誰もが皆愛しき誰かのために2016年12月12日 20時13分07秒

★我にもまだ見ぬ新たな「誰か」を。

 父を民家型デイケアに預けて、一泊二日でまた山梨へ一人で行ってきた。
 半端じゃなく寒い。戻って来た東京も今かなり冷え込んでいるから、このところのぽかぽか陽気も去って寒気が戻って来たのだと知るが、それにしても向うは寒かった。
 「一人」で過ごす冬がこんなに寒いのものかと真っ暗な山里を白い息を吐きながら犬たちと、眩いばかりに星がまたたく夜空見上げて思い知った。
 何しろ山梨県でも峡北と呼ばれる最も北に位置する長野県寄りの標高は700mはある山里なのだ。着いたのは昼過ぎで、晴れて陽射しもあったが、風は冷たく気温も低く、外での作業はとてもできるものではない。

 冬の京都に行ったり、京都で暮らした人ならご存知かと思うが、今の季節、京の街には「比叡おろし」が吹く。比叡山から吹き下ろして来る冷たい北風は、ときに小雪を伴いその冷え込みは半端じゃない。
 ここ、八ヶ岳山麓も、比叡ならぬ「八ヶ岳おろし」と呼ばれる、北からの寒風が、この季節吹き荒れる。雪はなくてもその北風が吹き荒れるだけで心底冷え込んでくる。
 山梨の北杜市須玉で冬を迎えるのは初めてではないし、雪の頃だって来たこともある。が、今年の寒さは、例年になく厳しく感じるのは、母を喪い、一人となって来たからか。

 思えば、この町には、街灯も商店も人もいない、つまり何もないのである。あるのは山の自然だけで、ゆえに夏は涼しく人気もないので静かでのんびりできる。が、この季節となると訪れる観光客も皆無となり、山の幸も出尽くし、直売所はやってたとしても漬物の類しかない。
 街頭すらない真っ暗な夜道を温泉に向かうため車で走りながら、ここに昔から住む人はともかく、新たにこの地に移住してくる人たちは、生半可な覚悟ではとても住めないなあと思った。
 別荘族のように、都会に本宅があっての夏だけならともかく、この地に住まいを移して冬も過ごすというのは、その覚悟が試されている。
 京都は寒いが、大都市であり、通年何かしらイベントがあり、店も夜遅くまでやって人の出入りも多い。だから寒くても店に入って暖をとり、人と会えば寒さはやり過ごせる。

 八ヶ岳山麓と呼ばれる山里は、夏はともかく、冬場となればもはや家にこもって、漬物食べてひたすら縄をなうぐらいしかやることはない。やってる店もないし町には人もいないのだ。今回も猿はいたが集落では人は一人も見かけなかった。
 これが雪が多い北海道とかなら寒くてもウインタースポーツが盛んで、冬には冬の楽しみが待っている。
 雪もなく、八ヶ岳から吹き下ろす北風だけの乾いて長い寒い冬を過ごすのは本当に辛いのではないか。今さらながらそう考えた。せいぜい楽しみは体が温まる温泉ぐらいしかない。

 というわけで、夜になってから、車で近くの温泉に行くことにした。古民家には使える風呂がないので、あちこちにある公営温泉の一つにでも入らない限りは、体が冷え切ったままではとても寝付かれない。
 でついでに、甲斐大泉方面にある、噂の「ひまわり市場」というスーパーに初めて足を伸ばして寄って来た。
http://himawari-netsuper.com/