大晦日に思う2016年12月31日 05時27分20秒

★忍耐と寛容さがとことん試された一年~もう何度、死んで全てを終わらせようかと。

 深い哀しみに彩られた一年だった。大晦日の朝だ。今年を振り返ってつくづく思う。
 もし漢字一文字で今年を表すならば、間違いなく「悲」であり、悲嘆とか悲憤という言葉が続いて出てくる。
 そしてその哀しみ、悲しみは、終わったわけではなく、今も続いていて来年へと、棒のように繋がっていく。

 それは、我が事でいうならば、母をなすすべもなく癌に奪われ喪ってしまったからだが、我が人生だけでなく政治的、状況的にもまったく同様であって、我が非力さと同様に無力さを感じている人たちも多いかと思う。我にとって内外ダブルの悲嘆に苛まれたこの一年であった。

 実はまた年の瀬に、山梨へ父を連れて一泊二日で行っていた。
 向うの片付けもだが、どうせ今年は新年を寿ぎ祝う支度も何もないわけで、ならばゆっくり温泉につかり、この一年の労苦を癒そうと考えていた。
 が、デイケア施設の側が、年末年始は営業はしていても、お泊り希望の利用者が多くて、既に空きがなく、父を預けることは無理となって仕方なく一緒に車に乗せて連れて行ったのだ。
 しかし当然のことながら、父がいるとその世話に追われて我のことは何一つできやしない。相変わらず食事から下の面倒まで、気が休まらないだけでなくうっかり目が離せない。
 温泉でも転ばぬように手を引き抱きかかえるようにして風呂に入れねばならないから、こちらはのんびり湯治気分になれるはずもない。
 おまけにウチに残してきた猫たちのことが心配だと、早く帰る帰ると子供のように騒ぎ出し、挙句に、駅まで送ってくれれば、ワシは一人で東京に戻るとまで言い出したので息子もキレた。
 まあ、それもこれも認知症の父を連れてきたのだから致し方ないのであった。