10月に入りました。2015年10月01日 08時06分51秒

★今年も残り三か月、心引き締めて

 朝からカラッと晴れて冷たい北風が吹いている。秋もたけなわ、の候なのだが、体感的には晩秋、初冬といった厳しい寒気が来ている。今年は冬が早いかもしれない。
 あんなに暑かった夏のことがずいぶん昔に思える。まだ一か月前のことなのに。青空を見上げ流れる白い雲を見ていると様々な感慨がわく。今年の夏から秋はいろんなことがあったなあ、と。哀しみは去ったけれど無意識に涙が頬をつたう。
 
 老いた者が誰もが感じることだろうが、それにしても時間の経つのが早い。ぼうっとしていると一週間はあっという間だし、一週間があっという間なら一ケ月も同じで、一年だって気がつけばもう残すは三か月となってしまった。
 それを言うならば10年だって同じことで、ついこの前だと思っていたことがいつしか10年過ぎていたり、ましてこのところ若い時のことを振り返れば、いつの間にか40年も前のことになっている。記憶の中ではついこの前のことなのに、気持ちはその頃と何も変わっていないのに、時の経過の速さに心底驚かされる。

 その頃のこともやがてすぐに50年前、半世紀も前のことになってしまうだろうし、ならば60年前、70年前だって同様のことだろう。
 そうして大昔のこととなったのに、記憶の中では、オンリー・イエスタディのこと、つまり、つい昨日のようなこと、昔のことをたくさん抱えて人は死んでいくのだろう。
 ならばこそ、大切なのは、その中での日々一日一日を、丁寧に確実に、大切にして生きなくてはならない。

 若い時ならば、人との縁もまたいつか、と適当に放擲しておくこともかまわない。が、まず自らが老いて来て、まして相手も同様の身ならば、またいつか、そのうちなどないのである。いや、縁あらば互いに生き永らえてまた出逢い、何かが始まることもあるけれど、その可能性は若い時に比べて格段に少なくなる。
 もうこれからは全てのことはこれが一期一会、永遠の別れだとの覚悟を思い定め丁寧に、大切にして関わりを持っていこうと今思う。

 喪に服すというわけでないが、今月はしばらくできるだけ出かけず家に籠って、夏の間のあれこれ出歩いたり多事にかまけて溜まってしまった「けんあんのこと」などを片付けたいと考えている。
 この秋は友人知人多くのシンガーから、大小さまざまなライブのお誘いを受けている。どれも彼らとの縁を思うとき、顔出して観客として応援しに行かねばならないのだが、土日ごとでもそれをやっていると、また全てが溜まる一方でちっとも自分のことが進まない。
 お世話になっている人のライブなのだから、行けば喜ばれるだろうし行かねばならぬ、行きたいという気持ちは強いけれどもあえて今は控えようと思っている。
 他者に誠実でなくてはならないのは当然のことだが、まずその前に自分に、自分のしてきたことに誠実でなくてはならないのではないか。

 先だって、若い時からの「師匠」が上京され、いちおう彼には弟子としての務めは果たし終えた、気がしている。他人から見ていろいろご批判はあるかもしれないが、申し訳ないがこれは二人の関係であって、まして自分の思いでしかない。

 若き日に手ほどきを受けた酒や漫画の師匠にはとりあえずの恩返しが成ったとしたならば、次は約10年前に知己を得た京都の「詩の師匠」である。翁二さんよりもさらに高齢で、我が親世代の方なのだから、一日も早くけんあんのことを片付けカタチにしていかねばならない。
 気がつけば、阿佐ヶ谷の詩とフォークのイベントから一年が過ぎようとしている。これ以上その「成果と結実したもの」を先延ばしににしてしまえば、機を逸すばかりでなく、御大そのものが亡くなられる可能性もある。もう待ったなしだと今さらながら気がつく。焦る。のんびりしすぎた。

 ゆえに今月はまず「そのこと」に全力で取り組み、作品完成までの道筋だけはつけたいと考えている。友人シンガーたちには不義理となるが仕方ない。我の時間と処理能力には限りがある。何はさておきまず有馬さんとのけんあんとのことだ。
 今月内にそれぐらいできないとしたら、もうこのプロジェクトは達成不可能だと見切りつけるしかない。それこそ自らにだけでなく関係してくれた他者全てに不誠実なことであろう。ならば最初から企画実行すべきでなかったということだ。そうしてはならない。卑小な我でも誠実さを示さねばならない。

 むろん今月も親たちを山梨のラジウム温泉に連れて行ったり、あれこれ家事雑事はいくらでもある。また、反安保法の集会やイベントには可能な限り参加していく。求められればどこでもギター持って駆けつける。さらに、我で良ければ、どなたとでも話や相談など請われれば万難を排して出かける。話や悩みをお聞きしたい。誰かの力になりたい。

 忙しいとか慌ただしいことは絶対に言い訳にしない。ともかく一日一日、一つ一つ、今日を限りにきちんと丁寧に生きていく。
 今まですべてを曖昧に中途半端にほったらかしにしすぎた。悔やむより実行あるのみだ。