天気晴朗なれど2012年02月27日 23時36分56秒

★長長し夜を一人

 春になると雨が多いのは毎年のことだが、このところ雨、または曇りの日が続く。今日は久しぶりに一日良く晴れたが、風が強くとても寒かった。天気晴朗なれど風強しと昔の人は日記に記したことであろう。

 今日から予定では三日間、母はまた抗癌剤投与のため立川の病院に入院することになり今晩は不在である。毎月こうして二泊三日で入院しては、点滴でその薬を体に入れている。今回で4回目であり、あと3月、4月と二回やれば一応今回の治療の半年間は終わりとなる。

 おかげさまで、再発した腫瘍はだいぶ小さくなってきたようで抗癌剤にそれなりの効果は認められたと報告しても良いかと思うが、その後のことについては何も聞いていない。癌は完治することはまずないと考えたほうが良い病気だから、今後も定期的に検査してまた癌マーカー数値が上がったりエコーなどで腫瘍の肥大が確認すればまた抗癌剤となるのかと思う。
 
 母はもう八十も過ぎたし、癌であろうと別の病気であろうがもはやいつ死んでも良い歳なわけで、今更何も思うところはないはずなのだけれど、癌になるまでずっと元気で一切病気もせずに手がかからなかった人だけにこの病気がわかった頃はかなり困惑もした。
 今は、人の晩年は大方こうしたものだと理解もしているし、脳溢血などでのいきなりの急死は手はかからないが、逆にもっと途方に暮れてその後の対処に苦労したのは間違いないからこうした緩慢な、だらだらとした結末もむしろ好ましいと思っている。
 何よりも病気してからは母と語らい共に過ごす時間が増えたし、自分も家にいる時間がやたら多くなった。ずっと元気なままであったら、自分は相変わらず夜ごと遊び歩いたり酒に溺れて自堕落な甘えた生活をしていたかもしれない。

 生死にかかわる病気は誰だって望みはしないが、逆にそうした病気になると嫌でも人生というものに向き合い考え直さざる得なくなる。人は誰でも自分も家族も元気なうちは残りの人生など真剣に考えも検討もしないものだ。毎日その日のことだけに追われて何だか慌ただしいうちに一年が過ぎていく。そう、恥ずかしい話、そんな風にして面白おかしく若いときから好き勝手に好きなことだけして生きて気がついたら結婚もせずに50過ぎていたのである。それもまたウチは自分も母も、あれこれいくつも病気持ちであっても父もまあ健康だったからだ。

 メメント・モリ、死を想えと言われても人は健康で忙しい日々を送っている間は死のことなど他人ごとである。葬式に行くことはあっても常に死は他人の話であり、葬式から帰って黒いネクタイを外せばそれで終わり、無関係となってしまっていた。それが自分でなくても家族が瀕死の病にかかれば嫌でも今後のこと、家のこと、自分の人生すらもはたと考え直さざるえなくなる。
 だから癌であろうがなかろうが病気もまた良いことであり、そこからまた新たな人生が見えても来る。逆に今、もし母がこの病気にならなければ自分はいったいどうしていたかとすら恐ろしくもなる。いい年して金もないのに遊び呆けて親たちがいなくなったときになって途方に暮れてショックで破滅していたかもしれない。何しろほんとうの独り者となってしまうのである。

 親たちが生きているうちにその後の事態に対して準備し手を打っていかねばならなかった。そうして今、ようやく家も成り、遅ればせながらこれからのことについてまだ漠然とであるが真剣に考え始めている。願わくば、自分が本当に「自立」できるまで親たち、とくに母には生きていてほしいと切に願う。
 というのも、母のいない晩、認知症かつ身勝手な父に飯食わしたり向き合っていてもどうにも言葉も会話もなく場がもたないからだ。父は母とならあれこれ自らも語りかけ会話もある。が、同性の息子と顔を突き合わしていると双方気づまりするだけなのだ。これではますますボケも進む。
 夕食後、父を寝室へ追いやり、今こうしてパソコンに向き合ったり自分のことをしているわけだが、母がいないことはある意味手はかからず父一人だけで時間は余分にあるはずなのに、妙な空漠感がつよくある。これからのこと等あれこれ考えてしまう。どうしたものかと。
 今晩はやたら夜が長い。

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