今年こそがんばってしっかり乗り切らねばと2015年01月15日 22時03分24秒

★我に知恵と力と勇気と愛とを           アクセスランキング: 188位

 今日は朝から夜まで冷たい雨がしとしと降り続いていた。我が古民家のある山梨の北杜市の予報は雪だるまが付いていたから、標高700mのあの辺りの山里は一面真っ白となったことだろう。

 まだ冬用のタイヤに代えてもいないしチェーンも巻く気もないのだから、下手に今日のような日に向こうにいるのは非常に危険な冒険行為だったかもしれない。雪道や凍った道では下りこそブレーキが全く効かないのだ。ならばやはり出かけなかったことは賢明な判断であったかとも思える。まあどこにいたとしても鬱々気分はさほど変わらないだろうしやはり命あっての物だね、無理してわざわざ危険なことはすべきではない。九星気学などナンセンスとも思えるが、オレは本当にバカだからその警告を見なければきっと昨日から出掛けていただろう。

 友人知人と連絡がとれないから先のことが決められないからといって漫然と無為に過ごすことはあってはならない。やるべき懸案のことは毎年超過する一方でさらに山積みであり、できるとき、つまり時間あるときに少しでも進めていくしかしない。
 今の様な情けない状況も、結果として我が不徳の致すところであるが苦しくともそれは罪とか罰でもなく、償いどころか単なる自業自得でしかない。嘆いても自己憐憫すら値しない。
 
 それよりもともかく少しでも先へと進めるようここに留まることなく自己を高めることを進めていくだけだ。ギターもうたももっとうまくなりたいし、少しでも思い通りに的確に自分を表現できるように力をつけたい。何でもできるようになりたい。嗤われるだろうが自分に自信を持ちたい。
 もっと賢く行動的かつ機能的でありたい。あらゆる無駄をなくしたい。だってもう人生残り少ないのである。

 先にも書いたが、我にもっと知恵と力と勇気とそして愛がほしいと心から望む。そしてことにおいて今年こそ後悔しないですむよう計画建てて確信もってやっていくだけだ。
 人様に迷惑かけるとか面倒かけるとかだけでなく、まずこの自分自身が真に納得して満足できることをやっていきたい。その意味で、無頼庵での活動も再考するときが来たようにも思える。何かやるからにはそこに「成果」というか次に繋がる何か答えのようなものを見出したいと思う。
 商売ならばともかく「金」でその行為の価値は換算できる。では商売でないことはいったい何でその行為の価値や意味を換算するかだ。思うにつまるところそれは「関係」ではなかろうか。
 「脱ダメ宣言」は我が身のことではあるが、対外的にはきちんとした発展的可能性ある確かな人間関係を構築できるかということに尽きよう。

 まあ、先のことは何ともわからないがオレはたぶんまだそんなすぐには死なないとは思える。が、我が老親たちはもう耐用年数の限界だから、寿命もこの数年のうちに尽きることは間違いない。その死の準備とその後の我ことも想定して遅まきだが今年から「一人暮らし」の老後のことも検討していかねばならない。
 まあ聖書には「明日のことを思い煩うなかれ」とはある。が、信仰の薄い自分は老親なきあとはたった一人なのである。神に祈り語りかけはするが、犬猫はいたとしても孤独は変わりない。

 果たしてたった一人で生きていけるのか、やっていけるのか今の自分には正直まったく自信がない。その意味で我に力と孤独に打ち勝つ勇気をと祈るしかない。

 昨年の秋からずっとこうした内面的なことをつい書き記してきた。が、こうしたことは我が心のうち、漱石的に言わば「硝子戸の中」のことでしかない。これからは窓を開けて、外に向けて建設的なことを主に書いていきたい。