続・人はこんなふうに死んでいくのか2016年09月04日 22時55分47秒

★非日常を日常として生き抜いていく

 寿命とか天命、老衰という言葉がある。今、末期癌で余命いくばくもないとされる母と暮らして日々いろんなことを考えさせられている。

 我としては何とかもう一度、せめて起きて少しは歩けるような状態に、つまり敗血症での高熱出して一度目の入院する以前まで戻せたらと願うがどうやらそれは難しいようだ。
 いや、毎日母と共に過ごしているとはっきりわからないが、確実にやはり体調は弱ってきて、まだ意識はあるものの言葉も少なくなりロレツも回らなくなってきているようで、寝たきりの度合いはさらに増してしまった。食事の量も日々減ってきてしまっている。
 何とか少しはもう少し元気に戻したいと必死に願い、食事を工夫し手足や腹部をマッサージして昼夜つききりで励ましてはいるが、どこそこが痛いと言うよりも、ともかく辛いとかしんどいという言葉が出てきてこちらとしてもどうすることもできず途方にくれ嘆くしかない。

 繰り返しになるが、今やっと初めて人はこんな風にして死んでいくのかとわかってきた。むろん不慮の事故死や脳、心筋梗塞など突発的病死ではない話だ。
 母ももう86歳。間もなく87歳となる。女でもっと年上でピンピンして元気でやっている人も多々いるけれど、ほぼ平均年齢であり、まさに寿命が来たのかなあとも思う。
 何より良かったと思うのは、80歳を過ぎるまで一切病気らしい病気はしたことがなく、入院したのは我らが兄妹を産むお産のときだけだったと言うのだから幸運な人生であっただろう。
 また、癌が発見され、かなり進んでいたものの一度は手術で摘出後、癌は消えてこの約4年は元通りの日常生活が送れていたことだ。
 去年の年明けから癌が再発して、温泉治療他いろいろ手を尽くしたものの結果として今に至っているわけだから、まあ「おまけ」の歳月がずいぶん付いたとも考えられなくもない。

 順当な恵まれた人生だったと子としても思う。ただ、母の母は、百歳近くまで生きた人だったし、母の父も確か88までは健在だったはずだから当人も我もちょっと早すぎるぞと思うところもまだある。
 しかし、母の母は、晩年は約20年間も寝たきりで、介護していた子どもたちの家々をたらい回しにさせられた挙句にあちこち病院を転々と移動させられて死んだのだから、それを思えば我が母ははるかに今幸福と言って良いかと思う。それは子の自己満足か。

 何より今こうして母と向き合い看護していてわかったことは、母に限らず人とは、いや生き物はこうやって死んでいくのかとわかってきたことだ。
 これは以前から拙ブログでも書き記したが、歳をとるということは、それまで当たり前にできていたことができなくなっていくことなのである。
 つまり食べることも歩くことも眠ることすらなかなか難しくカンタンにはできなくなってくる。お若い人は信じられないだろうしわからないことだろう。
 我もまたそうであった。若い頃は年寄りは何でこんなにモタモタして緩慢かつ反応が鈍いのか理解できなかった。が、今、還暦を目前にしてなるほどこれが老化、歳をとるということなのかとよくわかる。
 眼だって老眼だけでなくかすんで見えなくピントが合わなくなるし、耳も遠く髪も薄く、歯もスカスカ、ボロボロになっていく。よって食べられなくなるし、量も減ってしまう。また無理して食べたり呑めば後が苦しい。
 さらに夜だってなかなか眠れないだけでなく、睡眠が浅く、長くは眠れない。体力が低下するだけでなく全ての機能が衰えていく。

 そして「死」とはそうしたことの一番先にあるものだと今ようやく母を診てよくわかる。つまりすべてが衰えて、ダメになり満身創痍ならぬ、心身衰弱し機能が低下してついに死に至るのである。
 当人の意識としては、ともかくしんどい、辛いということに尽きるだろう。食べて栄養つけろと言われても食欲もないし噛むのも飲みこむのもしんどい。少し食べただけでもう体が受け付けない。そしてさらに衰弱し痩せていく。最後は水も喉を通らなくなっていく。
 本来は当たり前にできていた生きていくための諸々のことができなくなって人は死んでいく。

 しかし、母の母、我が祖母が生前良く言っていたが、歳をとるとはまた赤ん坊に戻ること、二度童(にどわらし)になることなのだから、仕方ないのである。
 そう、赤ん坊は、自ら乳を欲して呑む以外のことは何一つできやしない。そしてその母は、その子に乳をふくませ、排便の世話をして、一人前の人間へと何年もかけて育て上げていく。
 思うに、人間として機能が最高になるのは、十代後半から二十代初頭の頃ではないか。体力記憶力も最高だったという意識が我にもある。
 が、それがまたじょじょに加齢と共にまた衰え低下していき、長生きすれば長生きするほど、老化衰弱は増していく。むろん個人差はかなりあるが。そして最後は、赤ん坊になるどころか、何一つ摂れなくなって、意識も失い元のゼロ、何もなかった状態に帰するのである。

 そんなことは誰だって知っているのかもしれない。しかし、我は知らなかった。いや、頭では理解して知識として知ってはいたが、現実問題として今、母を介護していてそういうことか!とはっきりわかってきた。

 ならばこれも人の生き方の行き着く先であり、誰もが経験していく当たり前のことなのである。しかし、子としての我としては、それを当然の、仕方ない当たり前の事だと、冷静に未だ受け入れられないでいる。何とか奇跡は起きないものかと今も願い祈るばかりだ。

 聖書には、ナザレのイエスが伝道の際に起こした奇跡の数々が記されている。中でも彼は、何人もの死者を再び生き返らせては神の偉大さと信仰の重要を説いている。が、今は我もわかる。イエスが生き返られた少女や死後三日もたって墓から呼び戻した男もまたやがては老いてまた再び当たり前に死んだのだと。
 イエスといえども死ぬべき歳の者を生き返らせはしていないのだ。ならば、災難にあうとき災難にあうのが良いように、人は死ぬべき時には死んでいくのを受け入れるしかないのである。

 問題は死別という哀しみは哀しみとして、そのショックを我がきちんと冷静に受け入れられるかだけだ。