祭りの後の淋しさか2012年08月14日 06時08分48秒

★自分の森の中で生きる

 外は久々の雨がしとしと降っている。涼しくなった。8月ももう半ば、これからこうして一雨ごとに涼しくなって季節は秋へと向かっていく。どこかで山鳩が静かに鳴いている。

 今年も津のええかげん祭りに行けて、留守の間も問題なく無事に帰って来れたのだからそれだけで良しとしたいし全ては良かったことのはずだが、今の気持ちはやや落ち込んでいる。

 「祭りの後の淋しさ」が来たという反動もあろう。疲れと暑さで体が疲弊してそこからということもある。また、あまりにもいっぺんにいろんな情報が自分の中に入ってきてそれをうまく処理できないという感情のパニックなのかもしれない。
 ただ毎度ながら自分の迂闊さと愚かさに深く悔い失敗したなあという気持ちが今は強い。寓話「都会のネズミと田舎のネズミ」ではないが、基本は森の中でほとんど誰にも会わずに暮らしていた者が、大都会でなくとも一度に大勢の人と会う。虚勢も含めてそこにかなりの無理があり心に負担がかかる。そのときは浮かれ気分で興奮、昂揚しているのだけれど。
 
 ともかく何とか無事にその旅から帰ってこれて冷静になるとそのときの自分がとても嫌になってくる。それもまた自分の一面であり、本質であり仕方ない現実なのだけれどとても肯定できない。毎度ことをしでかしては反省し、昨年のええかげん祭りでも全く同様の後悔はしたのだが、また今年もである。
 まあ起きてしまったことは取り消せない。なかったことにもできやしない。他人からどう思われようと何を言われてようと仕方ないしかまわない。ただ今は自分の森の中で、しっかりと生きていきたいと思う。この小旅行で倦み疲れた心の垢は消えた。それは向こうで恥と共に雲散霧消できたと思える。

 自分は全てにおいてアマチュアであり、人生においてもずっとアマチュアであった。趣味の世界では、ディレッタント、好事家という生き方はゆるされる。が、人生ではそれはゆるされない。若いときはともかくももはやあってはならない。
 帰りの新幹線のなかで、窓の外を遠すぎていく風景を眺めながらそんなことに気づかされた。今さらであるけれど恥ずかしいが現実だ。早く人生のプロとして食えるようになりたい。もう全てにおいて中途半端なアマチュアではいられない。この森の中で、人生のプロフェショナルを目指す。何を今さらそんな歳でと嗤われてもかまわない。

 いつまでも鬱々してはいられない。過ぎた時間は戻せない。やるべきことは山積みなのだ。全てに感謝して心してしっかり生きねばならない。