我もまたいつまで生きられるのか。2016年09月28日 21時31分39秒

★人それぞれの生の長さを思う。
 
 自分はとことんだらしなく、自堕落な破滅型の人間だから、せめて書くことは真っ当な、こうありたいと願うことを書いている。だから書いたものだけ読んで、立派なきちんとした人間だと絶対に思わないでもらいたい。もう、我本人でもうんざりするぐらいどうしようもない最低の人間なのである。我と会えば皆必ず幻滅する。

 しかし、根本のところが本当にダメだから、今までともかく生きて来れただけでも、奇跡というか運が良い、恵まれた結果だったと今思う。
 こんなまっとうでない人間でも死なずに生かしてくれたのだから、神もしく天は、そこに何か意味なり価値を見出してのことなのだろうか。それはまず母を天に送る役目があり、それゆえ生かされたのだと今思える。
 そう、去年の7月、我はとあるイベントで高所から転落して頭を強く打ち、しばらく記憶喪失と病院通いに追われたのだった。大したことなく無事であったのは、こうして母の死と葬儀というスケジュールが決まっていたから、我は先に死なずにすんだのかと気づく。

 ともかくそうして母を送り、後は父を看取れば、もう我のとりあえず子としての役割は終わる。今は、じっさい痴呆症の父を抱えて、これからどうしたものかと頭を抱えているが、特養に入れるなり、九州の妹のところに熨斗つけて送り届けてしまえば、後は我一人、たった一人となる。
 では、それから我はどうやってどう生きていくのか。方法論はともかく、人生設計的にある程度の計画はやはり立てるべきであろう。何一つ予定も決めず、無年金のまま親たちの残した貯金を食いつぶしてしまえば、嫌でも生き詰って、自殺なり犯罪なりしでかす他に道はない。

 人の生き死にはすべて神のみ心のままだと書いて来た。しかし、人は誰もがそれぞれの人生のスパン、その長さはまず誰よりも本人が知りたいと願うものだろう。
 今日明日、あるいは数年後に死ぬとは思いたくないし、考えることはないとしても、後どのぐらい生きられるか、我が人生は残っているか、わからなくても「想定」はしないと何事も決められない。それこそ、自他楽かつ無計画にその場しのぎに生きるしかなくなる。

 俗説として、人の寿命はその人の両親の生きた長さからある程度は測れるとされている。つまり、その人の父母の寿命を足して二で割れば、その子である者もまずはその歳までぐらいは生きられるはずだと言うのだ。今のような遺伝子解析万能時代でなくても、これはある程度説得力ある理屈かと思える。確かに長生きの家系に生まれれば長生きの人は多いし、短命の家系では、やはり短命もまた仕方ないとされている。
 つまるところそれは遺伝子に予めプログラミングされた情報なのである。米国の某女優は、遺伝子検査によりこれから将来的に患う病気のリスクを事前に考えて、その病気になる高い可能性のある部分を先に手術でとってしまったというニュースがあったと記憶する。
 確かにそうすれば、その病気に罹ることもないし、長生きもできるのかもしれない。が、いかにもアメリカ人的合理的発想だと良くも悪くも思う。

 さておき、我の場合、父が今秋92歳となり、母は86歳で死んだのだから、二人の歳を足して二で割れば、我はまず89歳まで生きられるということになる。ならば人生残りは、まだ約30年もあることになる。果たしてどうだろうか?
 しかし、父の父は、77歳で脳溢血で急死し、父の母は、持病の肺気腫で、確か60代で亡くなっているのだから、今の父の年齢を思えばまったく間尺に合わないことに気づく。先の法則が正しければ、父はもっと早く70代でとっくに死んでいるはずなのだ。
 また、我が母の場合をみれば、母の母は、百歳近くまで生きて、確か97歳ぐらいまで永らえた長寿だったし、母の父も最期は癌であったが、88歳まで生きたかと記憶する。ならば母は、もっと長く90代まで生きるはずであった。
 それが、86歳で逝ってしまったのは、癌を患ったとはいえ、長生きの家系としては短いほうで、たぶん当人も我も予想外、想定外という思いがしている。

 そう考えてしまうと、早すぎた?母の死にやるさせなさや悔しさが募るばかりだし、確かなことは、こうした親の死んだ歳からの余命予測はちっとも確実ではなく、信頼に足らないということだ。親たちが長生きでも早死にする人もいれば、両親ともに早逝でも長生きする子もいるわけで、まさにひとそれぞれなのである。それでもまあ、ある程度の目安にはなるかもしれないが。

 ※むろん、人の生の長さは、何よりその親たちも含めた生育環境に大きく左右されることは言うまでもない。劣悪な環境や社会情勢では、人は遺伝子条件以前に、外部の要因に大きく影響を受けてしまうだろうし、そうした悪条件下では、その人の持つ遺伝子的寿命は正しくまっとうされることは難しい。が、親も子もほぼ同等の環境下にあるならば、今日の医学や科学の発達を考えれば、まず常識的には、子は親の歳よりは長く生きられると想定しても大きく間違いではないかと思える。むろん事故や事件などの不慮の死の場合は除くとして。

 ならばこのどうしようもないまま、我は親たちの歳まではともかく生きられるのであろうか。そうだとして、それは喜ぶべきか。

 で、何が言いたいかというのは、もう一回書き足します。