30日、レコードを聴きながら、の集いへ ― 2017年04月27日 23時56分18秒
★午後4時~夜、9時、アナログレコードをかけながら語らいましょう。
これを記しているのは、27日の木曜の夜遅くだ。今、ようやく父を寝かしつけ、台所の片付けなど終えて二階のパソコンに向かっている。
いろいろまた不義理してただ申し訳なく心苦しく思う。いろんなお誘いや連絡頂いてもなかなか返信すらできないでいる。
というのは、老いて手のかかる父を抱える身としては、当日直前にならないと、どうなるかはっきりせず、すぐにはお約束できないからだ。
父をデイサービスのショートステイ、お泊りに預けてしまえば、我は自由にどこへでも行けるが、その父が果たしてどうなるかが何とも定かではないのである。
実は、この二日、水、木と、そのデイケアやデイサービスがない日で、父は家にいたのだが、昨日から37度台の微熱があり、食事時もやたら咳き込み咽るようになってろくに食べられず、すわっ、また、誤嚥性肺炎かと我は困惑した。これで夜になって高熱が出たら、即救急車である。
これまでもこうした事態を繰り返しているので、まず微熱が続き、食事時に食べた物にむせて咳き込むようになれば、それは誤嚥していて肺炎を起こしていると考えてまず間違いはない。
その状況のところに、今日は、三重県在住の、有馬敲氏を介して知り合った詩関係の友人が、こちらに所用で上京されていて、夕方お茶の水駅で会う約束が入っていた。
我としては、父によく言い聞かせて留守番させて、お昼の食事だけ用意して、都心に出るならば、ついでにギンレイで1本でも映画観れたらと考えていた。待合わせは午後3時で、彼も夕方の新幹線で帰るので、それほど帰りは遅くならない。ならば父一人家に残しても大丈夫だろうと考えていた。
しかし、朝から食パンを柔らかくフレンチトースト風に食べやすく焼いたものでも咽込み、ろくに食べず、37度近くの熱があったから、ともかくまたベッドに寝させて、我も出かける時間遅らせて、昼過ぎに起こした。
昼飯は、雑炊風に、ご飯を柔らかく煮て、それでも咳き込みつつまあまあ食べてくれたので、再びベッドに追いやってからやっと我は出かけられた。とても早めに出て映画観るどころではない。
その友人とは、彼の用事が長引いたこともあり、午後5時まで、一時間半程度しか会えなかったけれど、久方ぶりに再会に話もはずみ、我にとって良い気分転換となった。やはり気心知れた人と直接会い、忌憚なく思うところを語り合うことは、大きな刺激にもなり我は気力を取り戻すことができた。
30日の拙宅無頼庵でのそのイベントも、再度中止にする気はなかったが、父のことでどうにも状況がはっきりせず、大々的に告知、宣伝もできないでいた。
しかし今、呆けて朝だか夜だかわからなくなっている父を起こして、うどんを柔らかく煮たものを晩飯に食べさせて、何とか寝かしつけて、30日の件もだふん大丈夫だろうと思え、やっとこれを書いている。たっぷり寝かせて休ませたからか、幸い今晩は父の熱は平熱に戻った。
いずれにせよ、父の具合がどうであれ、30日は決行するつもりでいたが、やはり、まだ我の鬱的体調は回復していないし、そこに父のこともあって、どうにも前向きに呼びかけする気持ちになれないでいた。
だが、今日、人と会い、久しぶりにあれこれ話して、大きな刺激と示唆を得ることができた。やはり、大事なことは他者と語らい、様々なことについて意見を交わすことからだと気づかされた。
我は常に自問自答はしている。しかし、自分と語らってもそこから前向きな刺激を受けることはありえず、結局、内向的に内省して決着してしまい、新たな「やる気」には繋がらない。
やはり他者と会い語らうことでしか何事も始まらない。ならば、そうした場を、自らのためにも拵えて、来てくれた方々と雑談でかまわないから、それぞれ思うところを、話したいことを語らえたらと思う。
人は嫌でもこの社会で生きている。そしてその社会とは人間と人間でできている。そのときどき生きている人間と、とりまく社会、世界が関係しあうとき、その「時代」が生まれるのだと我は考える。
我らが今生きているこの時代とは、いったいどういうものなのか、音楽を聴きながら漠然とでも語らえたらと願う。
先に時間は、午後3時頃からとか書いた記憶がある。が、今まだろくに準備も何もできていないので、場所作りのこともあり4時頃から始められたらと思っている。
参加費は先の通り、食事代として500円。むろん500円以上の飲食、料理は提供するつもりでいる。レコード鑑賞代は一切徴収しないので、参加費は食事代なのでお間違いないよう。
できれば来られる方は事前にお知らせ頂けると料理作るとき、分量の目安がはっきりするので有難い。
では、特に父の体調が急変したりしない限り、この予定で、30日はやりますので、ご参加お待ちしております。
