ならば自分のように子も孫もない、元より結婚もしていない、出来なかった者はどうなのかということになる。ただ、犬猫を見ても生まれた子全部が子孫を残すことができるわけではないし、子を残さずに死ぬ者もまた多くいる。つまり個々の問題ではなく、総体として種は絶えずに続けば良いわけであって、マス坊には子がなくてもマス坊の妹のところには3人の息子がいるように、まあ親たちの遺伝子的にはまた次世代へと続いていくのである。「家」的には絶えたとしても遺伝子はたぶん続いていく。

 しかし、もしそれだけが人生の意義、価値だとしたら自分など全く生きている意味がない。つまり子孫生産できない者も生きていくとしたらそこにどんな意味があるかということだ。
 思うに、子孫を産み残す「本能」的なことならば犬猫ら他の動物だってやっている。人が人として他の動物とは一線を画すとしたらやはり「社会性」を持ち、その中で共に組織だって生きていることに尽きるのではないか。

 昔から「世のため人のため」という使い古された格言がある。実は五十を過ぎてからようやく人は自分のためだけに生きるのではなく、世のため人のため生きているのだと気がついた。いや、そう生きなくてはならない。汝の隣人のために。

 そしてそのことはとりもなおさず、自らの生をせいいっぱい生きること、つまり人生を存分に使いこなしていくことだと気づく。世の中には、年に何億円も稼ぐ人がいる。しかし、自らが使う金はたかが知れている。どれほど贅沢したって月に千万の単位で金は使えないはずだ。つまり大金は持っていてもまさに宝の持ち腐れで全財産使わずにその人はおそらく死ぬ。そしてその金はどうなる。
 いや、金持ちに限らない。コツコツと少ない給料を溜め込んで貧困の内に死んだとしても全く同じことだ。死んで身寄りが無ければその金は国庫に没収されてしまう。それは全く意味がない。ならばその使わない金は困窮に喘ぐ人、餓死していく者、生きるだけがやっとで教育が受けられない第三世界の子供たちに用いれば良い。ただ溜めて使わないのなら全く意味がない。

 そうしたことは何でも同じで、例えば映画が大好きで年間300本も映画を観る人がいたとする。しかしその人がただ観ただけならば「消費」したに過ぎずそれも何にもならない。せめて映画の感想をどこかに書き綴るとかブログとかでそれを外に発信するのでなければ何にもならない。その人だけの楽しみだとしたらまったく無価値である。人は生きているからにはそこに社会性、外との繋がりが無くてはならないしそれこそが生きたことの証だと断言する。

 翻って、自分も例えばギターを何十本も持ってはいる。が、そのギターで何かしない限り、せめて弾いて、唄って、あるいは教材として使わない限り死んでしまえば全く意味がないだけだ。つまりギターをいくら沢山持っていたとして、それらを使いこなさない限り、死んでしまえばギターを沢山持っていた人が死んだというだけであり、それらは四散してしまうだけの話なのである。

 自分、マス坊は、世間様よりは広い家も含めて何でも持っている。金はないが道具も機材も楽器も本もレコードも何でも沢山持っている。しかし、それらは持っているというだけで実はほとんど使いこなしていない。最近そのことに思い至った。欲しいからと手に入れたはずでも手に入ったら「あること」に満足して実は使っていないこともままある。

 パソコンもいくつも持っている。しかしじっさいのところ十二分に使いこなしているとは言いがたい。せいぜい主にメールとブログぐらいしかやっていない。全て宝の持ち腐れではないのか。そしてもう人生の黄昏が近づいてきた。これでは、何でも沢山持っていたけれど何もしないでそれだけで死んだ人になってしまう。

 人生をもっと使いこなしていく。それも人のタメになることで。でないと第一義的、本能の義務を果たしていない者としてこれでは救われない。死後裁きにあおう。
 陽はだいぶ傾いたけれどまだ陽射しは残っている。今さらだが陽射しのあるうちに人生を存分に使いこなしていきたい。パソコンもその延長線上にある。

 幸福も楽しみも自分のため、一人だけのものであるとしたらたかが知れている。他人の不幸や困窮を片目に自分だけ楽しみや快楽に耽溺はできやしない。人は一人のために、一人は皆のために生きてこそ人なのである。

