今さらながら宮沢賢治を・32015年10月18日 23時32分57秒

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 芸術家には、絵なら絵、詩なら詩、音楽ならば音楽と、そのジャンルごとに特化した専門家的天才は多々いる。が、これは持論として、本物の天才とは、ジャンルなど問わず、どのような芸術分野でもその特異な資質を余すところなく示すものだと思う。
 つまり、すなわちすぐれた画家はすぐれた詩人であり、優れた音楽家でもあるといったこともよくある。優れた音楽家は、絵も文才もまた持ち合わせている。昔ならば多芸多才、今なら総合アーチストとでも呼ぶべきか。いわゆるレオナルド・ダ・ヴィンチ型天才である。※幸い身近にもシバや鈴木翁二ら、漫画や音楽などジャンルを選ばず何であれそこに自らの芸術を見出し素晴らしい独自の作品とする先達がおられる。

 余談だが、我が子供の頃、バイオリンを習いに行かれされた、近所のM先生もそういうタイプの方で、音楽はピアノから何でも教えるレベルの域で、絵画や彫刻、彫塑も手掛けて、米軍ハウスを改造したその家の柴の庭には、彼の作品である石膏像などオブジェが点在していたことを思い出す。まさにそんな全人的芸術家であったと今にして気づく。残念なことにその頃は内発的音楽意志は我に皆無であったからけっきょく足は遠のきバイオリンはものにならなかったがそれも致し方ない。機が来ていなかったのだから。
 が、その先生が何台もあったアップライトピアノでガーシュインだかコール・ポーターを弾いてくれたことを思い出す。あんな風にどんな芸術でも自由自在にできたならば・・・。彼の生き方は今も自分の憧れである。

 さておき、芸術的才能を天から与えられた者は、分野など選ばずに何でもその才をごく自然に存分に示していく。宮沢賢治もまたそうした天才であった。
 今日、彼の名は、詩人、童話作家として世に知られているけれど、「セロ弾きのゴーシュ」よろしく自ら様々な楽器を繰り、自らの詩に曲をつけ今もその音楽作品はいくつも譜面として残されている。農学校時代は、友人らと弦楽四重奏団を主宰していたらしい。
 東北の地方都市花巻、そして盛岡というところで、いくら篤農家に生まれだとしてもきちんとした音楽教育など受けたはずもないと思うのに、彼は作曲家として五線譜に素晴らしい曲を記し後世に残している。
 
 その中でもこの譜面「星めぐりの歌」は最も世に知られた曲ではないか。彼はいくつもこうした音楽の作品を遺したが、この独特な少し哀しげなメロディ、ヨナ抜きという、昔の日本人が好んだ旋律はいまも聴く人の心に深い余韻をもたらす。詩と曲も見事にマッチしている。
 近いところでは、この曲、NHKの朝の人気連続ドラマ「あまちゃん」でも劇中で何度も効果的に流れていたので気づかれた方も多いはずだ。ドラマの舞台も岩手県であったから、賢治の曲が使われたのであろうが、ナイスな選曲だと言えよう。

 思うが、もし彼がもっと長生きして戦後まで生きていたとすれば、彼の音楽は独学でも交響曲を書き上げるレベルまで達したのではないか。生家には子供の時よりレコードがたくさんあり、中でもベートーベンを愛好していたという。同じく独学の天才・伊福部昭のような重厚な風土に根差した作品が生まれたかもと夢想するが、それほど彼の音楽も趣味の域を越えて賢治らしくまた素晴らしいものだ。
 
 まさに宮沢賢治とは全人的天才芸術家であった。しかも素晴らしくスゴイことは、彼自身は自らの本意をそこには置かなかったことだ。賢治にはまず法華経の信仰と東北の農民救済という目的があって、その延長線上に彼の芸術があったのである。
 
 ※賢治に関してもう一回だけ書きます。