これを記しているのは、27日の木曜の夜遅くだ。今、ようやく父を寝かしつけ、台所の片付けなど終えて二階のパソコンに向かっている。
いろいろまた不義理してただ申し訳なく心苦しく思う。いろんなお誘いや連絡頂いてもなかなか返信すらできないでいる。
というのは、老いて手のかかる父を抱える身としては、当日直前にならないと、どうなるかはっきりせず、すぐにはお約束できないからだ。
父をデイサービスのショートステイ、お泊りに預けてしまえば、我は自由にどこへでも行けるが、その父が果たしてどうなるかが何とも定かではないのである。
実は、この二日、水、木と、そのデイケアやデイサービスがない日で、父は家にいたのだが、昨日から37度台の微熱があり、食事時もやたら咳き込み咽るようになってろくに食べられず、すわっ、また、誤嚥性肺炎かと我は困惑した。これで夜になって高熱が出たら、即救急車である。
これまでもこうした事態を繰り返しているので、まず微熱が続き、食事時に食べた物にむせて咳き込むようになれば、それは誤嚥していて肺炎を起こしていると考えてまず間違いはない。
その状況のところに、今日は、三重県在住の、有馬敲氏を介して知り合った詩関係の友人が、こちらに所用で上京されていて、夕方お茶の水駅で会う約束が入っていた。
我としては、父によく言い聞かせて留守番させて、お昼の食事だけ用意して、都心に出るならば、ついでにギンレイで1本でも映画観れたらと考えていた。待合わせは午後3時で、彼も夕方の新幹線で帰るので、それほど帰りは遅くならない。ならば父一人家に残しても大丈夫だろうと考えていた。
しかし、朝から食パンを柔らかくフレンチトースト風に食べやすく焼いたものでも咽込み、ろくに食べず、37度近くの熱があったから、ともかくまたベッドに寝させて、我も出かける時間遅らせて、昼過ぎに起こした。
昼飯は、雑炊風に、ご飯を柔らかく煮て、それでも咳き込みつつまあまあ食べてくれたので、再びベッドに追いやってからやっと我は出かけられた。とても早めに出て映画観るどころではない。
その友人とは、彼の用事が長引いたこともあり、午後5時まで、一時間半程度しか会えなかったけれど、久方ぶりに再会に話もはずみ、我にとって良い気分転換となった。やはり気心知れた人と直接会い、忌憚なく思うところを語り合うことは、大きな刺激にもなり我は気力を取り戻すことができた。
30日の拙宅無頼庵でのそのイベントも、再度中止にする気はなかったが、父のことでどうにも状況がはっきりせず、大々的に告知、宣伝もできないでいた。
しかし今、呆けて朝だか夜だかわからなくなっている父を起こして、うどんを柔らかく煮たものを晩飯に食べさせて、何とか寝かしつけて、30日の件もだふん大丈夫だろうと思え、やっとこれを書いている。たっぷり寝かせて休ませたからか、幸い今晩は父の熱は平熱に戻った。
いずれにせよ、父の具合がどうであれ、30日は決行するつもりでいたが、やはり、まだ我の鬱的体調は回復していないし、そこに父のこともあって、どうにも前向きに呼びかけする気持ちになれないでいた。
だが、今日、人と会い、久しぶりにあれこれ話して、大きな刺激と示唆を得ることができた。やはり、大事なことは他者と語らい、様々なことについて意見を交わすことからだと気づかされた。
我は常に自問自答はしている。しかし、自分と語らってもそこから前向きな刺激を受けることはありえず、結局、内向的に内省して決着してしまい、新たな「やる気」には繋がらない。
やはり他者と会い語らうことでしか何事も始まらない。ならば、そうした場を、自らのためにも拵えて、来てくれた方々と雑談でかまわないから、それぞれ思うところを、話したいことを語らえたらと思う。
人は嫌でもこの社会で生きている。そしてその社会とは人間と人間でできている。そのときどき生きている人間と、とりまく社会、世界が関係しあうとき、その「時代」が生まれるのだと我は考える。
我らが今生きているこの時代とは、いったいどういうものなのか、音楽を聴きながら漠然とでも語らえたらと願う。
先に時間は、午後3時頃からとか書いた記憶がある。が、今まだろくに準備も何もできていないので、場所作りのこともあり4時頃から始められたらと思っている。
参加費は先の通り、食事代として500円。むろん500円以上の飲食、料理は提供するつもりでいる。レコード鑑賞代は一切徴収しないので、参加費は食事代なのでお間違いないよう。
できれば来られる方は事前にお知らせ頂けると料理作るとき、分量の目安がはっきりするので有難い。
では、特に父の体調が急変したりしない限り、この予定で、30日はやりますので、ご参加お待ちしております。
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