雨上がりの啓蟄に2013年03月05日 23時11分09秒

★またパソコンを新たに購入することに

 雨も上がり朝から晴れて暖かい啓蟄であった。ひとつ報告。

 今年に入ってからずっと迷い悩んでいたのだけれど、やはりパソコンを新しく買うことにした。むろん大型テレビに引き続いて金はない。
 が、このままだと旧いXPのほうは近く容量過多で動かなくなると思えるし、もう一台のノートタイプだけでは腰痛の一因ともなるし心もとない。このどんづまりの状態から抜け出すにはどうしたら良いものかと思案の挙句、金で解決できることは金で何とかしようと決断した。まあ、少ない貯金を取り崩しても快適に作業できればすぐに取り戻せると自らを無理やり納得させてのことだ。

 前にも悩みを書き記したが、もう6年ほど使っているOSはウインドウズXPの富士通のディスクトップ型のパソコン、ともかく調子が悪い。立ち上がりからやたら時間がかかりともかく待たされる。もう容量いっぱいで、仮想メモリが不足していると年中警告が出ている。「問題が発生したため~を終了します。ご不便をおかけして申し訳ありません。作業途中である場合、その情報は失われた可能性があります。この問題をマイクロソフトに報告する、しない」という表示は日常茶飯事である。
 当然、全ての作業に際し、処理にやたら時間がかかる。フリーズすることも多く、なにをするにも常に待たされイライラカリカリして、ブログさえも不具合から書き逃したこともある。

 要するにファイルや何やらがいっぱいならば、それをバックアップとって削除して減らせば良いはずなのだ。ハードディスクをカラにしていけば良い。そうしてこのところ少しづつ不要な内蔵ソフトも含めてファイルを減らし続けていた。が、何をするのにも時間がかかるのは同じことで、ちっとも軽くなりやしない。メーカーサポートに相談したら長く使っているとそんなことではあまり効果なくやはり一度まっさらにするにはリカバリするしかないと言う。
 それも視野にだましだまし使っていたXPだが、今年の春4月でサポートも終わると知らされ、そうなると不具合が起きても修理もサポートも効かないならばどうしたものかと迷っていた。むろん、パソコンも道具だからそうして時どきリカバリして本当に壊れるまでとことん使うべきだしそうできたらという気持ちもあった。

 しかし全てのデータを移行させてリカバリに至るまでの手間と時間が全くなく、やるべき作業は溜まる一方なのにパソコンは動かないし頭を抱えた。ならばもはやもう一台新たに導入するしかないかという気持ちに傾いていた。
 実は3年ほど前に買ったノートタイプの東芝のダイナブックも持っている。先日の無頼庵映画塾のときは、テレビに繋いでDVDの再生に大いに役立った。ならばそれで十分ではいかとご意見もあろう。それにはウインドウズ7も入っているので特に問題は何もない。

 ただ、それはあくまでもノートブックなので、キーボードとディスプレイの距離が近く、自分は前屈みになって覗き込むように作業せねばならない。普段メールをチェックするとか各サイトを覗く程度しかパソコンを使わない人ならそれで良いのだろう。が、自分はこれでも文筆業の真似事もしているのでブログも含めそうした執筆作業はノートでは長時間できやしない。30分でもそうした前屈みの同じ姿勢でノートブックのキーボードを打っているとすぐに腰痛の発生となる。

 考えてみればノートタイプのはまさに携帯、移動のためのものであり、室内でも持ち運びできるようにコンパクトに一体化したものなのだ。だから使い勝手が悪いのは当然のことで、長時間の使用には不向きだと買ってから気がついた。だからそちらはそうしたDVDの再生とか音楽の再生、編集作業に特化させるとしてやはり執筆や文章編集作業用には容量の大きなディスクトップが無くてはならない。

 問題は大型テレビという高額なものを買ったばかりで、いったいどこからその金を工面するかであった。カード支払いが可能ならばまだ何とか手はあるのだが・・・。

人生をいかに使い込むか・22013年03月06日 13時40分48秒

★さて、どんなパソコンを選ぶべきか。

 前回の続き。
 今出回っている現行の商品ならばどこの店が一番安いかがすぐわかるサイトがある。自分が利用しているのは「価格ドットコム」というサイトで、他にもいくつか同様の値段調べサイトがあるようだ。

