これからも音楽と向かいあっていく・前2010年12月04日 22時32分52秒

★思いを新たに。

 様々な思いが波のように押し寄せては引いていく。泣いてばかりはいられない。
 すべてこの世のことは、人の思いや気持ちなど忖度無しに進んでいくのだと改めて思う。人の生死はいかんともし難い。けっきょく人と人とは生きている間だけの関係であり、同時代に生きたそのところだけで偶然結びついている。

 自分が音楽に魅せられて、夢中になってあれこれ囚われていた期間を今やっと振り返れるようになった。一時はずいぶんアンビバレンツな感情に悩まされもしたが。
 経済的には随分損失も出したが、それしかそのときの自分には出来なかったことであり、結果としてすべて仕方ないと諦めもつく。じっさい、お金で済むことはそれは幸いだと今にして思える。貧乏人が分不相応な散財をしてそれでも何か形にできたとするならば、それは幸福なことであったのではないだろうか。

 いつも何にしろ後で気がつくことは、すべてこの世のことは経験でしか学べないということだ。本に書いてあることや人からの忠告なんて全く役に立たない。あくまでも実際にやってみてそこから見えてくるものだと確信した。過ぎたことは戻せないならそれはすべて良かったことだとようやく受け入れられるようになった。どれほどの失敗と失態も、それでもまだ俺はこうして生きているのだから肯定できるのである。
 生きていればやり直せるし、また金はがんばって稼げば戻すことはできる。死んでいった者たちのためにもここで鬱々落ち込んではいられない。自分のできることを頑張ろうと思った。

 この土日、久々に出かける用事も人と会う約束もなく家にいられる。心は落ち着き静かに澄み切っている。もちろん、友人の誰彼はどこそこでライブをやっているのも知っているが、強く誘われもしなかったし、自分が何が何でも行かねばならないという訳ではない。なのでこんなのんびりした週末は本当に久々な気がしている。

 ライブと言うのは、たいがい土日もしくは祝祭日にあるので、週末の土日たいがいどちらかだけでも出かける用事がいつも入っていた。今日土曜はハニーバイキングのライブがあると前に確か聞いていたが、お誘いの連絡もなかったことで家にいるわけだが、母が夕刻から調子崩して、また胃痛で唸っているので何かできるわけでなくとも今日は家にいられて良かったとつくづく思う。病人に付き添って声をかけたり様子を見てやるぐらいでも少なくとも双方気持ちだけ少しは楽になる気がする。ライブに出かけて深夜に戻り、翌日になって大変な事態が起こっていたと知るよりよほど気分良い。

 今できることは、こうして死に臨む者とどれだけ長く共にいられるかだと考えている。それは何だって同じであり、誰もがもう残り少ない人生を何とか生きているのだから、そのことを踏まえて一緒に何ができるか、すべきか考えなくてはならない。

 高田渡の死の以降、一気呵成につっ走ってきた自分の「音楽」との関わりを2010年12月の段階で検証してみたくも思う。それはもうそこから離れるからではなく、さらにしっかり効果的に関わるためにも方法論を考え直してみたいからだ。
 自分だけではなく、今これから全てが終わりまた新たに始まっていく気がしている。まさに、終わり、始まるなのだ。