人生の夕暮れ時に・32016年03月07日 21時00分50秒

★探し物、失くし物の人生におさらばを ~人生をもう一度探していく。  ランキング

 さて、今回のカメラを失くした顛末、きちんと報告していないことに気づいた。
 昨年末から新年にかけて、母連れて二人でかなり頻繁に山梨へ出向いていた。が、あくまでも増冨温泉に浸かってラジウム泉の効能で母の癌が小さくなることが第一の目的で、東京に残してきた認知症の父のこともあったのでたいてい日帰りでの慌ただしい往復であった。
 そしてまた寒気がぶり返して来たのと、母が抗癌剤再開したらば熱出して一週間の入院と、病院通いが続き一か月も山梨の古民家には行けないでいた。

 今回、2月22日月曜から23日火曜にかけては、久しぶりに茨城県笠間から学生時代からの友人、ウチの「社員」氏を招いて、母抜きで二人で一泊二日の泊りがけで犬たち連れて行ってきた。
 社員氏も同居している母堂の介護のこともあって、なかなか気軽に東京に出て来れないでいた。約半年ぶりの山梨同行であった。
 で、二人で古民家の中の運び入れては溜まりに溜まってしまった、古本、古雑誌の整理に励んだ。といっても分別、そして処分ではなく、まずはばらけて散乱している雑誌や本をサイズに合わせて括り、まだスペースが残っていた味噌蔵だった物置スペースに移動させたりしただけだが。
 それでも本来生活空間である畳の大広間はずいぶん片付き少しはすっきりした。

 翌日の火曜日、向うから出たゴミ類を積んで昼前にその古民家を出て一般道、つまり甲州街道で帰路東京へと出発した。途中何か所か買い物や食事に立ち寄り、最後は、相模湖から八王子まで一区間だけ高速を利用した。ウチに戻ったのは夕方、5時頃であったかと思う。

 その晩はどっと疲れが出て荷物も車から降ろさず倒れ込むように寝てしまった。毎度のことだが、頭がぼーとして、何もよく考えられないでいた。
 で、翌日水曜の日中は何してたのかはっきりしないが、夜、かけこみ亭の「誰でもゆる~くライブ」に顔出す用件もあったので、夕方から出かけようと持っていくものの準備していた。
 以前は常に小型のリュックサックに手荷物を入れて持ち歩くのが常だったが、このところの我は、布製の手提げ袋に持ち物一切合財入れてそうしたライブも山梨へ行く時も用いていた。今回もその山梨へも持って行った黒い手提げを二階へ上げてかけこみ亭に持っていくものと中身を詰め替えていた。が、毎度愛用のデジカメが見当たらない。
 ざっと周囲や車の中を探したがない。家を出る時間も押していたので、そのときは後で落ち着いて探そうと考えて谷保のかけこみ亭へギター抱えて電車で行った。そして毎度のことながら青梅線終電での帰宅となった。

 深夜であったが、それから必死に雑然とした溜まった書類や本、雑誌の山をかき分けカメラを探し求めた。むろん車の中も座席の下までくまなく確認した。しかしどこにもない。
 もしかしたら山梨の古民家に置いてきたのかとも考えたが、帰路途中で、近くの別荘地に新しくできた手作りパン屋に初めて寄ってその店の外観をそのカメラで撮った記憶ははっきりある。そしてカメラはそのまま後部座席の床辺りに他の荷物と共にいつものように置いていたはずだ。
 そのデジカメを入れていた黒い手提げバックは、既に二階に持ってきている。たぶん火曜の昼間に車から出したかと思える。しかし、そのとき、デジカメは入っていたのか、バックと一緒に家に持ってきたのかすらはっきりした記憶がない。不安は高まる。カメラはどこにもない。
 朝になるのを待って今回同行した社員氏に電話して、カメラがみつからないこと、我はどこまでそれを持ち歩いていたか確認の記憶をたどってもらった。韮崎で昼食を食堂でとったがそのときカメラを持って店に入ったのかと。
 しかし、彼も店とか買い物のときはカメラは持ってはいなかったと思うとのことで、自分も持ち歩いた記憶がない。やはりずっと車の中に、置きっぱなしだったのかと考えるしかない。どこか入った店で置き忘れた可能性はまずなくなった。
 我ながら情けないとつくづく思うのは、そもそもカメラを東京に帰ってから失くしたのか、家に帰るまでカメラはあったのか、どこで失くしたのかすらはっきりしないことだ。家に持ち帰り無意識に室内のどこかに置いたのかすらわからない。