 先に、大型テレビを買ったとき、むろんいくつか大型家電売り場も周ったが、最終的にはアマゾンなど通販サイトを確認した上で、その決めた商品の価格コムのリストの中から送料や手数料も含めて一番安い販売業者から注文した。
 繰り返しになるが、実店舗から購入するより約4~5万円安く、アマゾンなどの大手通販サイトからよりも一万円ほど安く買えた。その買い物自体商品も含めて大いに満足しているし何にせよ安く買えたことは良いことだ。○○カメラで買うのも通販で買うのも全く同じ商品なのだから。

 ただ、自分にとっての問題は長期保証が付くかではなく、安かろうが金、つまり支払いの問題で、現金で10万いくらかの金を用意するのが難しい。というのも価格コムに出ている安売り通販の業者はほぼ全て「代引き」か「振込み」で、注文すると佐川急便とかが運んで来て、代引きならばその場で配達業者に手数料込みの総代金を手渡す。振込みならば事前にその金額を販売会社に送金しないとならない。要するに急いで「現金」を用意しないとならない。

 これがカード決済だと、3月上旬の注文ならば商品が届いても一括払いだとしてもおそらく二ヶ月先、5月の連休明けの引き落としとなる。二ヶ月の余裕があれば必死に古本を売りまくり爪に火を灯すように生活を切り詰めれば何とか工面もできよう。
 嗤われるかもしれないがそんな算段をし、できれば乏しい貯蓄から現金をこれ以上おろしたくないと腐心ているのだ。大型テレビを代引きで買ったばかりなのだから。

 そして、いろいろ値段と機種のスペック、メーカーを比較しどこにするかカタログを手に頭を悩ました。当初は、今使っているXPのと同じく富士通で決めていた。使い慣れた会社ならOSは変わっても互換性があるはずだろうし、量販店で実物を見た限り画質もデザインも気に入ったから。それが上の画像で下の数字がスペック。値段は安くなっているのに今使っているのとは隔世の感がありますね。2Tとは2テラですよ!

 ★画像のパソコンは、富士通FMV ESPRIMO FH56/JD FMVF56JDB [シャイニーブラック]
 画面サイズ:21.5インチ CPU種類:Core i7 3630QM(Ivy Bridge) メモリー容量:8GB HDD容量:2TB OS:Windows 8 64bit
 アマゾンでの価格は本日は、¥ 120,770
 価格コムでの最安値は手数料込みで ¥111,818

人生をいかに使い込むか・32013年03月07日 21時38分01秒

★昨今のパソコン事情について

 思うに、パソコン、いや携帯電話も含めた通信モバイル市場は芸能界でいうところのアイドルのようなものだと思う。いっときは鳴り物入りでと登場し絶大な人気を集め一世を風靡しても数年のうちにすぐに色褪せ飽き捨てられやがて忘れ去られてしまう。

 今出ているウインドウズ8なるものも、やがては98や、XPのようにすぐさま過去の旧いOSとして古臭くどうしようもないものだと厭い嘲笑われるものへとなっていく。結局、それが資本主義であり、常に新商品を売り出していかねばならぬ宿命かつ科学技術の進歩ということであり日進月歩、人類はこれを繰り返してきたのだと気づく。

 まだ芸能界のほうが大御所的に、和田アキ子のようにいつまでも居座る余地があるだけマシかもしれない。電化製品の世界、情報機器の世界では次から次へと新たな技術の新製品が登場しスペックに比して価格も安くなっていく。クラシックカーや光学カメラの世界のごとく旧いものでも残し使い続ける余地はまずないのだから刹那的に非情なまでに製品は使い捨てなのである。それを嘆いても仕方あるまい。

