告!! 本日夕、私の父は死去しました。2022年09月14日 23時48分48秒

★いろいろ多々ご心配おかけしましたが・・・

 当ブログの読者というか、不定期的にでもここを訪れてお読み頂いている方がどれだけいるのか定かではないが、このところずっと書き続けてきた我が父のこと、お知らせいたしたい。
 父は、本日9月14日の夕刻7時前、天寿を全うし、あの世へと旅立った。この秋、10月の誕生日が来れば、満98歳となるはずの大往生でした。

 詳しいことは、明日また書き足すつもりでいるが、我が父の最期を病室で看取り、そのときはかなり泣いたものの、今は哀しみや喜びとは違う、うまく表現できぬ高揚感の中にいる。
 もう少し、せめて年内~来年の正月ぐらいまでは生きてほしい、いや、大丈夫だろうと漠然と想定していた者として、予想外かつ無念という気もなくはないが、医師から余命宣告されてからこの一か月、いつその知らせ、その時が来るかと日々スマホを常に傍らに置いて、日夜脅えつつ不安抱えて待機してきた者としては、やっとその囚われのときが終わったと解放感のような気分すらしている。

 母の時のような突然の死の訪れ、あえて考えないようにしてきた死とは違い、今回の父の場合は、父がコロナ感染で入院した時から死に至るまでのゆっくりとした流れがあった。
 じょじょに容態が悪化し心身の衰弱が進み、死に至る道筋が見えていただけに、コロナ禍ということもあって、こちらは成す術もないことが辛く苦しくもあったが、時間と共にそのときの覚悟も築くことができた。

 むろん、悔いは多々残る。父がコロナに感染しなければ、間違いなくこの秋の誕生日は無事迎えられ、介護施設で盛大なバースデーパーティも受けたはずだし、来年のことはともかく、2023年の正月は、コロナも収まり都内に住む彼の孫を二年ぶりにウチに迎えて皆で新年を祝おうと計画も立てていた。
 百歳近くまで十分すぎるほど生きたのだから、もう当人は悔いはないはずだし、我も母の死からちょうどこの9月で早や7年、女手なしに我一人で父を介護してここまで生き永らえさせられたわけだから、まあ善戦したと自ら思えなくもない。
 やっとこれで親たちから解放されて、自分一人の、自分だけの人生が始まることへの不安も多々あるが、喜びではないとしても期待と希望もある。それはとりもなおさず生活苦を漠然と覚悟のうえでのことだが。

 父は、結局この家には戻らせず、申し訳ないが、今は葬儀会社の手配でそこの冷えた霊安室に安置されている。
 そしてこの日曜午前に立川の火葬場で骨となって我が家に帰宅する。そのときまで有難いことに少しだけ日にちがある。
 これから親戚や関係者も含めてあちこちに連絡したり諸処の手続きに追われる。
 母の時は、九州から我の妹が上京してくれたので兄妹で、それらに対応したが、今回は全て我一人でやらねばならない。大変だが、父にしてあげられることがまだあるのが有難い。
 拙ブログもそうした作業の合間みて書き足していくつもりでいる。

 ともあれ、長くご心配おかけしましたが、ついにそのときが来たわけで、やっとこれで我の人生も、残りの三分の一に移っていくことになる。※我も父の歳まで無事に生きられたとしての話。
 ニンゲンの家族がもはや一人もいない、たった一人での人生が始まっていく。
 悲しみや後悔、悔やむのはほどほどにして、ともかく必死に生きていかねばならない。もはや父の年金を頼りにすることできないのだ。

 皆様、諸々ご心配おかけしました。多々ご支援ご声援有難うございました。神よ、我ら親子に哀れみと慈しみを!!

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