原発を停めるための市民の集会、デモ行進。 ― 2011年09月19日 21時22分09秒
★明治公園の6万人集会に参加して。
今日は友人に誘われ9.19『さようなら原発5万人集会』のある明治公園に行ってきた。その報告を少し。
じっさいのところものすごい人であった。主催者発表6万人というのはあながち誇張では絶対にない。
会場となった明治公園はごく小さな空間でしかないので、千駄ヶ谷から歩いていくと途中から会場周辺にはプラカードや幟り旗を掲げた人の群れで身動き取れないほど。皆中に入れず周辺の路上でで待機している。空には報道のヘリコプターが何期も行き交い騒然としている。
警察の規制を抜けて何とか公園にたどり着き、まさに立錐の余地のない集会の一員となることができた。
こうした集会は初めてではないが、何より感心したのはその参加者の多さと雑多な顔ぶれである。それぞれの立場やイデオロギーを超えて反原発、原発をなくそう、原発はいらないとう一点だけの思いで全国各地から参加してきている。革マルから各労働組合、各地の生協組合、そして民主団体、福島など被災地から参加された一群、全国各地で反原発運動に関わってきた人たち、さらにはまったく無所属の市民まで、それぞれ居てもたってもいられない思いでそれぞれ手作りのプラカードを持って参加してきている。幼い子どもも車椅子の人や杖をついている老人もさらには外国人までも。。自分は60年安保の世代ではないが、あの頃の熱気はかくや、それに近いのではないかと胸が高まる思いがした。立ち並ぶ上り旗、手作りのプラカードを見ているだけで圧巻、壮観、胸が痛くなる。
あまりの人出に、主催側のスピーカーの音もほとんど聴こえない。沢山の人が同じ思いを抱えてただそこに集まってきているだけ。その統制のとれなさ、段取りの悪さこそが誰かがあらかじめ仕組んだお仕着せの集会でないという証であり、ものすごくリアルであった。そう、これで良いのだ。
原発はこの国からいらない、なくしたいというその思い一点だけでこれほど多くの人たちが自発的に集まってきている。自分はこの国の有り方とこの国民についてはずっと懐疑的な目で見ていたのだけれど、もしかしたらこの国は変わるのではないかと思え熱いものがこみ上げてきた。
ただそこに居ても何か始まるわけでもないし、デモ行進も既に始まっていたので、新宿方面に向う列に混じって移動した。そこはクラブ生協の列であったが、総武線の高架を抜けて新宿御苑の周りを囲むように新宿駅東口へと歩いた。むろん、原発をなくそうとのシュプレヒコールを上げながら。
感動したのは、集会には参加していなかったと思われる街道沿いに住む住民も手を振ったり、さらには手作りのプラカードを掲げて声援を送ってくれたことだ。延々続くデモ行進にそうして街道から賛同してくれた人たちがかなりいた。
もしかしたらこの国は変わる。いや、きっと変わる。政権はバカたちがたらい回しにして新総理も相変わらず原発推進して行くことこそ国益にかなうなどと妄言を口にしているが、市民レベルではとっくに全ての原発は廃炉にすることへ意識は向っている。あとはいかにその思いがじっさいの政治に反映させていくかであろう。
もう原発推進派の人たち、民主、自民、そして公明党らは政治の舞台から撤退してもらいたい。改めて言う。政治家たちは自らの保身のためでもかまわない。国民の意思をしかと受け止めよ。
この国難はこの国が真に変わる最後のチャンスなのだ。ここを逃せば日本の未来はどこにもない。この国、地球はは破滅絶滅へと向う。脱原発と核兵器廃絶は世界の流れなのである。今日はその思いを新たにした。
世界は変わる。きっと変えられる。必ず変わっていく。もしきみが真剣にそう望むならば。
ぼくも私も市民一人一人がささやかでもアクションを起こそう。今日は帰り道ずっとジョン・レノンの『イマジン』が鳴り響いていた。
そう、夢見ているって言われるけど僕だけじゃないんだ。世界中の皆が手を取りあえば思いはきっとかなう、と。
