まだ死ねない、まだ死なせない。2016年03月29日 22時20分46秒

★ぶらいあんず集会初デビュー成らず

 中央道を韮崎から時速120キロで八王子まで駆け下りて来た。
 今晩の国会前での戦争法施行に抗議する大がかりの集会に行こうと思ってだ。が、家に着いたのかが5時半。それからすぐに出られれば7時半からの部には間に合ったかもしれないが、留守の間の家の雑事に時間とられているうちに体力気力が消耗しまさに茫然自失。失神するように倒れ込み、もう一歩も歩くどころか起きることすらできなかった。
 数時間眠って切れた体内電池が少しだけ回復したようでこれを記す。

 昨日月曜の午前からまた山梨の増冨温泉峡、旅館金泉閣に、母と父を連れて行った。今月内は冬季の格安宿泊プランで泊まれるので、前回気に入ったこともあり、予約を入れておいたのだ。
 が、先週はずっと母が夜になると38度台半ばの熱を出して、行くことはかなわないかと半ばあきらめていた。風邪にしてはいつまでたっても治らない。
 幸いにして、金曜日に近くの診療所でかなり詳しい検査を受けたところ、白血球の数値がやけに高いことが判明して、体内のどこかで炎症を起こしているのではと疑われ、抗生剤を出してもらった。
 それを飲みだしてからは幸いにして熱も下がり始め、27日のコンサートの間も母の容体が気になっていたが、幸いなことに午後から夜まで家を空けても無事で熱も平熱だったという。
 ならば、山梨へ行けると決めて、我も前日の疲れがとれないまま親たちを乗せて車走らせその温泉旅館に二人を送り届けたのだ。
 我もその後に公営の増冨の湯に浸かり、ぬるい風呂の中でひたすらうとうとと眠り続けた。
 それが昨日のことで、晩は一人で古民家に泊まって、27日の疲れもあって深く眠った。今日はやや寝坊していくつかの雑用を片付けてたら昼過ぎになり、買い物と昼食をとってから大慌てで東京に戻ることにした。おそらく今まででいちばん短時間で帰ってきたかと思う。平均時速120キロで車をとばした。

 うちに着いて車から降りた途端、足元がふらつき何かにつかまらないと歩けなかった。留守番として閉じ込めてきた猫たちに餌やったり、日曜から空けていた間の雑事を片付けていたら、頭は痛いし意識朦朧、ぼうっとしてまさに茫然自失状態となって、ああ、これで都心まで出かけるのは無理だなあと今日の集会は断念した。
 その国会前の集会で知り合い、共にこうした場で街宣としてのうたの活動、さみだれ楽団・ぶらいあんずを結成したM氏からも今日は誘われていたのだが、まったくもって申し訳ないことをしてしまった。
 本当は、今日こそぶらいあんずとして集会初デビューしたかった。帰りの車の中でも、無伴奏で今晩唄う予定のうたを大声で唄い続けていたのだが。

 しかし、明日は朝からこちらで一仕事があり、それで親たち置いて一人で帰ってきたのと、実は旅館の都合で、今回は二泊三日の滞在なので、明日の午後にはまた山梨、北杜市増冨のその温泉旅館に彼らを迎えに行かねばならない。おまけに、31日の日には、中学の美術教師をやっている女友達の学校転勤の引っ越しの手伝いの約束があり、都心、それも足立区西新井のほうまで車出さねばならない。

 後のことがなければ、今晩の国会前にも無理しても行けたと思うが、明日、明後日のことがあり、しかも自分一人ではないのだから、事故起こしたら大変だ。気持ちはいきり立つものが多々あるが、27日の疲れもまだ癒えず、これ以上無理して体に負荷をかけるともう運転の最中に失神してしまうかもしれない。
 そう考えて、やはり今日は仕方なかったんだと今自分を慰撫している。あれもこれもできやしないという以前に、それ以上やっているのである。どこかで自制しないと、たぶん卒倒か脳卒中で倒れてしまうだろう。一潮さんや渡氏の後は追いたくない。

 今はまだここでは死ねない。そして誰も死なせられない。まだまだ先が長いと思いたい。闘いはこれからだ。