 結局、パソコンは単なる道具なのだと割り切ることにして、もう古い富士通のXPをこれからも使い続けることは断念し2月頃より新しいパソコンを探し求め始めた。
 まだウインドウズ7も現行品ではあるが、どうせ買うなら今出ている最新のOSでないと意味がないと考えた。どうせまたすぐに新OSが鳴り物入りで登場しすぐに新しい8も古くなっていく。サポートのことも考えると長く使うためにも最新のOSに越したことはない。マイクロソフトの商法に乗るのも馬鹿馬鹿しいと心から思うが、パソコンの世界は、残念ながらマックかウインドウズしかなく、自ら自作してパソコン道を究めていくほど自分はこの世界全く疎いので仕方ないのだ。

 で、今後のことも考えるとスペックとして、ハードディスクが2T、しかもキーボードもマウスもワイヤレスで、インテルのCOREi7も入っている機種しかないと先の富士通のを目論んだ。ウインドウズ8は実はどうでも良かった。問題は価格だけである。
 パソコンの世界は、これは何でも同じかもしれないが、季節ごとに新商品が出る。カタログに載っている機種型番は同じでも微妙に色や入っているソフトやスペックが異なったりして末尾の型番が違うのを季節ごとに出していく。
 今、量販店に並んでいるのは2013年の春モデルであり、発売されたばかりだからほとんど値引きはされていない。が、ほぼ同様の昨年の秋冬モデルだとオープン価格とはいえ、出始めのときから40%も安くなってきている。そこにほとんど違いがないのだから自分は去年の秋冬モデルを狙っていた。ただしそれでもまだ高い。

 前回、画像を載せて紹介した富士通のFMV ESPRIMO FH56/JD FMVF56JDB という機種も出たのが去年の10月末で、そのときの価格が価格コムの資料だと¥198,108(2012/10)だったのが、今日3/7の時点で¥109,135(手数料抜き)まで値下がりしている。45%の値引きである。自分としては10万円を切れば即買いだと思うのだが、果たしてそこまで下がるのか。
 このところ連日、その最安値をチェックしてはいつが底値なのか気がきでならなかった。カレンダーにその数字を記入している姿はあたかもデイトレーダーである。確かに毎日数十円づつ下がり、前週より数千円も安くなっていく。しかし、出ているのは販売店に今残っている在庫だけであり、しだいにその商品の数は減っていっている。値上がりすることはないとしてもうっかりすると商品の在庫が払底して買い逃してしまう。
 もっと安くなるかもと、いつが最安値かと欲出して待っているとそのタイミングを失する。それでは意味がないではないか。

 この商品が10万円以下で変えたら実にお買い得だ。が、果たしてそこまで下がるのか。それを徒に日々待っているのは精神的に参ってきた。何しろ今使っているパソコンが不調だから故新たなパソコンを求めているのである。
 で、結局どうしたのかマス坊!

人生をいかに使い込むか・42013年03月08日 23時40分28秒

REGZA PC D712 D712/V7GM PD712V7GBHM [メローボルドー]

★けっきょく新たに買ったパソコンは・・・

 前回の続き。
 パソコンを新たに買い換えることに決めて、メーカーも機種も今使っている富士通の一体型ディスクトップタイプのにほぼ決めていた。
 問題は値段であり、どうしてもネット価格の最安値でも11万円を越えてしまう。しかもそれを現金着払いで用意しなくてはならない。日々少しづつ下がりゆく価格をチェックしながらどうしたものかと案じていた。できればカードで数ヶ月でも後延ばしで支払いたいと。

 そんなとき、駅前の家電量販店に行き、パソコン売り場を周ったら、他社のコーナーで、スペック的には全く同等の似たような機種が10万円台で出ているのに気がついた。メーカーは東芝である。
 東芝は今もう一台持っているノートタイプも東芝のダイナブックであり、ウインドウズ7の入っているそれは使い勝手はもう一つだがまあ機能だけ比べれば他社より値段が安かったのでお得感から買ったものであった。そしてやはりこれも同スペックにしては安く出ている。
 型番を控えて、さっそく家へ戻り、価格コムで通販だといくらで買えるか調べた。そしたら手数料込みでも9万円半ばから出ている。カタログでいろいろ富士通のと見比べても遜色なくこれはお買い得だと思った。