今日は友人に誘われ9.19『さようなら原発5万人集会』のある明治公園に行ってきた。その報告を少し。
じっさいのところものすごい人であった。主催者発表6万人というのはあながち誇張では絶対にない。
会場となった明治公園はごく小さな空間でしかないので、千駄ヶ谷から歩いていくと途中から会場周辺にはプラカードや幟り旗を掲げた人の群れで身動き取れないほど。皆中に入れず周辺の路上でで待機している。空には報道のヘリコプターが何期も行き交い騒然としている。
警察の規制を抜けて何とか公園にたどり着き、まさに立錐の余地のない集会の一員となることができた。
こうした集会は初めてではないが、何より感心したのはその参加者の多さと雑多な顔ぶれである。それぞれの立場やイデオロギーを超えて反原発、原発をなくそう、原発はいらないとう一点だけの思いで全国各地から参加してきている。革マルから各労働組合、各地の生協組合、そして民主団体、福島など被災地から参加された一群、全国各地で反原発運動に関わってきた人たち、さらにはまったく無所属の市民まで、それぞれ居てもたってもいられない思いでそれぞれ手作りのプラカードを持って参加してきている。幼い子どもも車椅子の人や杖をついている老人もさらには外国人までも。。自分は60年安保の世代ではないが、あの頃の熱気はかくや、それに近いのではないかと胸が高まる思いがした。立ち並ぶ上り旗、手作りのプラカードを見ているだけで圧巻、壮観、胸が痛くなる。
あまりの人出に、主催側のスピーカーの音もほとんど聴こえない。沢山の人が同じ思いを抱えてただそこに集まってきているだけ。その統制のとれなさ、段取りの悪さこそが誰かがあらかじめ仕組んだお仕着せの集会でないという証であり、ものすごくリアルであった。そう、これで良いのだ。
原発はこの国からいらない、なくしたいというその思い一点だけでこれほど多くの人たちが自発的に集まってきている。自分はこの国の有り方とこの国民についてはずっと懐疑的な目で見ていたのだけれど、もしかしたらこの国は変わるのではないかと思え熱いものがこみ上げてきた。
ただそこに居ても何か始まるわけでもないし、デモ行進も既に始まっていたので、新宿方面に向う列に混じって移動した。そこはクラブ生協の列であったが、総武線の高架を抜けて新宿御苑の周りを囲むように新宿駅東口へと歩いた。むろん、原発をなくそうとのシュプレヒコールを上げながら。
感動したのは、集会には参加していなかったと思われる街道沿いに住む住民も手を振ったり、さらには手作りのプラカードを掲げて声援を送ってくれたことだ。延々続くデモ行進にそうして街道から賛同してくれた人たちがかなりいた。
もしかしたらこの国は変わる。いや、きっと変わる。政権はバカたちがたらい回しにして新総理も相変わらず原発推進して行くことこそ国益にかなうなどと妄言を口にしているが、市民レベルではとっくに全ての原発は廃炉にすることへ意識は向っている。あとはいかにその思いがじっさいの政治に反映させていくかであろう。
もう原発推進派の人たち、民主、自民、そして公明党らは政治の舞台から撤退してもらいたい。改めて言う。政治家たちは自らの保身のためでもかまわない。国民の意思をしかと受け止めよ。
この国難はこの国が真に変わる最後のチャンスなのだ。ここを逃せば日本の未来はどこにもない。この国、地球はは破滅絶滅へと向う。脱原発と核兵器廃絶は世界の流れなのである。今日はその思いを新たにした。
世界は変わる。きっと変えられる。必ず変わっていく。もしきみが真剣にそう望むならば。
ぼくも私も市民一人一人がささやかでもアクションを起こそう。今日は帰り道ずっとジョン・レノンの『イマジン』が鳴り響いていた。
そう、夢見ているって言われるけど僕だけじゃないんだ。世界中の皆が手を取りあえば思いはきっとかなう、と。
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