 翌日の夕方、思い余って市内の警察署に出向き紛失届を出して来た。しかしそのときも「盗難」としては受け付けてもらえず、事情を話したら受付のお姉ちゃん警官から、もっとよく家の中を落ち着いて探してくださいネ、みつかるかもしれないから、と軽くあしらわられた。そうカメラがみつからないだけで「盗難」だという証拠も確信もないのであった。

 そしてそれから10日以上過ぎた。今もデジカメはみつからないままだ。カメラが手元にはもはや一台もないので、どうにも仕方なく27日のコンサートは、三留まゆみさんにお願いし全面的に撮影を委任した。まあ、おかげで司会進行役以外の部分、記録のうち、「写真撮影」の精神的負担から解放され気は楽であったが。※録画も担当してくれる友人が今回も来てくれたので助かった。

 繰り返しになるが、カメラが失くなった、みつからない当初はパニック障害を起こし「発狂」してしまった。カメラ自体の損失以前に、中の撮りためたSDカードを失ったことがショックで頭がおかしくなった。某TPP大臣ではないが、心労で睡眠障害を起こした。しかし、今はその起きたこと全てに対して落ち着いて向き合える。そして失ってこそ得るものがあるのだと今ははっきりわかってきた。

 これまでの我が人生は、まさにはちゃめちゃその場しのぎの連続で、何の計画性もなく常に熱に浮かされたように次から次へと衝動的思い付きに駆られて生きて来た。
 そもそも腰据えてじっくり落ち着いて何かに向き合いきちんとさせることが何より苦手で、もしそんなのんびりできる時があらば怠け者ゆえ昼寝してしまい、成すべきこと懸案のことは溜まる一方であった。
 あれこれ手を広げるからそれに関連して嫌でもモノは溜まる。しかしそもそも整理や管理する能力は皆無でしかも物を捨てるという選択肢を持たないから、いや、正確には何が必要不要なのかの判別ができないから故膨大にモノが溜まっていく。
 幸い家が大きく、自由になる空間が多かったし、今はさらに外付けで「山梨」という保存媒体も加えてしまった。ただそうして保存や保管場所は増えても基本的にガラクタも含めて一切管理把握はできないから我が人生は常時探し物を探すのに時間をとられていた。

 何かを成し終えてもまたすぐに紛失してしまうから再度それを繰り返さねばならない。つまり二度手間、三度手間、見つからないものを探すのに時間を費やして来た。
 じっさい今も大事な通帳や必要な機材が、外で落としたとは思えないのに家の中に埋もれていくつも未発見のままだと告白する。

 しかし、そんなだらしないとてつもなく杜撰な人間なのに、不思議にもこれまで携帯電話やスマホ、小銭入れはともかくも銀行カード類の入った財布など、失くしたり落としたりしたらオオゴトになるものは失くしたことはなかった。
 当然のこと、みつからなくなって青くなり大慌てで探し回ったことは何度でもある。しかし幸い必ずみつかってホッと胸をなでおろした。そう、本当に失くして困るものはこれまでは失くしたことはなかった。今回のデジカメまでは。

 今回のカメラの件、あれから何度でも考えた。失くなる場所の可能性として、山梨からの帰り道、車の中に入れておいて駐車場などで置き引きにあう可能性はまずない。というのは、車の中、あるいはすぐ周囲には犬たちがいつもいたから、そんな不審人物がドア開けて盗れるとは思わない。
 それよりも一番可能性が高いのは帰って来た晩である。カメラ他の山梨で買ったものなど荷物類一切を入れたまま、自宅の庭に停めたに愛車には鍵などかけないでいたのだ。

