(事故を起こしたが)沖縄県民は感謝しろとは!2016年12月15日 19時39分05秒

★盗人猛々しいというよりも

 例えばの話。ある家に居候が押しかけてきて、それも力づくでとてもかなわないので居座るのも仕方ないとする。
 そいつは、勝手に冷蔵庫の中のものは食べるは、金はせびるは、好き勝手なことばかりをする。暴力はふるう、その家の娘にも手を出す。家の者は皆困るが、何しろ「本家」のほうから、そいつを受け入れてやってくれと言われているので、仕方なく嫌でも手の打ちようがない。
 その居候は、やりたい放題やった挙句に、とうとう火の不始末で、ボヤを起こした。危うく大火となるところであった。
 幸い人的被害はなく、ボヤ程度ですんだが、このままでは大変なことになると家人は思い、どうかお願いだから出て行ってくれと強く抗議した。
 そしたら、そいつは「ボヤですんだんだ、良かったじゃないか。大火事にならずにすんだのだから感謝すべきだ」とすごんできた。そう言われて、この家の人たちはどんな気持ちになるだろうか。そんな勝手な理屈が世の中に通用するだろうか。

 この話、人はどう思うだろう。普通の神経の持ち主なら、あきれ果てるだろう。しかし、これが沖縄の現実の話で、今、沖縄の駐留米軍は、オスプレイが海に不時着、大破しても普天間基地周辺の住宅地に墜落して大事故に至らなかったのだから、逆に「感謝しろ」とすごんでいる。
 この米軍トップの発言を聞いて、呆れ果て怒りがこみ上げたが、そんな憤り以上に、これこそが彼らの本音なのだと、その発言の「裏」を読まないとならないはずだ。

 この非常識極まりない「発想」というか、頭の中を覗いて見れば、つまるところ、そもそも米軍は、沖縄に駐留してやってあげているのだ、アメリカは日本を守ってやってるんだから、という驕り高ぶった「上から目線」がある。
 沖縄の住民の大部分が、米軍基地撤去と新たな基地建設を拒んでいるのに、そんなことは彼らの意識の中にない。そもそも沖縄県民のことはまったく眼中にない。ゆえに、こうして事故を起こしたのに関わらず、それが大事故にならなかったことを逆に「誇る」のである。

 挙句に、事故を起こした側が、大事故にならなかったのだからパイロットの腕に「感謝しろ」とまで暴言を吐けるのである。県民感情をまったく考慮していない。これこそいかにもアメリカの軍人の謂いであり、そもそも軍人とはこうしたものなのかと嘆息する。彼らは、民間人の気持ちは全く忖度しない。そういえば、飛行機事故は起こるものだ、と開き直った輩もいたと記憶する。
 これは、アメリカがいまだ日本を「占領」しているという意識以前に、トランプ氏的な、「何で、わざわざ日本の安全保障をみてやらねばならないのか」という驕り、傲慢がある故と我は考える。

 ならば、日米軍事同盟も破棄すべき方向が当然であろうし、そもそも何故に戦後70年過ぎても、この独立国に米軍基地が治外法権的に全国各地、今も駐屯しなければならないのか理解に苦しむ。そもそも国防とは、まず自国で成すべきことであるはずだ。日本の自衛隊は、軍隊としてまったく非力なのか。世界でもこんな国は他に類がない。対等の同盟関係どころか、思いやり予算をしこたま払って土下座してアメリカに居座ってもらっているのである。それが国策なのだから異常極まりない。明治初期の卑屈な鹿鳴館外交を思い出す。

 日本の安全と平和、独立は、アメリカ軍に常に守ってもらわないと即脅かされ立ち消えてしまうほど脆弱なものなのであろうか。小国であろうとも世界トップレベルの経済大国のこの日本がだ。
 誰が考えたって、日米軍事同盟は、もはや見直しの時期に来ていると思えるがどうであろうか。
 例えばの話、脅威とされる近隣大国「中国」や「ロシア」ともし戦争に及んだとして、日米、もしくは日米韓で、総力戦で臨んだとしても人口と国土、資源的底力においてとても勝てるとは思えない。さらにアメリカは、太平洋を挟んだ東アジアの安定平和にそれほど責任を負う義務は感じていない。
 ならば日米の「軍事力」で、状況を安定させられると考えるのはそもそも無意味なのではないか。成すべきことは外交と貿易で、仮想敵国ともそれぞれの国が互いに得する仕組み、互恵関係、つまり戦争が出来ないようなシステムをつくるしかない。

 いたずらに、墜落事故が後を絶たない危険な特殊戦闘機を日本各地の米軍基地、自衛隊基地に配備するよりも、軍事に頼らない世界の安定平和の道を国家は探るべきではないのか。
 むろん世界には北朝鮮のような「無法国家」やISのような組織はいくらでも存在する。そうした世界にとって「癌細胞」のようなものを、いかに軍事力に頼らずに、国としてその国民にとってあるべき姿に戻していくか、それこそ全人類が英知を絞る課題であろう。
 真に世界平和を願う人々が集まればその問題は必ず解決すると信ずる。