 個人的感想だが、今日本のパソコンメーカーはOS全てが異なるマックを除けば富士通、NEC、東芝が代表的三社だと思う。その他にソニーもあるが、後発ということもあって自分は眼中になかった。また他に海外のメーカーもあるが、やはり信頼性においてこの三社に重きをおく。
 NECは未だ一度も使ったことがないので検討しなかったが、どうやらこの三社ともほぼ同様、同価格帯のこうした一体型ディスクトップを出している。ただしその中ではやはり東芝が一番安く出回っている。
 気持ちとしては富士通のに魅かれるところが強かったが、同レベルの機種機能で2万円も安く、10万円を切っているというのは理想的だったし、もう一つ東芝がうたっているのは「東芝なら、しっかりサポート、期間制限なし!」ということも大きかった。

 パソコンに限らず、何でもこうしたハイテク機械の設定は不得手な自分としては、とても一人で回線の接続や操作方法がマスターできる自信がない。だから常にメーカーのサポート担当者に電話かけて、相談し指示を仰いで何とかなってきた。だから今回も全く新たなウインドウズ8、とてもマスターできるはずもなかった。

 富士通もむろん買って一年間以内ならば、何度でも無制限で無料電話相談は可能だ。ただ、それを過ぎると有料になり一件あたり2000円だかの相談料がとられてしまう。何とか一年間で完全にマスターすれば問題ないが果たしてそう使いこなせるか迷いもあった。
 しかし、東芝のサポートがどこまで応えてくれるかというと、ノートパソコンでの相談から鑑みるとやや不安もあった。というのもすぐに電話が繋がるのは良いが、こちらのデータもろくに残していないようで、何度でも無料は良いのだがそのユルさに一抹の違和感を抱いていた。※この予感は当っていた。

 富士通と東芝のどちらにすべきか。日々、価格の変動をチェックしつつ決めかねていた。何にせよ一番の問題は現金である。
 そしたらば今週の頭に、上記東芝の画像の機種、突然最安値でカード支払い可能と表示してある業者が現れた。そこのサイトへ行き詳しく確認したら手持ちのカードでもOKであった。値段は送料無料、手数料なしでずばり¥94500.それを見て唸った。

 価格コムのリストにも代引き以外に、カード決済可能と表示してある業者はいくつかあるがたいていもっと高くこの機種なら11万円台である。それがカード可能で最安値で出ている。一瞬ためらったが、これはもう天命、買うしかないとすぐアクセスし申し込んでしまった。その業者は後でもう一台同価格で出したが、それっきりで、つまり手持ちの二台売り切って撤退したと思われる。以降、そんな価格でカードOKという出物はない。お得な買い物であった。。※この話、もう一回だけ続く。

 そして、一昨日の夕方、ついにその東芝レクザPC D714/V7Gが届いたのであった。以下スペックを記す。
■2012年秋冬モデル■OS:Windows 8 64ビット■画面サイズ:21.5インチ■CPU:インテル Core i7-3630QM プロセッサー■HDD容量:約2TB■メモリ(標準容量/最大容量):8GB/16GB■チューナー数:地デジ×2・BS×2・110℃ CS×2■Microsoft Office Home and Business 2010(SP1適用済み)■本体サイズ(高さ×幅×奥行):356mm×522mm×256mm■本体質量:6.5kg■デスクトップPC ダイナブック レグザ

春は物憂くだるいものだが2013年03月09日 16時53分11秒

★と言うわけで現況報告と3.11を前に思うことども

 北のほうはともかく、関東は3月に入ってから日ごとに気温が上がり続け、昨日など昼間は20度以上もあって、春を通り越して初夏の陽気となった。ウチの庭の梅も一気に満開となってしまった。
 吹く風には甘く花の香りが漂い待望の春到来ではあるが、こう急に暑くなると何だか気持ち悪いし、まだ体がこの気温についていかずだるく疲れてしまう。どうしてこう季節は極端から極端に変わっていくのか。

 まあ朝もコートやジャケットもいらないし手袋など冬の格好をしないで済むのは有り難いが急に暑くなっても足がむずむずするは、体のあちこちが痒いようで不快でならない。暖かさもほどほどが良い。今日など庭で作業していると汗まみれとなった。暑いとそれだけで疲れてしまう。これは自分だけか。

 さて、実は今日も都心で懇意にしている関西在住のミュージシャンのライブがあり、カレンダーには印をつけていたのが、結局行かなかった。明日の集会も視野に入れたこともあるが、やはりもうできるだけ節約しないとならないこともある。

