新しい月、新たな季節を、新たな気持ちで2014年09月01日 17時48分40秒

★2014年の9月に入りました。         アクセスランキング: 115位

 あれほどの猛暑はどこに行ったのか。今年の夏は8月下旬から急に涼しくなって天気も悪く曇りや雨の日が続いている。
 今日から9月。外は冷たい雨が音たてて降り続いている。今の気温は20度ちょっと。10月上旬の陽気だとテレビで予報士が言っていた。
 涼しいのは楽で有難いと思うが、まだ9月に入ったところなのだ。また暑い日もあるかと信ずるが、この気温の低さはこれもまた異常気象ではないのか。涼しいのを通り越してうすら寒い。親たちはコタツがほしいと騒いでいる。
 大雨と異常気象の天候不順の夏であった。何だか落ち着かない気持ちで迎えた秋9月である。

 今日から9月。ということは今年も残すは三分の一、四か月となった。
それにしても先月8月はいろいろあって大変な月であった。

 まず7月後半、我が身に久々のギックリ腰が勃発して身動きとれなくなって難儀したところに老犬バドもついにその天寿を全うした。その後は哀しみにひたる暇もなく老親たちが次々夏風邪に倒れ、それも長引いて病院通いに追われていた。父は肺炎にもなって心配されたし、そこに拙宅での大きいイベントも重なったのでまさにてんやわんやであった。

 ようやく親たちも回復のメドも見えたと思ったら、今度は親しくしていた女性との関係に、我が身の不徳の致すところからトラブルのようなものが起きてしまい連絡取れなくなったことから気が動転してパニック状態となってしまった。
 幸い関係修復となったと思えるしそもそもが自分の早とちり、不安神経症的考えすぎであったと今は気持ちも落ち着いたが昨日まで精神的にかなり追い込まれていた。
 
 今はもう気持ちも吹っ切れたというか、もとに戻ったのではなく、やっと新たなところに至ったという気がしている。この数日のブログに書いたように、自縄自縛的にいろいろ悩まされたが良い経験を得た。愛とは何なのか深く考える機会となった。
 そもそも愛に見返りや期待を求めるのならそれは愛ではなく、取引やビジネスでしかない。愛とは損得とは別のところになければならない。ゆえにかの人からどう思われようとどう扱われようとそれはそれで全く構わないのである。もう何も囚われないし考えない。大切な人を大切におもう自分がいるだけだ。

 そう、誰もがみなそれぞれの隣人を愛し助け合い、自分がしてほしい望むことを他者にすれば良いのである。そうすれば世界は愛と平和に満ちるであろうしそれしか世界に、この病んでいる地球に救いはない。
 夢物語って言われるだろうけど僕一人じゃないとジョン・レノンは唄った。でも一人でも多く誰もがそう望めば世界は変わるし一つになるのである。

 昨日は我が家の上空をオスプレイが不気味な爆音を立てて飛んで行った。今横田に飛来していたのだ。こうして戦争のハイテク兵器、しかも墜落の危険度の高い飛行機が日本のどこでも我がもの顔で飛び交う日が来るとは数年前は想像もしなかった。様々な思いと感慨がわくがそれはまた別の機会に書く。

 何はともあれ振り返ればかなり大変な危機に見舞われた8月であった。よく生き延びたと今は思える。ともかくも人生のその難所を何とか我と我が家は無事に乗り切れた。そして新しい月へと入り、季節も移った。まずは喜びたい。イベントで誰かが持ってきて残った新しいワインを開けよう。

 そしてこれから秋本番、冬が来る前に、やるべきことを終わらせてまたやってくる新たな年2015年へとつなげていきたい。

 人生は誰にとっても楽なものではなく、生き続けるだけでもかなり大変な苦しいものだが、だからこそその中に光るものや得るもの学ぶものがある。老犬バドの介護は我に豊かな飽くことのない慈しみの心を与えてくれた。そして自らの愚かさと迂闊さからさえも学ぶものがあった。何よりも自分をよく知ることができた。

 そして今声を大にしてこう書き記す。人生は素晴らしいと。泣きたいぐらいに素晴らしい価値があると。生きているだけでまず良いのである。そしてそのうえで人は人のために生きて行かねばならない。自分の損得と都合しか考えない人間は外道なのである。かつて自分はそれであった。
 多くの善き隣人と出会い学び諭され今の自分になった。今の自分が死なずにあるのは多くの善き人たちの支えと励ましと神の御心によるものだ。そのことを忘れずに、新しい月、新たな季節を、新たな気持ちで生きて行こう。

 皆さまにも神のご加護を、そしてご自愛ください。亡き清志郎も叫んでいただろう。「愛し合ってるかい!?」と。