うたは、歌われてこそ、本は読まれてこそ2019年11月18日 23時58分09秒

★明後日11月20日、東中野じみへんで太田三造さんとライブ

 こういう考えがある。道具は使われてこそ、道具なのだと。

 たとえば、ここにカッターがあるとする。それは主に紙を切るためのもので、そのために鋭い刃が付いて、それに適した形状でできている。
 しかしそれは使われないと、やがては錆びてまさに「使い物に」ならなくなる。ということは、道具とは使われてこそ道具なのだとわかる。

 我の仕事でもある「本」もまた同様で、それが流通するのは、読むため、読まれるためである。つまり、本は人に読まれてこそ「本」であり、そのために古来から本の類は存在する。それは映画だって、何だって同様だ。
 むろん、世にはコレクションとして、使われなくても「収拾」「保存」という用い方もあることにはある。本ならば貴重な本、稀覯本など集めている方もいる。特に切手などその最たるものだろう。使用済みの切手など実用できないものだから。
 が、それは本来の価値が変化しただけのことで、世に流通する限りそれもまた使われていることには変わりはない。
 ならばこの世のものは、すべて使われるため、用いるために「存在」しているのだとわかる。そこに存在している意味があるのだと。

 ならば「うた」も同様のはずだ。うたは、歌われてこそ「うた」なのだと。
 しかし、ふと気づく。CDやレコードならばそこに「実体」がある。プレイヤーにかけられて聴かれてこそ、CD、レコードなのだという「理屈」は成り立つ。
 が、そもそもの「うた」はどうだろう。それはカタチがない。詩も同様に、書かれて紙に残されたり、詩集として本のカタチになっているものならともかく、敬愛する詩人有馬敲氏のようにオーラル派の詩人たちの詩そのものは、そこで、聴衆に聴かれはしても、その場だけで消えてしまう。
 特に、うたや音楽のライブは、レコードなどの記録媒体に、あるいは昨今ならばYouTubeなどの映像などに誰かが録画しアップしない限り、歌われたり演奏された「そのとき」だけで終わって消失してしまう。
 むろんその場その時、聴いた人は存在はする。しかしそれは記憶の中だけで、その人たちもまた消えてしまえば、全ては雲散霧消してしまう。つまり「なかったこと」になってしまう。※あとは、明治の街頭演歌師の「うた」のように、文字による「記録」として「資料」は後世に伝わるが、実際はどんなものなのか今日では想像するしかできなくなる。

 うたが、本など実体のあるものと違うのは、まさにこの一点だけで、形あるものは、たとえ今は使われなくなったとしても形だけ残ることは残る。古代人の使った土器など最たるものだ。しかしうたは、実体がそもそもないから、まず残らない。レコードティングされたもの以外は。

 と、長くなったがこれは「前置き」なのである。我が唄いたい唄とは何かの説明理由であった。
 我の好きなフォークソングは、たくさんの名曲を生んだ。しかし、「神田川」や「学生街の喫茶店」のように、ヒットして広く大衆に聴かれ誰でも知られたうた以外のものは、存外、世に知られていない。※挙げた曲が「フォークソング」かどうかは今は問わない。
 特に、集会などでは歌われたものの、きちんとレコーディングされ「レコード」になっていないものは聴いた者の記憶には残っていてもまさに間もなく消えていく存在だろう。
 むろん、そのうたを作った当人が健在で、今もライブ活動を続けていれば、その「うた」は生きている。そしてこれからもまだ歌われ、聴かれていく。
 しかし、作った当人がまず亡くなったりすれば、そのうたは唄われることは少なくなり、聴いた人もいなくなればそのうたもまた消えて「死んで」なくなってしまう。

 もう何年も前の大阪・春一番コンサートでのこと。
 会場である服部緑地の音楽堂の前で、開演前、開場を待っていたら、中川五郎さんが楽屋入りのためふらふらやってきた。いや、楽器は持っていなかったと記憶するから、ただ始まるまで辺りをふらついていたのだろうか。
 観客?なのか、初老の男が彼を見つけて近づいて話しかけてきた。その一部始終を記す。

男・あんた、「雪の月光写真師」何タラいう曲歌ってる人だろう?
五郎・!いや、それは僕でなく若林さんのうたで・・・
男・うんにゃ、あんたの歌だ。あんたが唄っていたはずだ。
五郎・僕ではなくて亡くなった若林純夫さんが作ったうたです。僕は歌ってません。
男・そ~か。うーん。

 男は何か釈然としないまま去って二人の会話は終わった。これは実話だ。傍らでこのやりとりを聞いて、思った。この初老の人の中では、若林純夫の遺した名曲『雪の月光写真師』はずっと何十年も記憶の底に残っていたのだと。春一番を観に来た観客なのだろうが、大昔に聴いたその曲はずっと忘れがたいものだったのだと。
 ※このうたは、春一番のライブ盤で唯一録音されたものが今日でも流通している。五郎氏に問いかけた方はそのオムニバスのレコード、CD化されたもので聴いたか、実際の天王寺野音で聴いたのか、あるいは、TBSの深夜放送「バックインミュージック」内での山本コータローの担当日での若林さんの生演奏で知ったかのいずれか以外ありえない。
 ちなみに我は、天王寺野音では若林さんは観ていないが、コータローのバックで彼の相棒として常によく登場して、スタジオ内でこの曲を生で歌ってくれたので中学生の頃にラジオで知っていつしか聴き覚えたのだと思う。

 我にはこうした「うた」がいっぱいある。この『雪の月光写真師』もそうだが、聴いた人の心に、記憶の中には今も残っていても今日ではたぶんもう誰も歌われないうたがいくつもあろう。
 そうしたうたを、うたは歌われてこそ「うた」だという思いで拙くとも唄っていきたい。