 ライブに行くとチャージが仮に2千円だとしてもその同額かそれ以上店で呑んだりしてしまうし、往復の交通費も含めると一夜出かけると最低5千円は常に使ってしまう。一万円は越さないまでもその後に打ち上げ、二次会までだらだら付き合うと7千円ぐらいすぐ消えてしまう。
 年金生活の、子供も巣立ち悠々自適の人ならばそのぐらいの金額は週末のライブ観覧は趣味としても大したことではないだろう。が、今も生活に追われてろくに収入の乏しい者としては、毎週末ごとにライブなど顔出せない。特に今は、いろいろ買い物で散財してこれからも支払いと返済が待っている。できるだけ支出は押さえないと立ち行かなくなってしまう。
 そんなでまた次の機会があると自らをなだめてまた先延ばしにしたのである。今月はあと一回ライブにいけるかどうか。今年は緊縮財政の年となった。

 さて、世相について少し思ったことなど記す。

 昨年暮れの総選挙による政権再交代、自公政権復活、そして安倍首相再登場から、経済の世界は一気に好転しはじめた。円安も進み、株価は上昇を続けついに1万2千円台を回復した。マスコミはもう景気が回復したかのような騒ぎである。
 一方、TPPは交渉に参加、原発は再稼動、さらに推進と選挙中ははっきり公約に掲げずあいまいにしてきたことを当然のごとく堂々と「推進」し始めた。マス坊は自民党が政権奪還すればむろんのこと原発はなくならないこともTPPに参加することも確実だと見通していたから別に驚きも呆れもしない。ただ、農協をはじめ農業関係者で自民党を信じていた人たちは裏切られた思いでいることだろう。

 しかし支持者に対しての「公約違反」だと以前の民主党の所属議員のように内輪もめにならないのが実に自民党らしい。つまり元から議員も支持者の多くもわかりきっての選挙向けのTPP交渉参加反対、原発慎重論なのである。それを大人の政党だと評価する新聞もあったが、要するに「古い日本型政治」であり「旧い日本を取り戻した」ことに他ならない。

 何にしろ現実の話、アベノミクスだか何のおかげか知らないが景気は回復し始めているようだ。しかしふと思う。もし歴史は繰り返すならばこの先になにが待っているのか。

 1929年のウォール街の株の暴落に端を発した1930年代の世界的大恐慌による大不況。日本は、「満蒙は日本の生命線」としそれを満州事変と上海事変という軍事的手段で大陸に積極的に進出し、満州国を建国し景気回復をはかった。ときの高橋蔵相は巨額の戦争公債を消化するため日銀の公債引受発行制度を創始、金利を引き下げ日銀保証準備発行制度を拡大した。これは莫大な政府資金の散布と低金利政策によって景気回復を図るものであり、そして軍需を中心とするインフレ効果で日本は世界に先駆けて大恐慌の不況から脱したのだ、と日本史の本にある。その結果、当時戦争に反対していた人たちも景気が良くなったのだから軍部の独走も看過容認する世相が形成されたらしい。
 
 自分は思うのだが、おそらくそのときの人たちも何か漠然とした不安は思いつつも景気回復により時の政府の経済政策を歓迎し無謀な戦争に突き進んだ為政者を支持したのではないか。そしてその先に何が待っていたのかは言うまでもない。
 今、自公政権を評価し、とりあえず景気が回復するなら何でも良しとするという雰囲気が漂っている。原発再稼動もTPPもまあ良いではないかと。しかし、歴史に学ぶならばその先にあるのは間違いなく「破滅」である。それは先の大戦の惨禍の比ではないかもしれない。憲法改定と原発推進、そして日本も核兵器保有は一本の線上にあるのだから。

 今またこの国にも国家主義と愛国心、国粋主義が高まっている。長引く不況の後の無定見な金融政策に拠る好景気の到来、そしてその先に何が来るのか。その不安と予感にこのところ苛まれている。
 しかし、当時に比べれば今はまだ発言の場が残されている。2年目の3.11を前に今こそ新たに声を上げねばと思うのだ。のちのち後悔しないためにも。