 今だから告白すると、我はこれまで家の車に鍵などかけたことはなかった。庭に停めた自転車も然り。車はオンボロで、中に金目の物や盗られそうなものは何一つ置いてないし――むろん古本類は常に満載だが、今のご時世本を盗むバカは皆無のはずだから――何より庭には犬たちがいて、不審な人物が通りかかっただけで吠えるからそうした心配はしたことがなかったのだ。
 しかし、実はこの冬は、犬たち、二匹は夜はこのところずっと家の中に入れて室内で寝かせていた。17歳となったブラ彦が高齢で、この冬を外の小屋では乗り切れなくなってきたのと、倣って若いベルコもブラだけ家に入ってずるいズルイ!と騒ぐので仕方なく二匹とも室内に入れて我が家の庭は犬不在だったのだ。
 ならば、深夜に車内を物色して、まずカメラが目に着けば誰だってそれを盗み出すことは簡単にできた。そう、今年の冬は庭に番犬がいなかったのだ。

 先にも当ブログで報告したが、山梨の古民家に暮れから正月にかけて空き巣が入った。そのときもだらしないが故のことで、当初は空き巣に入られたかどうかさえはっきりわからなかった。
 しかし帰る時、玄関に鍵をしっかりかけたはずなのに二度も開いていてようやく誰かが入ったとわかり青くなった。しかし幸いにして金目のものは何もなかったので、空き巣は何も盗らずに帰ったらしく被害はなかった。
 そして鍵をあたらに付け加えたりしてその件はとりあえず収束した。しかし、今こう思う。実はそれこそがメッセージであり、何も盗られたなかったらそれで良しとするのではなく、そこから「気づき」と「学び」を得るべきであったのだと。
 つまり、今までは迂闊で杜撰に生きて来てもそれで何とかなった。被害は大したことなく済んでいた。しかし、山梨がそうだったように、このご時世、アベノミクスのおかげで貧富の差は拡大し、喰えない人は増え続けているのだから、当然泥棒などの犯罪は多発していく。

 山梨で被害があったのだから、こちらでもそのことを受けて、盗難などの被害に遭うかもと注意すべきであった。それこそがメッセージだったのだ。それを向うでは被害がなかったから、過ぎたこと終わったこととしか取り合わなかったから車上荒らし?でカメラを失くしたのである。
 これは読者の方に言いたい。この世の起こること、起きたことは全て何かしらのメッセージなのだから、そこから正しいメッセージをどう汲み取るか、汲み取れるかが常に人は問われているのだと。

 今回の件以後は、昼間はともかくも毎晩、車と自転車は必ず鍵をかける習慣ができた。結果としてそれは良いことであろう。たいがいの人は、そんなことは当たり前にやっている。それはそもそも常識であった。
ウチの隣家は、真夏でも夕方になると雨戸をすべて閉めて万全の戸締りをしている。今まではそれを鼻で笑っていたが、そうした家には泥棒は入らないし入れない。戸締りだけはまさに自己責任でやっていくしかない。

 今回の一件ではずいぶん多くのことを考えさせられた。たとえ脳の機能障害だとしてもだらしなくて良いことなど何一つないし、結果として常に損ばかりするだけだ。あれ以来、録画や録音したものはそのままにして時間置かずに、できるだけ即パソコンなどに取り込み「処理」するようになった。むろんのこと、持って行ったもの、使ったものは必ず持ち帰ったか確認して元あったところに戻すように努めている。
 もう二度と今回のような過ち、騒動は繰り返したくない。できるだけすべてきちんとしようと努めている。しかし、いつまたグズグスに杜撰に戻るか正直不安もある。しかし、歳とって嫌でもさらにだらしなくなるのが人間なのだからこそ、何とか今ここでこれ以上「悪化」させないよう持ちこたえねばならない。

 バカにはバカの責任がある。自分のどうしようもなさはこの当人が一番よくわかっている。しかしこんなどうしようもないバカでも生きていることこそが、他者にとっては反面教師として少し学ぶところもあるのではないかとも考える。そう思いあからさまに書いた。長くなったが今の気持ちを一言記す。探し求めるのは我が人生だけにしたい。

 どんなことがあろうと人生は素晴らしい。そして起きることにはすべて意味がある。人はそこから何を学ぶか問われている。ならばすべてを受け入れ全てに感謝して生きていく。