秋はなぜ忙しいのか考2011年09月27日 22時36分38秒

★秋はともかく何故か忙しいものである。

 9月に入っても長く続いていた猛夏の残暑に、うんざりとし暑い暑いと騒いでいたのに、今では逆に寒い寒いと老親たちは慌てている。何しろ最高気温が20度もないのだ。
 季節というのは容赦ないというべきか、もう少しゆっくりと少しづつ涼しくなれば良いのに一気に気温が下がりじっさい寒いぐらいで晩秋の感がある。早くももはや冬支度に追われている。そう、秋は何かと忙しい。

 友人知人からも今秋の大きいライブの通知が届いている。今月は小の月だから残すところ数日で9月は終わる。今年もあと残り三ヶ月だ。

 一年を四つに分ければ、四分の三がやっと終わり、まだ四分の一も残っているとも考えられるのに、何故か気持ちの上では残り僅かとなった気がする。特に秋からは残り少ない年内のうち、本格的冬が来る前に片づけなくてはならない用事が目白押しである。

 秋が忙しいのは、過ごしやすい良いシーズンであると同時に、そうした「年内」のうちにという焦る気持ちも関係しているようだ。そして動物の本能として寒い冬が来る前に備えておかねばならないという気持ちが現代に生きる我々にも無意識的に残っているのではないのか。食べ物を備蓄する必要はなくても暖冬でも人も動物も冬を前にするとどこかしら構えて緊張を強いられるようだ。

 そうした気持ちが拍車をかけて秋、この年内残り三ヶ月はともかくやたら忙しくなる。今さら「冬支度」など大してする必要も無い我々なのに、ともかく冬が来る前に、という気持ちに駆り立てられる。
 確かに厳冬の季節は北海道や山間部でなくても野外作業は何もできやしないし気軽に出かけることもままならない。今のうちに庭仕事も片づけたり、やるべき用事は山積みである。まして年内、今年のうちに何かしらの成果も上げておきたい。今年2011年にはこれとこれをやったとしておきたい。

 考えてみれば1年という区切りは別に大きな意味はない。それよりも冬が終わり新しい春が来て年度が変わる学校官公庁のような区切りのほうが動物としての人間には正しいはずだ。
 ただ一年は12ヶ月であり、そこで終わりならば、区切りとしてまた1月から新たにリセットしなおすのは気持ちの上では楽である。何はともあれ過ぎた年のことは過去のこと、「去年」として過去のフォルダに排除できる。その区切りも考えてみればたった一日、いや、12月31日の深夜零時が境なのだから興味深い。一瞬にして今年も過去へと過ぎた年に追いやってしまうのだから。何があろうと一年は12月で終わりまた1月へリセットしなおす。それもまた人の英知であろう。

 ともかく秋のうち、今年内にウチのオープニングイベントを人を招いて催したい。しかしその前に音出しを兼ねたプレイベントである。今届いた友人知人たちのライブ日程を鑑み、どこかできるだけ多くの人が来れる、都合よく空いている日はないかと調整中だ。今月中に決定させてお知らせしたい。