心の穴を何で埋めるか ― 2012年08月02日 23時57分10秒
★実体としてのモノの存在価値・淋しい男も太る?
全てのことは神の意思、天の計らいだと心している。だから抗わずおきたことは受け入れねばならない。
それは頭ではわかっているのだけれど心、気持ちの部分ではなかなか納得できない。人間というのは面倒なものだとつくづく思う。何にせよ、別れには哀しみや痛みの感情が伴うものなのだ。心に穴が空いたような。
最愛の猫をネコババされて、やはり気持ちは鬱々としてしたままだ。哀しみ、憂鬱、ブルーな気分である。猫と人間を同列にしたら怒られるだろうが少しは北による拉致被害者家族の気持ちがわかったような気がする。行方不明は単に不安や心配の感情でしかないが、相手があってのことだとわかるとそこに強い怒りの感情が加わる。ゆえにご家族の方々はあんなにエキセントリックになってしまうのだろう。それは絶対に赦せない気持ちであり当然のことである。
それを日本も戦時中は同様もしくはもっとひどいことをしたのだから仕方ないという論を聞いたことがあるが、強制的連行、拉致行為という人権侵害はいつの時代でも強く非難され断罪すべきものであり、絶対あってはならないことだ。悪いことをしたのはお互い様だからという詭弁に与してはならない。
さて、ほんの少しだが暑さも和らいだ昨日夕、より若いといっても初老の黒犬と散歩に足を伸ばし、近くのリサイクルショップを覗いて中古レコード、LPを5枚ほど買った。そしたら気分はだいぶ軽くなった。
俗に「淋しい女は太る」とか「買い物依存症」の女性の話があれこれ本や話題になっている。要するに満たされない心を何かで満たす、埋めるという代償行為なのだと思うが、自分もまたともかく何かが今欲しくてたまらない。それは心を占めていたもの、なくなってしまったもの、あるいはかなえられない欲求を何かで埋めなくてはならないからだ。
そこでは、言葉や新たな考え、気分転換などではなかなか解消されないことに気づく。いちばん手っ取り早いのは、食べて飲んで食欲をとことん満たすという手であり、同時に何らかの物品の購入だろう。金を使いモノを買うという行為には何故か快楽と共にカタルシスを伴う。それもデータファイルとか実体のないものではなく、できるだけしっかりとしたカタチ有るしっかりした高価な価値あるもののほうがなお良い。
ブランド品を次々買い漁るバカ女はそれが快楽であると同時に満たされない心をその行為で埋めている。つまりそれは目的ではなく、愛する男との結婚生活でも良いのだろうが、本当の願望、心の欲求が満たされるまでの代償なのであろう。ただ、そのことを下らない無意味なことだと否定すべきではない。
それはブログでも同じであり、何かのマニア、追っかけのような行為だって違わなくない。本来目的でないものがいつの間にか目的や最大の関心事にってしまうことは多々ある。心したいことだ。
で、増坊はいったい何のレコードを買ったのか。何千枚ものレコードを持っている自分が今さら買うレコードがあるのかと自分でも訝るがここに記しておく。
◆all about the brothers four ※2枚組 CBSソニーから出た日本盤邦題「ブラザース・フォアの全て」
◆ベリー・ベスト・オブ・ハンク・ウィリアムス
◆DEEP PURPLE/LIVE IN JAPAN
◆地獄の狂獣/キッス・ライブ ※2枚組
◆ザ・スター・イン・ヒビヤ★矢沢永吉 ※1976年の日比谷野音ライブ2枚組
である。
もしかしたらどれも既に持っているかもしれないが、一枚100円だったし、カントリー系は昔は自分の守備範囲外だったのでとりあえず買っておいた。洋楽ロックは、ブリッティシュ系を中心に聞いていたこともあり、その頃はキッスなどは全く相手にしなかった。が、今思うとあれはあれで子供だましでもそれなりに味わいもありやはりライフ盤で聴きたくなった。そしてまたあいも変わらずパープルである。
そしてちょっと恥ずかしいし意外に思われるかもしれないが、永ちゃんである。実はキャロル時代から自分は彼のファンであり、そのステッカーを車に貼るようなコアなマニア、当時は「つっぱり」と呼ばれた奴ら、ではなかったが、ずっと好きなシンガーである。近年はさすがに鼻につき関心外の人ではあるけれど、若い頃、特にキャロル時代は「和製ビートルズ」として大いに憧れたこともある。その彼の若い頃のライブである。きっと泣かせてくれる筈だ。
というわけで中古LP5枚で気分は戻った。それにしても安上がりな男だと自分でも呆れ果てる。心の穴は500円で埋まったのである。
全てのことは神の意思、天の計らいだと心している。だから抗わずおきたことは受け入れねばならない。
それは頭ではわかっているのだけれど心、気持ちの部分ではなかなか納得できない。人間というのは面倒なものだとつくづく思う。何にせよ、別れには哀しみや痛みの感情が伴うものなのだ。心に穴が空いたような。
最愛の猫をネコババされて、やはり気持ちは鬱々としてしたままだ。哀しみ、憂鬱、ブルーな気分である。猫と人間を同列にしたら怒られるだろうが少しは北による拉致被害者家族の気持ちがわかったような気がする。行方不明は単に不安や心配の感情でしかないが、相手があってのことだとわかるとそこに強い怒りの感情が加わる。ゆえにご家族の方々はあんなにエキセントリックになってしまうのだろう。それは絶対に赦せない気持ちであり当然のことである。
それを日本も戦時中は同様もしくはもっとひどいことをしたのだから仕方ないという論を聞いたことがあるが、強制的連行、拉致行為という人権侵害はいつの時代でも強く非難され断罪すべきものであり、絶対あってはならないことだ。悪いことをしたのはお互い様だからという詭弁に与してはならない。
さて、ほんの少しだが暑さも和らいだ昨日夕、より若いといっても初老の黒犬と散歩に足を伸ばし、近くのリサイクルショップを覗いて中古レコード、LPを5枚ほど買った。そしたら気分はだいぶ軽くなった。
俗に「淋しい女は太る」とか「買い物依存症」の女性の話があれこれ本や話題になっている。要するに満たされない心を何かで満たす、埋めるという代償行為なのだと思うが、自分もまたともかく何かが今欲しくてたまらない。それは心を占めていたもの、なくなってしまったもの、あるいはかなえられない欲求を何かで埋めなくてはならないからだ。
そこでは、言葉や新たな考え、気分転換などではなかなか解消されないことに気づく。いちばん手っ取り早いのは、食べて飲んで食欲をとことん満たすという手であり、同時に何らかの物品の購入だろう。金を使いモノを買うという行為には何故か快楽と共にカタルシスを伴う。それもデータファイルとか実体のないものではなく、できるだけしっかりとしたカタチ有るしっかりした高価な価値あるもののほうがなお良い。
ブランド品を次々買い漁るバカ女はそれが快楽であると同時に満たされない心をその行為で埋めている。つまりそれは目的ではなく、愛する男との結婚生活でも良いのだろうが、本当の願望、心の欲求が満たされるまでの代償なのであろう。ただ、そのことを下らない無意味なことだと否定すべきではない。
それはブログでも同じであり、何かのマニア、追っかけのような行為だって違わなくない。本来目的でないものがいつの間にか目的や最大の関心事にってしまうことは多々ある。心したいことだ。
で、増坊はいったい何のレコードを買ったのか。何千枚ものレコードを持っている自分が今さら買うレコードがあるのかと自分でも訝るがここに記しておく。
◆all about the brothers four ※2枚組 CBSソニーから出た日本盤邦題「ブラザース・フォアの全て」
◆ベリー・ベスト・オブ・ハンク・ウィリアムス
◆DEEP PURPLE/LIVE IN JAPAN
◆地獄の狂獣/キッス・ライブ ※2枚組
◆ザ・スター・イン・ヒビヤ★矢沢永吉 ※1976年の日比谷野音ライブ2枚組
である。
もしかしたらどれも既に持っているかもしれないが、一枚100円だったし、カントリー系は昔は自分の守備範囲外だったのでとりあえず買っておいた。洋楽ロックは、ブリッティシュ系を中心に聞いていたこともあり、その頃はキッスなどは全く相手にしなかった。が、今思うとあれはあれで子供だましでもそれなりに味わいもありやはりライフ盤で聴きたくなった。そしてまたあいも変わらずパープルである。
そしてちょっと恥ずかしいし意外に思われるかもしれないが、永ちゃんである。実はキャロル時代から自分は彼のファンであり、そのステッカーを車に貼るようなコアなマニア、当時は「つっぱり」と呼ばれた奴ら、ではなかったが、ずっと好きなシンガーである。近年はさすがに鼻につき関心外の人ではあるけれど、若い頃、特にキャロル時代は「和製ビートルズ」として大いに憧れたこともある。その彼の若い頃のライブである。きっと泣かせてくれる筈だ。
というわけで中古LP5枚で気分は戻った。それにしても安上がりな男だと自分でも呆れ果てる。心の穴は500円で埋まったのである。
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